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政党色のない団体「自由と民主主義のための関西学生緊急 行動」(シールズ関西)京都市内でデモ行進

2015-06-21 | 戦争反対・戦争法廃止

安保:学生2200人が京都でデモ行進 法案に「ノー」

毎日新聞 2015年06月21日 21時04分(最終更新 06月21日 22時53分)

安保法案に反対し、デモ行進する大学生ら=京都市東山区で2015年6月21日午後2時52分、小関勉撮影
安保法案に反対し、デモ行進する大学生ら=京都市東山区で2015年6月21日午後2時52分、小関勉撮影
 
 

 集団的自衛権の行使容認を含む政府の安全保障関連法案に反対する関西の大学生らが結成した政党色のない団体「自由と民主主義のための関西学生緊急 行動」(シールズ関西)が21日、京都市内でデモ行進を行った。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などを通じて集まった約2200人が、 法案に「ノー」の声を上げた。

 学生らはデモの先導車から流れる音楽に合わせて「憲法守れ」「民主主義って何だ」などとラップ調でコール。「FIGHT FOR  LIBERTY」(自由を求める戦い)、「NO WAR」(WAR=戦争)などのプラカードを掲げ、観光客らでにぎわう京都市中心部約4キロを2時間かけ て練り歩き、法案反対を呼びかけた。

 神戸女学院大2年の山口晶子さん(19)は「権力に逆らうことは勇気がいる。就職や世間体が気になって、今すぐ逃げ出してしまいたい衝動に駆られる」と本音を吐露。それでも街頭で訴えるのは「一人一人に平和を守り、継続させる責任があるから」と明かした。

 沖縄県浦添市出身で大阪府内の大学に通う平良美乃さん(22)は「武力では何も解決できないというのが歴史の教訓。米軍基地も安保法案も要らない」と訴えた。

 団体のフェイスブックを見て大津市から1人で参加した高校3年の女子生徒(17)は「18歳選挙権も決まった。政治に無関心ではいられない」と語った。

 シールズ関西は昨年末、東京で特定秘密保護法への抗議運動に参加した際に出会った関西の学生らが「関西でも独自の団体を」と呼び掛け、今年5月3 日に発足した。友人同士の紹介やSNSでメンバーを集め、現在約60人。安倍政権の安全保障政策を主なテーマに週1回のミーティングを開き、政治学などの 専門家を講師に迎えて勉強会を重ねてきた。

 デモを企画した神戸大大学院2年の塩田潤さん(24)は「予想以上の参加で驚いている。法案審議が続く限り継続して活動する」と話し、今後は関西圏で毎週、反対運動を展開する。【川瀬慎一朗】

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李大使は長靴に履き替えて袖をまくると、中国が寄贈した田植機に乗って田植えをした。

2015-06-21 | 人民網日本語版

朝鮮で百年に一度の干ばつ、中国の大使も田植え

人民網日本語版 2015年06月19日15:10
 
 

 朝鮮は百年に一度の大干ばつに見舞われ、全国をあげて農業を支援している。伝統にのっとり、中国の李進軍駐朝鮮大使も大使館の一部職員を率いて、平壌郊外の朝中友好宅庵協力農場で農作業を手伝った。新華網が伝えた。

■周総理も訪問した農場

 中国の外交官にとって宅庵農場はなじみ深い場所であり、毎年春の種まきと秋の収穫の際に訪れて農作業を手伝う。李大使一行は農場管理委員会の鄭明哲委員長から熱烈な歓迎を受けた。

 宅庵農場は1953年に完成し、1958年2月19日には周恩来総理が朝鮮の指導者・金日成氏と共に見学した。翌年、農場は「朝中友好宅庵協力農場」と 命名された。現在では600ヘクタールを超え、水稲、大麦、野菜、果実、畜産業、漁業の総合農場に発展。水稲が総面積の半分以上を占める。

