みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

芥川賞受賞作・楊逸(ヤンイー)さんの 『時が滲む朝』

2008-08-21 19:51:38 | ほん/新聞/ニュース
ずっと紹介しようと思っていた、楊逸(ヤンイー)さんの『時が滲む朝』。
日本語を母国語としない中国人作家として初めて芥川賞を受賞したと知って、
すぐに買って読みました。



最初に読んだ時は、登場人物の名前が覚えにくくて読みにくかったのですが、
書評などを目にして、彼女の背景ともに、じっくりと読み返してみたら、
「越境」した人しか書けない視点や経験が盛り込まれ、
天安門事件、文化大革命などの歴史の時代の背景ともに、
興味深く新鮮な感動を味わいました。

前作の『ワンちゃん』は、カルコスで立ち読みしたので、
『時が滲む朝』はちゃんと買って読みました。


読売新聞に12日から15日まで辻原登さんとの「日本語で書くということ」という
往復書簡が連載されていて、こちらも読み応えがありました。



  


毎日新聞のロングインタビューとともに、
新聞紙面の書評を紹介します。

毎日新聞 著者インタビュー 
第139回芥川賞受賞作 『時の滲む朝』楊逸さん

日本語を母語としない中国人作家として、初めて芥川賞を受賞したことでも話題となった『時の滲む朝』。楊逸さんが日本語で小説を書き始めたのはなぜなのか? 自らも天安門事件の衝撃を受け、その後の中国の変貌を目の当たりにしているという楊さんが『時の滲む朝』で描こうとしたものとは?
 


以下、紹介しようと思って下書きしといた、毎日新聞ばかりです。

毎日新聞、ガンバーレー、って感じですね(笑)。

今週の本棚:張競・評 
『時が滲む朝』=楊逸・著
 
◇『時が滲(にじ)む朝』(文藝春秋・1300円)

 ◇文学越境の難しさを考えさせる話題作
 移動は二十一世紀の人類の生き方を大きく変えようとしている。ビジネス、就職、教育、婚姻、理由はさまざまだが、生まれ育った場所から離れて生きることはいまや珍しくなくなった。幼年期に移住を経験した人たちにとって、母語の概念さえ自明のものではなくなっている。言語の越境はわれわれの想像を超え加速度的に進んでいる。本書もそのような時代の奔流のなかで生まれたものであろう。
 梁浩遠と謝志強は高校時代からの親友で、中国西北部の農村からともに地元の大学に進学した。一九八〇年代の末、民主化を求める運動に加わり、若手教授の甘凌洲に率いられ、北京までデモに行く。天安門事件の後、二人は大学から退学処分を受け、甘凌洲らは海外に亡命した。梁は日本人残留孤児の二世と結婚して来日したが、海外の民主化運動の実情を知るにつれ、徐々に幻滅していく。
 日本語を母語としない作家が書いた作品にしてはなかなかの出来映えだ。前作に比べて、言語運用能力が洗練されている。文体に対し細心の注意が払われていることは、個々の言葉の使い方からも窺(うかが)える。成人してから日本語を覚えた者にとって、小説を書くにはドン・キホーテのような蛮勇と語学の天分が必要だ。そのハードルを軽々と乗り越えてしまう強靱(きょうじん)な意志には脱帽する。
 優れた小説であるかどうかは、オリジナリティがあるかどうかにかかる。読者はつねに魂が揺さぶられるような、斬新な言語体験を求めている。その期待の水平に近いほど、共鳴が得られやすい。
 しかし、文学は文体だけで成り立つものではない。器に盛られる中味のほうがより重要である。物語の構成や展開の仕方、登場人物の喜怒哀楽の描写も作品の出来映えを大きく左右する。
 小説の文体と違って、作品の内容構想において書き手は言語の制約をあまり受けない。日本語を母語とする作家でも、そうでない作家でもほぼ平等に競える領域である。
 この小説を読むとき、なぜか前作の『ワンちゃん』が脳裏を去来する。『ワンちゃん』は題材選択の着眼がよい上、登場人物はよく描けている。言語表現においてやや気になるところがあるとはいえ、ワンちゃんはまるでどこかで会ったことがある人のように、生き生きとしている。彼女の言うこと、することには何も不自然さは感じさせない。いい小説は架空のことを実際に起きたことのように錯覚させることができる。『ワンちゃん』はその点では成功している。
 この作品も物語の構成はよく推敲(すいこう)されている。しかし、ストーリーに新味がないのが残念である。とくに天安門事件が起きた後の展開にはもうひと工夫がほしい。生活体験の欠如を想像力で補うには、布置の周到さが求められる。主人公の梁浩遠が来日してから東京の民主化活動に参加した、という部分の叙述は物語の全体の流れから浮いている。問題は事実のままに描いたかどうかではない。距離感をどのように把握し、表現するかである。天安門事件を描くならば、青年たちにとって、この歴史的な出来事がなぜ魂の洪水であったかについて描かなければならない。「民主化の追求」という表面的なことを描くだけでは、浅薄感を免れない。それに比べて、梁と謝志強や甘凌洲との再会を描いた第十章のほうが遙(はる)かにリアリティがある。
 作家は生に対する深い洞察力を持たないと、よい作品を書けない。小説は言葉の芸術であって、思想信仰を表現する道具ではない。書き手の信条や価値観の如何(いかん)にかかわらず、生を描けたかどうかが作品の善し悪(あ)しを判断する唯一の基準である。
 アメリカは自由で豊かな理想国家である、と思いこんでいる梁浩遠のナイーブさは、ナイーブさとして書けていないところに遺憾が残る。アメリカの中国人民主化運動家たちがみな清廉潔白で、高邁(こうまい)な理想のために一致団結して戦っている、というくだりも事実と掛け離れている。細部のあしらい方の問題とはいえ、あえて現実と正反対に設定する根拠は見あたらない。
 何やら手厳しい批評になってしまったようだが、わたしは何もこの作品を貶(けな)すつもりはない。母語でない言葉を使って小説を書くことにはむしろ敬意を抱いている。ただ、文体に気を取られすぎたために、もっと大事なことが忘却されたのではないかと危惧(きぐ)しているだけである。
 わたしがこの小説よりも、『ワンちゃん』のほうに興味を持つのは、後者における言語規範からの乖離(かいり)である。かりに言語表現の「劣化」が文化適応の一局面であるならば、暴力的な「矯正」よりも、その理由を吟味し、クレオール化を包容することが大事である。そのことによって日本語に秘められている豊かな創造力を見いだせるかもしれない。言語の「純粋さ」に近付くことは果たして越境する作家にとって必要なのか、それとも単に凡庸さへの妥協しか意味しないのか。そのことについて今後、じっくり考えなければならないであろう。
(毎日新聞 2008年7月27日)



