大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

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日本語版新聞紹介

連載 10 再び、北朝鮮・韓国を犠牲にして戦後日本の国づくりが進められました。

2015-06-26 | 「私がお話し」します。

 

 

  この朝鮮戦争が、日本を大きく変えました。


   日本では、開戦一ヶ月も経たない50年7月、マッカーサーの命令で警察予備隊7万5000人が創設され、後に憲法違反の自衛隊になりました。当時の在日米軍の肩代わりです。

   日本は朝鮮戦争に参加したことになっていませんが、国会で朝鮮戦争協力決議を可決し、日本のすべての力を集めて米帝国侵略軍の肩代わりをし、出撃基地、補給基地としての役わりを果たしたのです。日本は「朝鮮戦争特需」で経済は一気に戦前の水準を回復し、軍国主義復活の足がかりを作ったのです。

   このときも1910年以来の反省はなく、再び、北朝鮮・韓国を犠牲にして日本の国づくりが進められたのでした。

翌8月には、全労連の解散命令レッドパージ 1万2000人と国民への弾圧が行われ、

1951年9月8日、朝鮮戦争のさなか、米国は日本の独立と占領をセットで進め、サンフランシスコ市において「単独講和条約」「旧・日米安保条約」を締結させ、日本を半ば占領し続けることになったのです。

 

   韓国では、「朝鮮戦争」休戦協定(53・7・27)の調印2ヵ月後の10月1日、米・韓相互防衛条約調印・米韓安保が結ばれたのです。その後1965年、日韓条約が締結されました。日韓条約は、日・韓軍事同盟でもあります。こうしてアメリカは、冷戦時代のアジア支配体制の、日・米・韓、防共最前線基地を作ったのです。

   1953年7月まで戦争は続けられ停戦条約・休戦協定が結ばれましたが62年経った現在まで、韓国でも日本でも米軍による半ば占領状態が続いているのです。今もそこに、戦争の火種が残っているのです。

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