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これからは市長権限、知事権限を市民・県民のために行使していく。

2015-06-07 | 戦争だけはやめてほしい

沖縄新基地反対

米に気持ち伝わつた

翁長知事「新たな一歩」

 

 

 沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設反対を訴えるため訪米していた翁長雄志(おなが・たけし)知事と首長や県議、経済人らの訪米団が帰国し、5日 夜、沖縄に到着しました。那覇空港で約100人の県民らに拍手や指笛で出迎えられた翁長知事は「必ずワシントンにこの気持ちが伝わったと固く信じている」 と語りました。


写真

(写真)出迎えた県民らに訪米の報告をする翁長知事と訪米団=5日、那覇市

 翁長知事は「こんなに密度の濃い要請行動は初めて」と訪米を振り返り、「国と国との関係であり、そう簡単に中堅どころが『わかりました』というわ けにいかず、結論的にはいい形にはなりませんけど、これだけ話をさせてもらったのはたいへん大きな結果だ。これからが新たな第一歩。県民の強い意志と世論 に訴えることで、必ず気持ちが伝わる」と強調しました。

 翁長知事に同行した稲嶺進名護市長は記者団に対し「米国も当事者として向き合うべきだと伝え、辺野古(新基地)は造らせないという強い意志を持って臨んだ。相手方もしっかりと受け止めてくれたのではないか」と述べました。

 その上で稲嶺市長は「これからは市長権限、知事権限を市民・県民のために行使していく。オール沖縄、オールジャパンで力を合わせ、必ず止めることができるという思いで臨みたい」と決意を語りました。

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連載37 母の日記絶筆後101歳の頃 なくなる2ヵ月半前にも、毛染めとカットをした。

2015-06-07 | 「私がお話し」します。

自分の服や、子どもの服はみんな作っていました。

すべてがオーダーメイドであつらえ? だった

 絢さんは呉服屋の娘だった。

父・孝(よし)が「屋号・向日町大丸」で、今私が住んでいる家で店を開いていました。

向日市にのこる昭和初期の「向日町商店街を紹介した映画(昭和新聞社製作)」に出てくるのです。

だから着物を縫ったり洋服を作ったり、近所の人に洋裁を教えたりしていました。

当時は、既製品ではなくすべてがオーダーメイドであつらえだったのです。

だから「近所の人が遊びに行く前になると、私は徹夜してその日に間に合わせるように仕立てていた。」とよく話していました。

自分の服や、子どもの服はみんな作っていました。勿論、私は覚えています。

 私が大人になって服を買いに行くときも、だまされないようについてきました。

よい生地か悪い生地かは、3本の指でつまんでみればすぐわかるからです。

日記の中に、「カッターシャツ4枚アイロンをかけて、洗濯物をたたんでおいた。」と何度も出てきますが、

苦にならなかったようです。ボタンが取れたり服やズボンが破れたり、ふくろび(ほころび)たりしても、「直しておいて」と

渡しておけば夕方にはちゃんと直っていました。

 ケア回生に入るまで、みんなの分をしてくれていました。

 

 白髪が増えてきても黒いものが残っているので、気にしてずーと染めていました。

「一寸、小林さんまで毛染めを買いに行く」 「トナリ(理髪店)でカットと毛染めをしてもらった」と、月に一度くらいでてきます。

さらに今日はシャワーで頭を洗うという日は自分で染めていたのです。

そうしてなぜか頭を洗った日には、赤丸がついているのです。

朝から頭を染めて、おフロへ入ってトナリでカットしてもらう、というのもありました。

びっくりしたのは、次の領収書だ。

2010年10・9  毛染め、カット ¥6500 死亡の3ヶ月半前、

2010年 11・11毛染め、カット ¥6500 2ヶ月半前、なくなる2ヵ月半前、回生で6500円出して毛染めとカットをした

証拠が出てきたことです。

職員さんと家族と同じ部屋にいる人にしか会わないのに、身だしなみはきちっとしておきたかったのです。

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