芥川賞:中国人初の楊さん「日本に溶け込んだような感覚」 

中国人として初めて芥川賞を受賞した楊逸さん=東京・丸の内の東京会館で2008年7月15日午後8時32分、長谷川直亮撮影 日本で生まれ育った在日韓国・朝鮮人以外の外国人として初めて芥川賞に決まった楊逸(ヤンイー)さん。会見場の東京・丸の内の東京会館に紺色のワンピース、白のハイヒールで現れた。
 楊さんは「一人の外国人として、日本語で小説を書き、しかもこんなふうに評価してくださったことを感謝しています。すごく幸せ者です。中国の人たちにも、もちろん読んでもらいたい」と流ちょうな日本語で語った。「受賞の知らせに、日本に溶け込んだような感覚を持ちました。素晴らしい賞を裏切らないように頑張りたい」と抱負を述べた。
 作中で描かれている天安門事件については「自分が何のために生きているのか、国家と個人の関係などもこの事件がなければ考えなかった」と語った。
 選考委員の高樹のぶ子さんは「国境を越えなければ書けない。日本人と比べ、主人公の激動の20年が新鮮に感じられた。日本語で書かれた個人史文学として圧倒的な力と質量があった」と述べた。
 楊さんは日本人男性と離婚後、都内で高2の長男と中1の長女の3人暮らし。学校や企業などで中国語講師をして生計を立てている。
 一方、直木賞の井上荒野さんは作家、故・井上光晴さんの長女。グレーのジャケットに黒のパンツ姿で「書くのをやめないでよかった」と話した。
 作品は父の故郷、長崎県西海市崎戸町をモデルにした九州の島が舞台。夫のいる養護教諭が、島にやって来た同僚の教諭に恋をして揺れる心をつづる恋愛小説。父光晴さんは受賞をどう思うか、という質問に対して、井上さんは「とても困りつつ、狂ったように喜んだろう」と話した。
 選考委員の平岩弓枝さんは「決定は満票です。人物が描けていて、全般に大人のきちんとしたプロの文体。腕も感性も人を見る目もしっかりしている」と称賛した。
 【略歴】井上荒野さん(いのうえ・あれの) 東京都生まれ。成蹊大卒。89年「わたしのヌレエフ」でフェミナ賞を受賞してデビュー。01年初に長編恋愛小説「もう切るわ」。04年「潤一」で島清恋愛文学賞。他に「ベーコン」など。東京都三鷹市在住。
【斉藤希史子、内藤麻里子】
(毎日新聞 2008年7月15日)


