大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

連載 14 秀吉が朝鮮を侵略し、明治・大正・昭和の天皇が朝鮮を侵略・併合、嫌いです。

2015-06-29 | 「私がお話し」します。

3、「耳塚」  韓国・朝鮮人は、秀吉と明治・大正・昭和天皇が嫌い

 

 朝鮮人が日本人をあまり好きではない原因は、秀吉が朝鮮を侵略したからです。(1592年~93年・第一次出兵を文禄の役、1597~98年第二次出兵を慶長の役、併せて文禄・慶長の役という。)韓国では壬辰倭乱(ジンシンワラン)という。

この戦争で、朝鮮の国土を奪い人々を大量に殺したからです。また明治・大正・昭和の天皇が嫌いです。天皇も武力で朝鮮王朝を倒し、国土と国民の命までも奪いつくし、天皇の軍隊が朝鮮人を奴隷のように扱い国土と民族を奪ってしまったからです。そのことが現在まで朝鮮・韓国の人々に大きな損失と心に傷を負わせてきたからです。そうして現在までも謝罪も賠償もまともにしないことが、きらいな大きな理由なのです。

 さて、その象徴ともいうべき史跡が京都にあります。「耳塚」です。

  JR京都駅から 七条通りを東に進み、加茂川を越えてすぐ左に国立博物館、右に三十三間堂が見えます、国立博物館の北隣に、豊臣秀吉を祭る「豊国神社」があり、耳塚は豊国神社の正面100メートルほど行った左側にあります。二度の侵略戦争で抵抗した朝鮮人を捕まえ見せしめの為に「鼻を切れ」と命令し、数万人の鼻を塩漬けにし持ち帰ったのです。その供養塔です。それにしてもひどいことをしたものです。この場所に韓国の青年を案内したことがありますが、彼らは、供養塔の前にひざまずき、深々と頭を下げてじっとしていました。


 

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安倍首相は2013年4月の国会で「侵略の定義は定まっていない」と発言

2015-06-29 | ちょっと気になるマスコミ報道

安倍談話の諮問機構「首相に提出する報告書に『侵略』表現明記」

2015年06月26日10時39分
[ⓒ 中央日報日本語版]

  日本の安倍晋三首相の戦後70年談話(安倍談話)関連の諮問機構が安倍首相に提出する提言書の性格をもつ報告書に「侵略」を明記する方針を明らかにした。

  安倍談話に関する首相の私的諮問機構である「21世紀構想懇談会」(以下、懇談会)の座長代理人、北岡伸一・国際大学長は25日、東 京首相官邸で最終となる第6回会合を開催した後、来月安倍首相に提出する報告書に「(先の大戦で)侵略した事実は書くだろう」と述べたと26日、共同通信 などが報じた。

  「侵略」という表現は戦後50年談話である村山談話(1995年)の核心キーワード(侵略、植民地支配、痛切な反省、心からのお詫 び)の一つで、安倍談話に含まれるかどうかが関心を集めている。また、韓国メディアは懇談会の提言に拘束力はないものの、政府が委嘱した専門家が「侵略は 事実」と指摘した報告書を出した状況で、談話に侵略を明記しないのは安倍首相に負担になるだろうと展望した。

  一方、安倍首相は2013年4月の国会で「侵略の定義は定まっていない」と発言し、「歴史修正主義者」という批判を自ら招いていた。
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連載 13 現在の京都市右京区は、地域ぐるみ朝鮮文化を引き継いでいるところです。

2015-06-29 | 「私がお話し」します。

2、松尾大社は、秦一族の氏神

 

 阪急電鉄京都線、桂駅で嵐山線に乗換え二つ目の駅が松尾駅です。三つ目が嵐山駅です

松尾駅のすぐ前に「松尾大神」の大鳥居が目にはいります。その西側一帯が「松尾大社」の境内です。松尾大社には次のような説明文が出ています。

五・六世紀の頃、秦の始皇帝の子孫と称する(近年の歴史研究では朝鮮新羅の豪族とされている)秦(はた)氏の大集団が、朝廷の招きによってこの地方に来住し、新しい文化をもってこの地方の開拓に従事したと伝えられております。松尾大社は、この秦氏がたてた神社です。

また秦氏は保津峡を開削し、桂川に堤防を築き 今の「渡月橋」のやや上流には大きな堰(せき=大堰→大井と言う起源)を作り、その下流にも所々に水を堰き止めて、そこから水路を走らせ、桂川両岸の荒野を農耕地へと開懇して行ったと伝えられております。

酒造については秦一族の特技とされ、室町時代末期以降、当社が「日本第一酒造神」と仰がれるようになりました。

 

奈良時代の政治が行き詰まると、長岡京へ、次に平安京へ遷都を誘引したのも秦氏の膨大な勢力によるものとされています。だから秦氏は京都を造った功労者だと言えるでしょう。松尾大社のまつりごとは、秦氏の子孫がつとめるようになったといわれています。

 

嵐山の観光名所の一つに天竜寺がありますが、その前の「嵐電・ランデン」嵐山駅から四条大宮と北野白梅町まで京都の観光名所をゆっくり走る情緒あふれるローカル線があります。秦氏にまつわる地域を走っています。

丁度中ほどに、「太秦広隆寺」と言う駅があり、国宝第一号「広隆寺の弥勒菩薩像」があるところです。韓国ソウル博物館の弥勒菩薩と非情によくにていて新羅の国から伝わってきたのか、新羅の仏師が創ったものだと言われています。太秦には、秦氏が住んでいたことがよくわかる史跡が多く残っており地域ぐるみ朝鮮文化を引き継いでいるところです。

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