裁判の準備があったり、体調もわるかったり、
で新聞が溜まりがちだったのですが、
久しぶりに届いた夕刊をゆっくり読みました。
面白かったのが、中日新聞の夕刊に毎週連載してる
【即興政治論】「NPOが『公』の担い手になるには?」。
こたえは、「市民社会で脱・下請け」。
わたしたちが、NPOの問題点と指摘していたことが、
分かりやすく説明されています。
【即興政治論】考えるポイント 見方のヒント 大学評価・学位授与機構准教授 田中 弥生さん 【Q】 NPOが『公』の担い手になるには? 2008年5月20日 中日新聞夕刊 少子高齢化社会を迎え、NPO(民間非営利団体)などの「民」が担う「公」への期待が高まっています。本当に公共政策の担い手になれるのか。NPO法ができて10年。田中弥生大学評価・学位授与機構准教授と一緒に、その可能性と課題について考えました。記者・清水 孝幸 市民社会で脱・下請け 清水 NPO法(特定非営利活動促進法)は一九九八年にできました。当時、阪神大震災を機に重要性が再認識されたボランティア団体などに「法人格」を与える法律として注目されました。あれからNPOはどう変わりましたか。 田中 最も変わったのは団体の数です。いま認証されているのは約三万四千。公益法人は制度ができてから百年以上かかって二万六千ですから、めざましく増えました。 清水 十年で課題も浮き彫りになったのでは。 田中 最大の課題は多くのNPOが経済的に自立できないことです。NPOの財務状況を分析してみると、企業の資本にあたる「正味財産」がマイナスのところが約15%もあります。少し意味は違いますが、債務超過ということです。資本を持っていませんから、借り入れも難しく、年度末になると、現金はほとんど残りません。 清水 なぜ経済的に厳しいのですか。 田中 NPOの収入は寄付や会費というイメージがありますが、寄付を集めていない団体は四割以上という分析結果があります。収入構造を見ても、寄付は全体の一割弱。事業収入が六割を超え、うち八割は行政からの委託です。行政からの委託は使った実費を精算しますから、いくら活動しても余りません。 しかも、NPOにしてみれば、地道に寄付を集めるより、まとまったお金を委託金でもらった方が効率がいい。そうして行政から仕事を受けると、契約通りにしっかり結果を出さないといけないから、スタッフはそれで手いっぱいになって、ますます寄付という自己資金は集められなくなります。この悪循環が下請け化を招きました。 -------------------------- 清水 下請け化とは。 田中 行政の仕事に依存するうち、NPOの自発性と自由な発想を失ってゆくことです。行政が出した条件がおかしいと感じても、仕事をもらうことを優先するので断れない。これでは「民」による「公」の担い手なんて言えません。 清水 下請け化すると、どうなると。 田中 NPOは社会的な使命を持って活動していますが、それよりも雇用の確保、組織の存続が優先されるようになります。すると、自主的な事業より、行政からの委託事業に時間も人材も投入するようになり、新たな仕事やニーズを開拓しなくなる。自発性や自立性というNPOの原点と大きくかけ離れた組織になっていきます。 清水 原因はどこに。 田中 NPO側にも政府側にも責任はあると思います。NPOと政府の協働は必要で、それを推進するような政策がつくられてきました。介護保険制度の導入、緊急雇用対策、小泉政権以降の「小さな政府」路線という三つの流れがそうです。 しかし、やり方がまずかった。政府や地方自治体はそれぞれ異なる政策、異なるNPOの理解の仕方のもとで、政策達成のための安価なサービス提供者として、NPOを使った。都合のいいように使われていくうち、資金基盤の脆弱(ぜいじゃく)なNPOは下請け化していったのです。 -------------------------- 清水 行政の効率化は待ったなしでも、必要な公共サービスの切り捨ては許されない。そこは「公」が担い、残りを「民」に委ねる。