 
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『おひとりさまの老後』を読んで、スキルアップ勉強会の準備をしなから・・・日が暮れて。

2008-08-20 20:42:36 | ジェンダー/上野千鶴子
 昨日は午後から、土砂降りの雷雨のなか、
県図書館に「先進地では議会改革がどこまで進んでいるのか」を調べに行き、
上野さんが編集委員をしてる『ケア その思想と実践』(岩波書店)の最新刊、
上野さんの論文が収録されてる『6 ケアを実践するしかけ』が欲しくて、
本屋のはしごをしたけれど、結局、見つかりませんでした。

『ケア その思想と実践』(岩波書店)の「2 ケアすること」
「5 ケアを支えるしくみ」は入手。

 
この手の本は、岐阜ではなかなか手にはいらない。
アマゾンで頼むのもいやなので、もう少し探すことにしましょう。


ということで、
2冊の『ケア その思想と実践』のおもしろそうなところを拾い読みして、
そこらにころがってる野菜で簡単な夕食を作って食べました。



そのあと、読書会を翌日に控えて『おひとりさまの老後』もあらためて読み直し、
仕事はヤメにして12時すぎに寝たのですが、何がよくなかったのか、
夜中の2時半ごろ、いきなりガーンと歯噛みして、目が覚めてしまいました。

その後、なかなか寝つけなかったので、かたい本を読めば眠くなるかも、
と思って読んだのが、買ったばかりの李 建志さんの
『日韓ナショナリズムの解体-複数のアイデンティティを生きる思想』
(李 建志/筑摩書房/2008/07)

じつは、この本と『ケア その思想と実践6』を探しに本屋に行ったのです。



これがとってもおもしろくて、けっきょく眠れなくなって、
夜が明けるころまで、本を読んでいました。
うーん、こういう不摂生してるとよくないなあ・・・
とは思うのですが、 
李 建志さんの本は前著の『朝鮮近代文学とナショナリズム―
―「抵抗のナショナリズム」批判』(作品社)も共感するところが多かったので、
最新刊の『日韓ナショナリズムの解体』とともに、あらためて紹介しますね。

今日は、眠い目をこすりながら、朝からともちゃんと勉強会の分担を打ち合わせ、
それから「『おひとりさまの老後』を読む会」へ。

参加者は4人だったのですが、この本はいろんな角度から読める本なので、
まずは、それぞれ「わたし」と「親(定位家族)」との関係で、
「いっしょに暮らそう」という悪魔のささやき」
「やさしい娘でいられる距離」を巡って、はなしが盛り上がり、
あっという間の2時間でした。来月もたのしみです。 

読書会のあとは、いつもの「ひな野」でランチビュッフェ。
  

いつもより早めに帰宅して、それからずっと勉強会のレジメ作り。


パソコンの周りはもちろん、食卓にも資料が積み重なってて、


夕ご飯を作る余裕も、食べるスペースもなさそうです。

「今日のブログ、まだアップしてない」と言ったら、
先に仕事が一段落したともちゃんが台所で何か作ってくれています。

体調との兼ね合いで、9時までに夕食を済ませて、
その後、「2時間」は体を起こしてないといけないのですが、
不眠予防に、今日はリーゼを飲んで寝ることにします。


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『む・しの音通信』66号アップしました/明日20日は「『おひとりさまの老後』を読む会」。