■田植えを手伝う

 李大使は長靴に履き替えて袖をまくると、中国が寄贈した田植機に乗って田植えをした。鄭氏によると、前任の2人の駐朝鮮中国大使も同じ田植機で田植えをしたという。李大使は秋には他の田よりも大きな収穫を得るに違いないと語った。(編集NA)

 「人民網日本語版」2015年6月19日

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透明度があって資源豊かな海に大規模な軍事基地建設の土台が造られようとしている

2015-06-21 | 琉球新報より

戦後70年

大江健三郎さん 辺野古を訪問 「市民側が勝つ」

2015年6月21日 6:39 

 


海上から辺野古沖の様子を視察する大江健三郎さん=20日午前11時13分、名護市の辺野古沖

 ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんが20日午前、米軍普天間飛行場の移設に伴う新基地建設に向けた作業が進む名護市辺野古を訪れた。大江さんは、現地で新基地建設に反対する市民らの行動に「共感している。市民側が勝つという印象を持った」と述べた。
  20日午前10時半ごろ、辺野古漁港から市民船「美ら海」に乗り込み、海上を30分ほど視察した後、米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪れた。海上から大 浦湾を目にした大江さんは「実際見てみると印象が違った。透明度があって資源豊かな海に大規模な軍事基地建設の土台が造られようとしている」と危機感を表 した。
 ゲート前で抗議を続ける市民らについては「市民の粘り強い運動に感銘を受けている。国が相手でも、『諦めなければ勝つ』と活動する市民運動に共感している」と話した。
 海上では名護市議の東恩納琢磨さんが同行し、大浦湾の自然の様子を大江さんに紹介した。東恩納さんは「普天間飛行場の移設だけではなく、軍艦も入れるように軍港機能も持たせようとしている」と工事計画についても説明した。

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連載5、 みなさん ご一緒に、 日本と韓国と朝鮮の国民が 友好・親善を!

2015-06-21 | 「私がお話し」します。

3、 21世紀、これからはアジアの時代といわれています。


 私たちの住む日本は、アジアの東北部に国土があり、周辺諸国には世界人口の60%が住んでいます。

 日本は明治に入りヨーロッパ、アメリカ、ドイツから良いところを取り入れて国を発展させようと考えながら「絶対主義的天皇制」という国民の願いからみて最悪の制度を取り入れ、世界大戦を経て、一度国を滅ぼしてしまいました。

大戦後の復興においても日米安全保障条約(軍事同盟)の下で、アメリカの言いなりの同盟者として、アメリカが押し付ける範囲内での復興と国づくりが進められてきました。

 戦後70年間も過ぎているのに国中に米軍基地と原子力発電所が乱立する事態となり、あわせてアメリカにものが言えない関係が続いています。

早く軍事同盟をやめて、アメリカとは対等平等の立場で平和友好条約に切り替えなければなりません。

 しかし、この間アジアの国々では独自の発展を遂げ、アセアンに結集する国々では、それぞれが平和友好条約で結ばれる国際関係を構築し、平和的に経済発展を遂げてきています。

私たちが、身近なアジアに目を向け、アジアの一員としてその役割を果たしてこそ21世紀に正しく生きる道筋が開けると思うのです。

今からでもアジアの人々に対する過去の誤った侵略戦争を謝罪し賠償責任を果たし、アジアの人々と力を合わせて平和なアジアを創らなければなりません

  

 2013年には、日本、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中華民国、ロシア連邦で新体制が始まりアメリカではオバマ大統領が再選され、新しい変化が期待されていました。

京都に住んでいる私たちが、その先頭にたち、日本と朝鮮・韓国・中国との友好を発展させるために、たゆまぬ努力をしていきたいものです。その中にこそ明るい新しい未来を切り開く展望があることを確信しています。

 

 天皇ですら、毎年誕生日を前に恒例となっている記者会見において、「日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。・・・」との発言によって、   奈良・京都の都づくり・「都市計画」を指導したのは朝鮮の土木技術者だったことを知り、昔からの日朝関係が知りたくなったという方も増えてきています。

 

