昨夜10時50分からの、NHK教育「視点・論点」は、
上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」。
忘れるといけないので、10時頃からNHK教育にして、
「ゲンジボタル 謎の光を追う」をつけていた。
いよいよ「おひとりさまの老後」のはじまりはじまりー。。
(この映像は最後のタイトルバックです)
デジカメを持って待っていたのですが、
映像は最初からさいごまで「上野千鶴子 おひとりさまの老後」のまま、
上野さんが一人で話してるだけ。よく考えたら当然でした(笑)。
それでも、上野さんを撮って内容をメモして、と忙しかったのですが、
「解説委員室ブログ」に全文がアップされていました。
(上野さんの承認を得て掲載します)
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視点・論点「おひとりさまの老後」
東京大学教授・上野千鶴子
2007年09月17日 (月)
『おひとりさまの老後』、という本を出版しました。結婚していようがいまいが、誰でも最後は1人、という考え方が共感を得たようです。シングルで通した人も、死別や離別でシングルアゲインになった人も、女性も男性も、長生きすれば最後は1人に変わりありません。
2000年のデータを見ますと、80歳を超えて長生きする確率は、男性の2人に1人、女性の4人に3人です。その80歳以上の男性の10人に3人、女性の10人に8人は配偶者がいません。夫に先立たれるのは女性、と思ってる方もいらっしゃるようですが、このところ、妻に先立たれる男性も増えています。
後続する世代には、高齢シングル予備軍がいます。「負け犬世代」と呼ばれる女性のシングルが増えていることは、ご存じでしょうが、それ以上に、男性シングルが増えています。40代前半の男性の4人に1人は配偶者がいません。この中年シングルは、このまま高齢シングルに、流れ込んでいくだろうと思われます。
老いてシングル、は女性だけとは限らなくなりました。配偶者に先立たれたあと、子世帯との同居を選ばずに、1人暮らしをする人たちも増えています。日本の高齢者同居率は下がる一方で、5割を割りました。1人暮らしの高齢者は、300万人を超しました。この数はこれからも増えるでしょう。
ここしばらくの間に、介護の常識が大きく変わりました。夫婦がそろっている間は 夫婦2人で暮らし、どちらかが倒れたら、残ったほうがぎりぎりまで介護をするという、夫婦介護が、当たり前になりました。夫婦には年齢差がありますが、介護が順番に来るとはかぎりません。妻が先に要介護になる場合も多く、そのために、家族介護者のうちの男性の比率が増えています。だからといっていって、子どもと同居するって、本当に幸せなんでしょうか。
今日の同居はほとんどが、配偶者を失ってからの中途同居、それも親の呼び寄せ同居が大半です。そうなれば、子どもが親に、親の家に入るんではなくて、親が住み慣れた土地を離れて、子どもの家に入ることになります。子どもの家の家風に、従わなくてはならないのは、親のほうです。実際、中途同居の親の幸福感は、高くないことがわかっています。その上、要介護状態になったら、再び施設への入居など、同居から離れて、別居が待っていることもあります。
だから私は「お母さん、お父さん、1人で寂しいでしょうし、火事でも出されたらたいへんだから、うちに来ない?」という子どもからの誘いを、悪魔のささやき、と呼んでいます。この悪魔のささやきに対して、「おまえの気持ちは嬉しいが、私は行かないよ。住み慣れた土地の住み慣れた家で、1人で老いていくよ」と、きっぱり断るための条件はなんでしょうか。
そのためには、1人暮らしの高齢者に対するこれまでの見方を変える必要があります。自分で選んだ1人暮らしならお寂しいでしょう、は余計なお世話です。1人暮らしを選んだ高齢者には、暮らしの達人と言うべき人が多いですし、1人で暮らすことは決して孤立と同じではありません。それだけでなく、1人暮らしの高齢者の在宅生活を支える社会的な仕組みが必要になります。
私は、先進的な介護で有名な、さまざまな介護施設を訪ね歩いてわかったことがありました。入居者の方に「こちらの住み心地はいかがですか?」と、お尋ねするんですが、あるとき、そう聞くのをふっとやめました。というのは、どんなにすばらしい施設でも、ご自分の意志で入って来られた方が本当に少ないことに気がついたからなんです。