2008-08-19 12:40:09 | ジェンダー/上野千鶴子
今日も朝から、週末の講座に向けてのレジュメづくり。

参加者から課題が届きはじめているので、その問題も盛り込んで・・・
と、外を見ると、雨が降ってきました。

午前中に仕事を片付けて、午後からは、
本屋と図書館に行こうと思っていたのですが、どうなることやら。
その前に、今日の記事をアップしておきます。

1月1日に更新してから、じつに8ヶ月ぶり。
先日、ホームページを一気に更新しました。

     みどりのwebページ

ブログをやるようになってから、めんどくさいホームページの更新は滞りがちで、
いっそのこと、辞めてしまおうかとも思ったのですが・・・・。

今回発行した、最新の『む・しの音通信』66号と、
1月に出した65号とを、一挙大公開。

『む・しの音通信』のページ
New!◆◆No.66 (2008.7.25) 
      「初心にかえろうよ!」
        事務局・寺町みどり
      「薬害C型肝炎」とわたし   
        岐阜市・新田幸子
      人生を生きるという意味・・・
       元ハンセン病療養所で出合った人
         東京都八王子市・甘利てる代
      既存の自治会ではない自治組織を目指して
        三重県桑名市・小川まみ
     前我孫子市長・福嶋浩彦氏を招いて公開講座
        「自治ネット」公開講座担当・神谷明彦
      インフォメーション
《市民運動のページ》
      ●選挙公営に関する住民監査請求
        愛知県日進市・ごとう尚子
      ●選挙公営問題の最前線/岐阜から
         岐阜県山県市・寺町知正
       ●金沢・控訴審は結審。判決日は9月22日
        ~福井・音声記録非公開処分取消訴訟?
         「原告団」事務局・寺町みどり
★-DV被害についての講演が突如中止に?!-
  つくばみらい市講演中止とジェンダー攻撃
    (月刊『創』2008.5月号より)
     上野千鶴子[東大大学院教授]

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 New!◆◆No.65 (2008.1.23) 
   ●公開フォーラム
     「さまざまマイノリティが生き延びるために」
       小川まみ・今大地はるみ・寺町みどり
   ●2008年に 想うこと
   ●ヌエック単独存続を求め、申し入れ書提出
      岐阜県山県市・寺町みどり
   ・インフォメーション
《KJ法まとめ》「さまざまなマイノリティが生きやすい市民社会をどのようにつくるのか)



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ところで、
8月8日(金)から約半年間の予定で、
「『おひとりさまの老後』を読む会」をはじめました。

第2回は、明日20日10時から12時まで、
JR岐阜駅コンコースのすぐ東に続いている
「ハートフルスクエアG」(岐阜市女性センター・2F)で開催します。
名古屋から快速で18分、交通の便がよいところです。

「む・しネット」プロジェクト企画として、
会員制ではなくて、オープン参加でやりますので、
どなたでもお気軽にご参加ください。

『おひとりさまの老後』(上野千鶴子著/法研)の本を持ってきてくださいね。
(本をお持ちでない方には上野さんのサイン本があります)

    『おひとりさまの老後』を読む会
●今後の予定
8月20日(水)  第1章「ようこそ、シングルライフへ」
9月29日(月)  第2章「どこでどう暮らすか」
10月 未定   第3章「だれとどうつきあうか」
11月 未定   第4章「おカネはどうするか」
12月 未定   第5章「どんな介護を受けるか」
2009年1月   第6章「どんなふうに『終わる』か」
2009年2月   あとがき・まとめ 


第2回の明日20日(水)は、前半は、
第1章「ようこそ、シングルライフへ」を、小見出しごとに分担してレポート。
後半は、「なあーんだ、みんな最後はひとりじゃないの」
「ひとり世帯が増えている」「ひとか、ひとりになるまでのプロセス」
「『ふたり』が『ひとり』になるとき」「カップルアゲインの可能性は?」
「『ことりでおさみしいでしょう」は大きなお世話」、それぞれのテーマに関して、
参加者が、評論やひとの話ではなくて、「わたし」を主語にフリートーク。

読書会終了後は、時間のある人は、近くのお店で、昼食を食べながらのおしゃべり。

次回以降も、基本的に、章ごとのテーマに対して、
「わたしは・・」と当事者としての自分にひきつけて話す、
という同じすすめ方をします。

「どこでどう暮らすか」「だれとどうつきあうか」「おカネはどうするか」
「どんな介護を受けるか」「どんなふうに『終わる』か」などなど、
上野さんからの、「危険な」問いとメッセージが満載。

いまは「ひとり」でいることが好きなもの同士が同居してますが、
5年後、10年後・・・わたしがどうしてるか(生きてれば話ですけど・笑)、
「おひとりさま、いいなぁ」とか、いろいろと考えさせられますねぇ。

そういう意味では、「地雷がいっぱいのアブナイ本」です(笑)。

以下、『む・しの音通信』66号に載せたインフォメーションです。

~「む・しネット」プロジェクト企画~
「おひとりさまの老後」を読む会
 
上野千鶴子さんの著書を読み始めて7年目。
今年度は、話題の75万部の大ベストセラー、
『おひとりさまの老後』がテーマ本です。
読みやすいけれど奥が深い本を一緒に読みましょう
会員制ではなくオープン企画なので、
参加したい方はご連絡ください。
会場はJR岐阜駅東の「ハートフルスクエアG」です。
◆第1回:8月8日(金)10~12時
 小研修室2(ハートフルG)
◆第2回:8月20日(水)10~12時
 小研修室1(ハートフルG)
◆第3回:9月29日(月)10~12時
 小研修室1(ハートフルG)
プロジェクトスタッフは新田幸子と寺町みどり。
お問い合わせは、058-272-2348(新田さん)。
(『む・しの音通信』66号より転載)