その中でも市場競争原理になじまない仕事をNPOがやる。そんな仕組みが求められているのでは。 田中 「小さな政府」論は理想論でなく、そうしなければ、日本社会を維持することはできません。中央集権化された官僚システムとは別のシステムで、公共を担う仕組みが必要。そのための制度設計が急務です。 でも、NPOが安価な下請けになっていては、壊れかけている従来のシステムに取り込まれるだけです。求められるのは市民社会に立脚し、自立した経営モデルをつくることです。 清水 どうすれば実現できますか。 田中 政策的にはNPOの量よりも、質や信用力を高める政策に転換し、資金調達の障害を取り除き、寄付文化を育成するための制度をつくることです。 NPO側の自助努力も必要です。自発的に公共を担う責任の重さを自覚し、市民にひらかれた、規律ある組織運営をすることが求められています。それこそが「民」が自発的、自立的に担う「公」になる第一歩です。 たなか・やよい 東京都生まれ。上智大文学部卒。慶応大大学院政策・メディア研究科修士課程修了。国際公共政策博士(大阪大)。東京大大学院工学系研究科助教授(社会基盤工学専攻)を経て、2006年から現職。専門は非営利組織論、評価論。日本NPO学会副会長。著書に「NPOが自立する日」など。 (2008.5.20 中日新聞夕刊) |
「若者が主役だったころ わが60年代」(色川大吉著/岩波書店)
「若者が主役だったころ」(色川大吉著) 自分史の提唱者である歴史家の著者が、戦後の廃墟から立ち上がり、 高度成長に突入していく1950年、60年代を個人の同時代史と して描いた。 著者は、くみとり式トイレの悪臭にへきえきとなり、食べていく のに必死でありながら、学問と歴史への情熱に燃えていた。貧しさと 隣り合わせの時代だったが、少子高齢化、介護問題など思いもよらず、 停滞感や閉塞(へいそく)感とも無縁だった。 著者はどこに立ち、何を見て、どう思考していたのか、仕事、家庭、 友人関係など、著者の生きざまを重ねながら、激動の時代の光と影、 そして、悲劇と喜劇を描く。 (岩波書店・3150円) (2008.5.20 岐阜新聞夕刊) |
わたしは色川さんのファンなので、この本はもう読みました。
前著の『カチューシャの青春』は、色川さんからいただいた直筆サイン本です。
『若者が主役だったころ』の60年代は、わたしの子どものころなので、
出来事にも記憶があり、けっこう分厚い本なのですが、
とても面白く読みすすめました。
本の中に出てくる色川さんが編んだ『日本の歴史』(中央公論)は、
姉が配本を購読していて、わたしがひかれて読んだ歴史全集なのです。
わたしは、この本で色川さんを知ったのですから、何とも不思議なご縁です。
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ついでに、といっては何ですが、
中日新聞のwebに出ていた、先週の大澤真幸さんの
「【即興政治論】Q.ナショナリズムとどう向き合う?」も面白かったです。
【即興政治論】考えるポイント 見方のヒント 社会学者 大澤 真幸さん 【Q】ナショナリズムとどう向き合う? 2008年5月13日 中日新聞夕刊 北京五輪の聖火リレー騒動はチベット問題もさることながら、中国のナショナリズムの高まりを感じさせました。日本のネット右翼の動きも気になります。政治はナショナリズムとどう向き合っていくべきか。社会学者の大澤真幸さんと一緒に考えてみました。記者・清水 孝幸 清水 まずナショナリズムって何でしょうか。国家主義とか民族主義とか訳されますが。 大澤 誰でも自分が生まれ、育ったところに愛着を持ったりします。ナショナリズムはそんな郷土愛とは違います。 日本人だって一億人以上いますよね。個々の日本人は互いに知らず、生涯会うこともない。ほとんど知らないような同胞のために、時には命を投げ出すような極端に強い帰属意識を持つのがナショナリズムの特徴です。 清水 ナショナリズムは強まっていますか。 