1980年、一年間に韓国へ渡った日本人は、約50万人、2000年には、約247万人、2011年には約330万人でした。韓国から日本に来られた人は、1980年は約15万人、2010年244万人、2011年は地震の関係で約166万人となっています。2013年はマスコミの北朝鮮バッシングで入国者が減ってきています。

理由はいろいろだと思いますが、韓国ドラマが面白い、俳優も感じがよい、そうして、撮影した現場を見にいくツアーも人気がある。民主化闘争の歴史や、日本帝国主義の侵略の実態とその抵抗の歴史も見たい、東アジアの平和構築のためには、韓国・朝鮮を知らなければならないと考える人が増えてきました。

 

 現在、竹島(独島)問題や「慰安婦」問題も解決していませんが、これからのアジアと世界の平和のために、日本と韓国・朝鮮は、どうすればよいのか? 冷静に考えてみたいと思うのです。 

世界の中で、日本と朝鮮は一番よく似た「親戚」の国です。  
朝鮮民族は、中国・日本と同じ漢字の国でした。古い文章は、漢文で書かれていました。歴代朝鮮の王様は、中国王の承認が必要でした。日本でも江戸時代以前は、よくにた関係が残っておりました。また、朝鮮語は、主語、述語、助詞や動詞等の並び方が、日本語と同じです。日本と同じ言葉も多くあり漢字を見れば意味が分かります。

 テレビドラマを見ていたら「安心・暗示・暗記・宇宙・環境・催促・市民・趣味・審査・民謡・目標・目録・約束・予算・余分・連絡・論理 」など は発音も意味も全く同じでした。

 朝鮮では15世紀前半に「ハングル」が創られるまでは、全て漢文だったのですが、多くの国民はお金がなく子供に勉強させることが出来ず、大人になっても字が読めませんでした。

したがって、悪徳地主などに「この書類に印鑑を押せ」と強要されても書かれている内容が理解できず、押印し財産を没収されたり、ときには命をとられることがありました。ドラマ「大王世宗」に当時の民衆の暮らしが詳しく出てきます。

李氏朝鮮の第4代国王「大王世宗」テワンセジョン(在位:1418年 ~ 1450年)が、「政治は国民のためのものだ」と多くの改革に取り組み、文字もつくりました。

漢文は、すべてを理解すれば少ない文字で多くのことを表現できますが、専門的な知識がいります。誰でも読めて意味がわかる文字、日常国民が使っている言葉をそのまま発音どおり表現できる文字「訓民正音・ハングル・チョソングル」をつくったのです。

ハングルは喋る声を発音記号にし、一定の法則で表わされています。現在文字は、子音14、母音10、計24でその組み合わせです。それで英語の発音記号・子音24、母音42に見合う文字もすべてそろっています。文字の発明以降、「政治は国民のために」行われるように徐々に変っていったのです。  

また、この王様は、天文台を作り、朝鮮の暦を作り、(当時は中国の暦を使っていた)いつ種をまけばよいか、収穫はいつ頃になるのか、労力はどれだけ必要かわかるようになり、農産物の収穫を増やすための工夫をしました。

 そんな昔にある程度の天気予報が出来るようになったというのです。また、「医学書」「朝鮮音楽の楽譜」もつくりました。その上「火薬兵器」をつくり国防に備えました。

外交においても対馬との政治和解を成功させ、釜山と二つの港を開港して対馬との自由貿易を奨励、推進しました。これらの技術を総合的に活用して国づくりを進めたのでした。韓国で非常に尊敬されている王様で、現在ソウル特別市の徳寿宮、光化門に銅像が建てられています。

 

日本は、朝鮮や中国から文化を学び、朝鮮の進んだ文化に興味を持っていたのに、なぜいま、日本人は韓国・朝鮮にあまり興味がないのでしょうか。 嫌いな国になったのでようか? 

これからも嫌いな国だと言って無関心のままでよいのでしょうか? 

アジアの中の日本人として、どう考え、どのようにお付き合いをすればよいのか、このことについてもご一緒に考えましょう。

 

 

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