今回の担当は決まっているので、参加してみたい人は、お気軽にご一報ください。


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ネギと自然薯とアスパラと抑制トウモロコシ生育中。バナーネも収穫。

2008-08-18 19:21:18 | 有機農業/野菜&ハーブ
「市民派議員のためのスキルアップ連続講座」が近づいているので、
朝から集中して、オリジナルのレジュメを作成していました。

勉強会は8年目なので、いつもなら基本的な議会のルールなどは
『地方自治小六法』やわたしの本をテキストを使うのですが、
今年度の参加者は15人限定で、初参加者も3割ほどいらっしゃるし、
講師も8カ月ぶりだしね、「マンネリ打破」で
復習をかねて、書き下ろしで取り組んでいます(笑)。

夕方になって、やっと
《セッション1》「議会の基本を知らないと議員活動は安易に流れる」の
6ページのレジュメができあがったので、
気分転換に、冷たいスイカを持参して、畑までお散歩。

ブログネタを考えてないので、スイカを差し入れして、
畑仕事を撮らせてもらおうという、ミエミエの魂胆。

とちゅう、ミント(ハーブ)の花がにおっていました。
  

  

畑では、連れ合いとまどくんがお仕事中。


ちょうどタイミングよく、赤ひげ(水戸の赤ねぎ)と下仁田ネギと、
買い足した徳田ネギの苗を定植するところです。
 

畝はもうできていたので、スイカを食べてから、さっそく植えはじめ、
「わたし撮る人」で、横からパチリ、と「横撮り」。


ネギの畝の北には、ジネンジョが蔓を伸ばしていて、
ちょうど花が咲いているところです。

近づくと、甘いよい香りがします。
  

通路を挟んだ東側の畑には、アスパラガス。
更新のために、今年苗を植えたのですが、
管理がよいのか、新芽がどんどん出ています。


その南には、抑制栽培のトウモロコシ・キャンベラ。

春に種をまいた「味来」の発芽がよくなかったので、
秋のトウモロコシ・キャンベラに期待しましょう。

  

10日ほど前に植えたササゲとキュウリとトウモロコシの苗は、
もうこんなに大きく成長してます。
  

  おまけのバナーネ

畑の帰りに、庭の水遣りをしがてらバナーネを見に行くと、

熟して下向きになった実がいくつかあります。
    

そっと実に触って、やわらかくなっていそうな3個を収穫。

右のひとつはすでに過熟気味で、
蟻にびっしりにたかられて少し傷んでいました。
  
バナーネの果肉は緻密で、ねっとりとしてて極甘です。

  

イチジクの生ハム巻きは絶品で、
辛口の白ワインによくあいます。

今日のお仕事、もうやーめたっ。


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種なしキンカン・ちび丸と「海の女神」リコリスの花。

2008-08-17 11:37:20 | 花/美しいもの
ちょうど一カ月ほど前の7月中旬に花を咲かせていた
「種無しキンカン・ちび丸」。

ふと見ると、また花が咲いているではありませんか。

7月の花はびっしり咲いてて、今年こそ金柑が取れると期待していたのです。


  

その花は、すでにちっちゃな実に成っていて、
そこにまた、新たな花が咲いています。

8月の花は、近づくとよい香りがして、
青空に白く輝いています。


  

うれしいな。うれしいな。


暑さも忘れて、思わず顔がほころびます。

ユズもまた花が咲いているのでは、と見に行ったら、
もうゴルフボールくらいのグリーンの実になっていました。
 
とはいえ、
ユズの花も見た目は金柑と変わりません。

ユズの木の近くには、リコリスの花が咲いていました。

彼岸花の仲間の「Lycoris」は、
ギリシャ神話の「海の女神」の名前です。
春3月に葉が出はじめてぐんぐん大きくなり、
雑草が生えるといつの間にか葉が消えてしまって、
ある日、いきなり花が咲きます。


  
昨年は貧弱な花がチラホラ、だったのですが、
今年はダイナミックにドカンと咲いています。
春先に肥料をやったのがよかったのでしょうか。
よくわかりません(笑)。
  


それにしても、女神のようにうつくしい花です。



  