そういうモデル施設の経営者の方たちに、必ずこうお聞きすることにしています。「ご自分が要介護状態になったら、どこで介護を受けたいですか?」その中で「自分の施設で」と答えた方は1人もいらっしゃいません。お答えは例外なく「ぎりぎりまで自分の家で」というものでした。どんなに立派な施設よりも自分の家が一番というのは、高齢者の本音ではないでしょうか。
家に帰りたいというのと家族のもとに帰りたいというのは同じでしょうか。私はそうは思いません。自分の家に帰りたくても、そこに家族が住んでいるばっかりに家に帰れないということも起きるんです。これが1人暮らしなら誰に遠慮することもなく自分の家に帰ることができます。
自分の家で、他人に支えてもらって1人で安心して老いていく。そのためには、要介護高齢者の単身生活を支える仕組みがどうしても必要です。ですが、ご存じのように介護保険は単身高齢者の生活を支えるようにはできていません。家族介護が前提で、その家族の負担を軽くするのがせいぜいなんです。その家族の負担も重くなれば、施設に親を入居させる傾向がありますし、介護保険は在宅支援をうたいながら、結果として施設志向を強めたと言われています。
介護保険は、介護を他人に外注することを常識にしました。にもかかわらず、介護保険制度が目指す自立とは介護を受けない状態を指します。つまり、介護保険は使わなければ使わないほどよいという考え方です。
その上、日本の高齢者はこれまで、家族や他人からお世話されるようになったら申し訳ない、もったいない、私のような厄介者が、と肩身の狭い思いで生きてきました。自分は介護を受ける権利があると、権利の主人公にはなってこなかったんです。
人はゆっくり死ぬ動物です。ピンピンコロリというわけにはいきません。きのうまで元気だった人が、コロリっていくのを突然死って言うんです。死ぬまでの平均寝たきり期間は8.3か月と言われています。介護は受けて当たり前、だからと言って肩身の狭い思いをしなければならない理由はない、と思うと、日本の高齢者はこれまであまりに自分の権利主張をしてこなかったのではないでしょうか。
よい介護を育てるためには、きちんと自己主張できる利用者でなければなりません。そう考えて、この本には、介護される側の心得10か条もあげてみました。その点でも、自分たちの権利を自分たちの力で獲得してきた障害者の権利運動に、学ぶことがたくさんあると、私は思っています。
そう考えて、中西正司さん、この方は障害者自立生活運動のリーダーの方なんですが、この方と共著で、『当事者主権』、という本を書きました。そう言うとすぐに「負担はどうなる」という議論も起きますが、各種の意識調査を見ますと、日本の国民は自分たちの老後の安心のためなら、多少の負担増に応じても構わない、と考えてることがわかります。問題はそのお金を託すだけの信頼できる制度が構築できるかどうかです。これからますます増えるおひとりさまの男女が、安心して老後を迎えることができるかどうかは、私たちの政治的な選択にも関わっています。そして政策を決定する立場にいる人たちには、ご自分が介護される未来に対して、是非とも想像力を持ってもらいたいものです。
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関西弁のやさしい話しことばで分かりやすくて、かっこよかったです。
「視点論点」で話されていた、「介護される側の心得10カ条」です。
『おひとりさまの老後』(上野千鶴子著・法研)P195~212
「介護される側の心得10カ条」
①自分のココロとカラダの感覚に忠実かつ敏感になる
②自分にできること、できないことの境界をわきまえる
③不必要ながまんや遠慮はしない
④なにがキモチよくて、なにがキモチ悪いかをはっきりことばでつたえる
⑤相手が受けいれやすい言い方を選ぶ
⑥喜びを表現し、相手をほめる
⑦なれなれしいことばづかいや、子ども扱いを拒否す
⑧介護してくれる相手に、過剰な期待や依存をしない
⑨報酬は正規の料金で決済し、チップやモノをあげない
⑩ユーモアと感謝を忘れない
オマケは
「ケアされるとはどんな経験か?」
『atあっと』6号(太田出版)。
『atあっと』では、上野さんの「ケアの社会学」を連載中。
ケアについて、もっと深ーく知りたい方には、
あわせて読まれることをおススメします。
「ナマ上野さん」の講演をお聞きになりたい方は、
12.2「む・しネット」公開フォーラム
「さまざまなマイノリティが生き延びるために」上野千鶴子さん
に申し込んでくださいね。
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