大澤 経済も情報も人の移動も、国境がそれほど問題にならなくなって、多くの識者がナショナリズムは風前のともしびだと思っていました。でも、現実は弱まるどころか、民族的で過激な「現代のナショナリズム」が勢いを増しています。僕はナショナリズムの季節外れの嵐と呼んでいます。 グローバリゼーション(世界の一体化)で客観的に均質化は進んでいるのに、主観的な違いに敏感になって、気になりだすと、もう耐えられない。それが現代のナショナリズムです。 清水 どんな特徴がありますか。 大澤 かつての「古典的なナショナリズム」は、村とか藩とか、比較的狭い範囲の共同体に帰属意識を持っていた人が、日本という大きくて抽象的な共同体に所属しているんだと考えるようになることでした。 これに対し、現代のナショナリズムは国家という大きな単位から、より小さな民族という単位へ帰属意識が変わる。向かっている方向がまったく逆です。 清水 旧ユーゴのコソボ独立は典型ですね。日本でもナショナリズムは強まっていますか。 大澤 そう思います。でも、ものすごく強いかというと、そこは微妙です。意識調査によると、日本人の日本への自信は一九八〇年代の初頭をピークに下がっています。若い人ほど自信を喪失し、若者の間にナショナリズムが強いとは証明できません。ネットなんかで見られる右翼的な傾向は、古典的なナショナリズムとは違う屈折したナショナリズムです。 彼らはネーション(国家)が好きという以上に左翼嫌いが強い。左翼は人権とか世界平和とか普遍的な理念を前面に出しますよね。そういうものに説得力のあった時代もありましたが、今の若者には欺瞞(ぎまん)的に見え、それへの反発がナショナリズムとして現れるのです。 清水 小泉純一郎元首相の靖国神社参拝や、安倍晋三前首相の愛国心路線が煽(あお)ったのでは。 大澤 煽っただけで好きなようになるんだったら、政治なんて楽なもんですよ。それでうまくいくなら、福田(康夫首相)さんも頑張れよって感じ。小泉さんの時は、中国や韓国を含めてアジアの連帯とか、そういう優等生的な発言への反発が強い時期でした。そうした風潮に小泉さんが便乗したとは思いますが。 清水 政治に責任はないですか。 大澤 政治が無力化しているのが問題です。政治は、われわれの共同体がどういうものであるべきか決めるものじゃないですか。それなのに、僕たちには、ちまちました選択肢しかありません。あるのはガソリン税がいいか悪いか。政治的というより、行政的な選択ですよ。政治が空洞化している虚(むな)しさの中で、そうした空気を埋めるのがナショナリズムです。 清水 強まるナショナリズム、政治不信、格差拡大…。戦前の暗い時代の状況と重なります。 大澤 ある種のムードとか雰囲気が似ているのは確か。ただ、物質的、経済的な環境は違いますから、すぐファシズムが出てくるという感じはしません。自分たちが政治の中に代表されていないという疎外感がバネになって、そういう感覚を一手に引き受けるカリスマが現れた時が危険です。 清水 克服するには。 大澤 かつては経済も社会も国家の単位で動いていて、それにふさわしい国民的なシンボルやライフスタイルがありました。いま、グローバル化にふさわしい文化的なシンボルはありません。 人類は今世紀の序盤でグローバリゼーションに対応する文化的なシンボルを見いだすことができるか。ナショナリズムを克服する鍵になります。政治もちまちましてないで、社会の新たなグランドデザインを考え、示すことが大事です。 おおさわ・まさち 1958年長野県生まれ。東京大大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。千葉大助教授などを経て、2007年から京都大大学院人間・環境学研究科教授。オウム真理教や9・11テロ後の世界など現代の諸問題を研究。著書に「ナショナリズムの由来」「不可能性の時代」「<自由>の条件」など。(2008.5.20 中日新聞夕刊) |
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