空を見上げると、百日紅が咲き続けています。


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伊吹山頂付近の花/イブキフウロ・カワラナデシコ・ルリトラノオ・シモツケソウ・メタカラコウほか

2008-08-16 20:40:27 | 花/美しいもの
伊吹山にいろんな種類のフウロソウが咲いているのですが、
山頂近くに咲くのは、固有種のイブキフウロ。
花びらに切れ込みがはいってて、大輪でステキな花です。


  

山頂に近づくにつれて、平地ではなかなか見られない
カワラナデシコも咲いていて感激。
花色もあざやかです。


  

伊吹山で印象的なのが、ルリトラノオの瑠璃色。
昨年はクガイソウが多かったのですが、
今年はルリトラノオの見事な群生が目立ちます。


  

ヤマホタルブクロも、ところどころに咲いていました。
微妙に色形がちがいます。
  


 山頂近くに咲く花たち
●クルマバナ
  
●イブキトラノオ ●ワレモコウ ●イワアカバナ
  
●シオガマギク ●カコソウ ●クサフジ
  

山頂のお花畑は、見渡す限りのシモツケソウの群生地です。



  

シモツケソウのピンクと、メタカラコウの黄色がいい感じ。


  

 お花畑に咲く花たち 

●キリンソウ(麒麟草) ●キンミズヒキ
  

  

山頂で見つけた珍しい花 
●マツムシソウ ●グンナイフウロ ●トモエソウ
  

この3種は、初めて見た花ばかりです。


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8月15日に「戦争」について考える/「人間中心主義に帰れ」『戦争とジェンダー』

2008-08-15 17:00:18 | ほん/新聞/ニュース
8月15日の今日、中日新聞は、「人間中心主義に帰れ」という社説を載せた。
天下国家を論じる社説が多いなかで、
「終戦記念日特集」の「戦争体験と向き合う」という野上照代さんと城戸久枝さんの
見開き二ページに及ぶ対談とともに、読み応えのあるものでした。

 【社説】人間中心主義に帰れ 終戦記念日に考える 
中日新聞 2008年8月15日

 歴史は自らは語りません。歴史から学ぼうとする者に語りかけるようです。六十三回目の終戦記念日は辛(つら)い歴史と向き合うべき日でもあります。
 三百万人を超える戦死者と焦土を残して終わった昭和日本の破局は一九三一(昭和六)年の満州事変に始まったとされます。
 それまで軍縮と国際協調路線に賛同し、軍部の横暴を批判する良識を持っていた新聞を中心とした言論界も中国・柳条湖での南満州鉄道爆破で一変しました。

資本主義の暴走と破局
 爆破が日本軍部の謀略であることは、現地に特派された記者がすぐに気づくほど軍の関与と宣伝が歴然としていましたが、「日本の正当防衛」「権益擁護は厳粛」で走りだした新聞は論調を変えることはありませんでした。
 言論も世論も事実に目をつぶり上海事変、日中戦争、太平洋戦争と進むにつれて神がかり。破滅に至る十五年戦争の熱狂はどこから来たのでしょうか。
 略奪や侵略が当たり前だった帝国主義の時代だったこともあるでしょう。欧米列強への恐怖と不安と長年の鬱積(うっせき)が一気に噴出したとの分析もあります。軍のマスコミ工作もあったでしょうが、この時代に垂れこめていたのは世界大恐慌の暗雲でした。
 一九二九年十月のウォール街の株暴落に端を発した大恐慌は、ドイツでナチス、イタリアでファシズムの政権を生み、日本では満州国建国の夢となりました。国家改造をめざした二・二六事件の青年将校決起には農山村の疲弊と貧困があったとされ、満州を経済圏にした日本は欧米に先駆けて国内総生産を恐慌前水準に戻します。第二次大戦のもう一つの側面が資本主義の暴走と破局でした。

