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2015-06-05 | 人民網日本語版

戦争法案 全参考人が「違憲」

衆院憲法審査会 憲法学者3氏表明

 

 

 4日の衆院憲法審査会で、「立憲主義」をテーマに招致された参考人の憲法学者3氏がそろって、集団的自衛権行使を可能にする戦争法案について「憲 法に違反する」との認識を表明しました。早大の長谷部恭男(やすお)教授、笹田栄司(えいじ)教授、慶応大の小林節(せつ)名誉教授3氏。参考人は審査会 幹事会で各党が協議して決めたもの。与党も含めて合意した参考人全員が違憲の判断を示したことで、戦争法案の違憲性がより鮮明になりました。


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(写真)長谷部恭男参考人(早稲田大学法学学術院教授)=4日、衆院憲法審査会

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(写真)小林節参考人(慶応義塾大学名誉教授)=4日、衆院憲法審査会

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(写真)笹田栄司参考人(早稲田大学政治経済学術院教授)=4日、衆院憲法審査会

集団的自衛権が許されるという点は憲法違反だ

海外に戦争に行くというのは、憲法9条、とりわけ2項違反だ

(従来の政府の憲法解釈を)踏み越えてしまったので違憲だ

 長谷部氏は「集団的自衛権が許されるという点は憲法違反だ。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかないし、法的安定性を大きく揺るがす」と表明しました。

 小林氏は「憲法9条2項で軍隊と交戦権は与えられていない。9条をそのままに、仲間を助けるために海外に戦争に行くというのは、憲法9条、とりわけ2項違反だ」と述べました。

 笹田氏は、従来の政府の憲法解釈は「ガラス細工だが、ギリギリのところで保ってきている。今の定義では(それを)踏み越えてしまったので違憲だ」と述べました。

 日本共産党の大平喜信議員が、集団的自衛権行使容認の閣議決定、戦争法案の国会提出を強行した安倍内閣の政治姿勢についてただすと、長谷部氏は「立憲主義にもとる」と述べました。

 大平氏が、戦争法案によって自衛隊の「後方支援」活動が武力行使と一体化する危険を指摘。長谷部氏は「武力行使との一体化が生じる恐れが極めて高くなる」と述べ、小林氏は「一体化そのものだ」と強調しました。

 

私の昨夜のフェイスブックには

 衆院憲法審査会は4日、憲法学の専門家3人を招いて参考人質疑を行った。憲法解釈変更による集団的自衛権の行使を含む新たな安全保障関連法案について、与党が推薦した参考人をはじめ全員が「憲法違反だ」と批判した。与党の人選ミスだと書いた新聞があるが、なんと失礼な新聞なのかと思う。普通の憲法学者なら 全員が違憲と判断されるものだということをマスコミが知るべきなのだ! 


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翁長雄志知事:来る前に比べれば大きな上乗せがあった。それを糧にして、一歩一歩前に進んでいきたい

2015-06-05 | 琉球新報より

 新基地阻止、直接交渉継続へ 知事訪米が終了

 2015年6月5日

 【ワシントン=問山栄恵本紙特派員】

 名護市辺野古の新基地建設断念と米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還 を求めるため訪米した翁長雄志知事が3日、要請行動の日程を全て終え、ワシントン市内で記者会見した。知事は米政府当局者ら会談相手に沖縄の基地問題への 理解が深まったと総括した上で「来る前に比べれば大きな上乗せがあった。それを糧にして、一歩一歩前に進んでいきたい」と述べ、移設阻止への決意を新たに した。

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連載35 102歳まで生きた母 日記絶筆後 息子(私)との会話 101歳の誕生日に、

2015-06-05 | 「私がお話し」します。

もう、生きていもあんまり良いことはないが、ちょっとはよいこともある

赤ん坊の時、牛乳で育ったからや

よい音楽、よい踊り、よい演劇、よい映画、洋画などを、沢山見たこと

2010・1・12

101歳の誕生日に、101歳まで生きた感想は?と聞くと、
「こんな長く生きるとは夢にも思いませんでした。」ですって・・
そうして「ちょっと長生きしすぎたなあ」と上を向いて言っておりました。


 多くの人から「おめでとう」と言って頂き、一応「ありがとうと言っているが、本当はあまりお目出度いと 思わへんな?」というのです。「なんでや ねん?」と聞くと、「足も手も動いて、自分で何でも出来て101歳やったらお目出度いのやけど、人に迷惑かけていてはあかんわ・・」という。 

 
「101歳まで生きられたのは、なんでや と思う?」と聞くと、即座に「赤ん坊の時、牛乳で育ったからや」と答えました。
姉・美津江が生まれてから、自分が続けてすぐ生まれたので、母乳の出が悪く、牛乳で育てられた。だから「骨が太い」という。身体の土台が違うといいたいのだろう。またそんな昔に、牛乳で育てられた子は少ない、とも言いたいようだ。 (これは私が最後に確認しなければならない。 しかしその結果を母へ報告することは出来ない。)


「もっと他に長生きの秘訣はないのか?」と聞くと、「若いときに、生涯忘れへんくらいのよい音楽、よい踊り、よい演劇、よい映画、洋画などを、沢山見たこと」だと言うのです。
これは意外な答えであると思ったのですが、案外「的」を得ているのかも知れません。物事の評価の基準が高いところにあるのです。だから平気で、誰々は「下手や な!」と酷評し、周囲に不快感を与えていないかと心配することがありました。俗に言うプライドが高いのです。


  さらに、「くよくよしないこと」「困ったことでも落ち込まない、なんとかなると言う気持ちが大切だ」「鈍く生きることだ」と笑って言いました。
 しかし「今はすべて感謝している」と・・・いっていました。

「 いま、歩けなくなって、「ケア回生」に来たおかげで、同じ環境にいる人と自分を比べることが出来る、101歳の割には自分はしっかりしている、ぼけてヘンと自覚している。「あの方は独り言ばかり言っている」「あの方はいつもお子さんは何人ですか?」という。「だから適当に言っておく、それが聞こえていないようで、また同じことを聞いてくる」歳寄りは困ったものだと、いうのです。

自分がもう少し元気で自宅にいたときよりも、ケア回生に来てからのほうが、子供、孫、ひ孫、長い間あわなかった、自分の兄弟姉妹の子供達、そして、職員の方、府庁や市役所、社会福祉の会長さんなどなど、こんなに多くの方々に祝福されて101歳を迎えられて、こんなに嬉しいことはない。自宅にいれば、こんなに沢山の方に祝ってもらえなかったと思う。」と言っています。「ここへ来てカナン」とは言わず、私たちに対する配慮もしているのです。


そうして「もう、生きていもあんまり良いことはないが、ちょっとはよいこともある」と言っています。
ちょっと、「悟りの心境」の はしくれでも出来たのだろうか?父ちゃんのお墓参りだけ行っといてやと、毎月言うようになったのもわかる気がする。

いままで、神や仏に頼るなどということは絶対になかった、現実をしっかり見ていたのだと思うのです。
「考えてみると大橋家の中では最長老である。」大橋家に101歳なんて どこにもいない。
  長く続く大橋家の家系図の中には、医者・薬屋・学者・議員・学習院の教授まで、たいそうな肩書きの人もいるが、101歳はいない。と説明すると、「そうかな! ちょっと長く生きてる だけやけど・・・」と澄ましている。

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