朝鮮通信使のお話 講演される早川先生
伏見人形
何度も「ここの風呂は、風呂じゃない、シャワーだ」と説明する。
101歳 2010年 最近、絢子本人が 特に言う言葉は、
「周囲が暗い、目がかすんできている。耳も遠くなってきている。」
「大きいテレビはかすかに見える」
「面と向かってちょっと大きい声を出して喋れば、普通の会話が出来る。本人も力強く結構大きい声を出せる。」
「手は動くので、ラジオのスイッチをきったり、入れたりも 出来る。」「電池が切れたという」
「あしが動かない、これが一番辛い、トイレと風呂に一人で行けない。」
「ここケア回生にいると、プロの方が手際よくやってくれるので本当にありがたい」
「よそにいれば、ここまで生きられない」等と・・。
何度も何度も「ここの風呂は、風呂じゃない、シャワーだ」と説明する。「周囲を囲んだシャワーなので風呂に入った
気がしないと、・・・ちょっと寒い」という。風呂じゃないシャワーだというのが面白い。
「廊下などもちょっと寒い」という。秋から、電気毛布が必要なのである。 しかし、まだぼけていない、これが自慢だ。
ラジオの電池さえあれば、特に必要なものはないという。
11・18 高血圧・心不全 入院 脳内出血 右片麻痺 意識低下
立会い・満・美津子・淳子・人見 お見舞いの最中のことでした。
急に顔の様子がおかしいのです。筋肉が落ちたようで喋りにくくなりました。
すぐ事務所に連絡、即入院ということになりました。
2011年、最後の正月になりました。
1・11 自分で鼻の呼吸装置をはずすので、身体拘束に関する同意書を提出する、はずしたり拘束されたりしていた。
1月12日 102歳
殆ど喋れなかったが聞こえているようだった。うなずいている。
手を握れば握りかえして来た。
毎日見舞う
1月29日 3:55死亡 102歳17日
この日記は、立派なことは何も書いてない、しかし私はずっと一緒に暮らしてきて多くのことを書き残してくれたと感謝している。