自由とヒューマニズム
 資本主義の暴走という点で、グローバル経済の行方が気がかりです。最も効率の良いものが勝ち残る地球規模の経済システムは、ひと握りの勝者と多くの敗者を生み、効率追求のあまり低賃金、過激労働、雇用不安を世界に広げ、多くの国で社会保障の削減となりました。石油などの資源争奪と食料まで投機対象とする貪欲(どんよく)と無節操は帝国主義時代さながらです。
 米国を舞台にジャーナリスト活動をする堤未果さんのベストセラー「貧困大国アメリカ」の衝撃は、貧困ゆえに教育や就職の機会を奪われ、軍にリクルートされる高校、短大、大学生たちの詳細リポートです。テロとの戦いの大義を問う前に、若者たちにとってイラク戦争が生活のための戦いであることが紹介されています。
 イラク戦争に参加した日本人青年が語っています。「人間らしく生きのびるための生存権を失った時、九条の精神より目の前のパンに手が伸びるのは人間として当たり前」。貧困と生活の脅(おび)えに平和の理念も吹き飛ぶ。日本のフリーター論客の「希望は戦争」がすでに現実の世界でした。
 資本主義暴走期の大正から昭和初期にかけ東洋経済新報の石橋湛山は「一切を棄(す)つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」「鮮人暴動に対する理解」の社説で、人間の健全さを示しました。領土と植民地の解放、民族の独立自治、自由貿易体制こそ世界の進むべき道だと説いた時代を超えた論説です。
 湛山のこの自由主義とヒューマニズムこそ戦後日本の立脚点だったはずです。人間のための社会経済システムや社会保障体制が一刻も早く再構築されなければなりません。人間を雇用調整の部品や在庫調整の商品並みに扱ったのでは資本主義の敗北で、未来があるとも思えないのです。
 本紙のことしの終戦記念日特集は、映画「母べえ」の原作者野上照代さんと大宅賞受賞のフリーライター城戸久枝さんの対談で、戦争体験の風化もテーマです。
 城戸さんの受賞作「あの戦争から遠く離れて」は、取材に十年、執筆に一年半かけた力作。残留孤児だった父親の数奇な運命を訪ね歩く旅は、自分自身の存在の軌跡をたどる旅でした。
 父親が育った中国の寒村の川岸に立ったとき「父親の娘として生まれたかけがえのない人生の不思議」や「ここに存在するという奇跡的な偶然」などの感覚が頂点に達したと書かれています。

かけがえなき人生だが…
 城戸さんの発見と感動はそのまま、われわれの一人一人が戦争と地続きの歴史のなかで、かけがえのない人生を生きていることも知らせてくれます。
 一人一人が人間として大切にされなければならないのは無論ですが、あの戦争では多くの若者が日本の未来を信じることで不条理の死の慰めとしました。他人と歴史に無関心で、それすら忘れてしまったら戦後の日本が不毛になってしまいます。
(2008.8.15 中日新聞) 



毎日新聞の「論点 現代女性の8.15」も、
城戸久枝さん、朴裕河(パク・ユハ)さん、梯久美子さんの3人の女性が、
それぞれの視点からで「戦争」を論じていて、読み応えがあります。 

現代女性の8.15
■63回目の「終戦記念日」。
いま「あの戦争」と向き合う戦後世代の思いとは?■


  

最後に、ぜひ紹介したい本があります。

昨年10月に亡くなった若桑みどりさんが2005年に書かれた、
『戦争とジェンダー』(若桑みどり/大月書店/2005) 。

 『戦争とジェンダー―戦争を起こす男性同盟と平和を創るジェンダー理論』
序論 理論的前提 家父長制社会とジェンダー
第一章 ひとはなぜ戦うか-若者を死に赴かせる「男らしさ」の文化的構築 
第二章 戦争のない時代があった
第三章 「男らしさ」と戦争システム
第四章 国家、それが戦争を起こす
第五章 女性差別と戦争
終章 翌朝に向かって


この本の序章は、以下の書き出しで始まります。

序論 理論的前提--家父長制社会とジェンダー

 この本は、現代を切迫した危機に瀕した時代とうけとり、その最大の危機こそは「戦争」であり、「戦争」を生み出すものは「家父長制的男性支配型国家」であることを明らかにする目的で書かれる。
 戦争を憎み、平和を愛する人びとは数限りなくいて、そのなかのひとりがこの本の読者になってくれる人だと思う。しかし、そのような読者の大部分が、戦争を生み出すものが、家父長制国家であるという私の論の主旨には、とまどうか、違和感を抱くかするであろう。しかし、すでにジェンダー理論を学んだ人びとには、この結論は意外でもなく、驚きでもないこと、むしろあたりまえのことであろう。
 私と問題意識を共有するフェミニスト思想家の大越愛子は、1960年代のヴェトナム反戦運動を経た第二期フェミニズムにおいて、「戦争は性差別、性暴力を主柱とする男根中心的な家父長制体制を維持する暴力装置として再定義された」と述べている。この言い方は、とても正しいにもかかわらず、ジェンダー理論を知らない人にはわかりにくいし唐突かもしれない。ジェンダーのものの見方を分かりやすく説明することも、本書の重要な目的である。ジェンダー理論は既にあまりにも堆積してしまったので、少し難しくなっているからである。・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 いうなれば、古来、戦争を語ってきたのは「戦争を遂行する側のジェンダー」である男性権威者によってだったのが、歴史上はじめて、どちらかといえば戦争を起こす男性に奉仕したり、男性が起こした戦争によって被害を受けたりしてきた女性たちによって再定義された、ということになる。また、その結果として、一口に言ってしまえば、戦争は「男たちが自分を中心に組織している体制を維持するための暴力装置だ」ということになる。
 もっとひらたくいえば、戦争とはマッチョな男たちが利益を独占し、自分たち以外の人間にはうまい汁を吸わせない為に、組織的な暴力を振るって自分が強いことを見せ、皆を恐怖で支配しようとするシステムだということである。
 それでも、多くの読者はおそらく納得しないだろう。いったい、ここで言われている男根主義(ファロセントリズム)とか、家父長制とか、そもそもフェミニズムとかジェンダーとか、そういうキーワード自体に馴染みがなく、違和感のある読者もいるはずである。また、戦争とはある場合には「正義」でもあるから、そういうまとめ方は一方的だという読者もいるだろう。もっとも多い反論は、戦争はヤクザの暴力ではない、国家が合法的に行う集団的暴力なのだろか、したがって「正当」なのだ、という意見であろう。
 実は、それこそが問題なのだ、ということをこの本は指摘する。今たとえ違和感があっても、反論があっても、あなたは戦争がこの世界でもっともむごたらしい集団的な殺しあいであり、非戦闘員を含めての集団的殺人であるということは認めているだろう。そのことをなんとか正当化するために、古代から現在まで無数の男たちによって戦争論が書かれてきたし、また多くの戦争反対論も書かれてきた。しかし、戦争は今日も終わらないのである。
 これほどに賢明で、これほどに進歩してきた人間が、どうしてこの愚行をやめることをできないのか。答はある意味で簡単である。戦争をしたい人間たちがこの世を支配しているからだ。そしてそれは疑いもなく「ジェンダーとしての男性」である。むろん、彼らを定義するのには、「ジェンダー」だけでは十分ではない。これほどのことを遂行するからには、彼らは「権力をもった支配階級」であることが必要である。時代によってさまざまな要素がそこには加わるが、まずここではそれを確認しておきたい。
 戦争を遂行する側の男性の戦争論は、それを肯定し、また維持してきた。そのことは当然である。またいっぽう、男性が書いた反戦論が無力だったことはもうはっきりしている。なぜなら戦争は止まらなかったからだ。それなら、今度は、歴史的に戦争を遂行してこなかったほうのジェンダーである女性たちがかわって戦争論を語ろうではないか。それを読もうではないか。それが本書の目的である。・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(『戦争とジェンダー』序論P5~12より引用)


そして、この本の終章は、以下の言葉で終わります。

終章 翌朝に向かって
・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第三、それは、すべての人が性別、人種に関わりなく尊厳が保障されることである。彼女はアメリカが軍事的な安全保障を最優先させていることを痛撃する。リアドンが、アメリカ人であることを考えると、この文章は大きな意味をもってくる。アメリカは日本を含めて、世界の軍事的安全保障を牛耳っているからだ。
 「国家はどのような時に軍事で対応するのだろうか。国家レベルではどのような対応がなされているのだろうか」。
「防衛の手段をもっと非暴力的なものにし、人間の安全保障を実現するにはどのような手段をとればよいのか。女性のアプローチと男性のアプローチは違うのか、この国の女性たちは平和と安全のためにどのような取り組みをしているのか。この社会で非暴力による防衛を実現しようとするときになすべきことは何か。社会制度と国家の仕組み、また文化の面でされるべき変革は何か。
 他の国家との関係が敵対的であったとしたら、それを相互理解に基づいた友好的な関係に変革するためにはどのようなやり方をとればよいか。人間の安全保障が(国家の安全保障ではなく)実現されるような公正なグローバルシステムに移行するために必要な変革とはなにか」。「私たちがするべきことは何か。あなた自身にできることは何か。人間の安全保障にむかって地球に住む私たちはどのように互いに助けあうことができるか。」
 これらはすべて彼女の問いかけである。この問いかけに対して、われわれは、日本に住むことの稀な重要性を自覚するのだ。日本はまだアメリカのように他国をあからさまに攻撃してはいない。われわれのなすべきことはわかっている。アメリカ人のリアドンが切望している国家の憲法をすでにもっているのだから。われわれは、戦争を放棄するというこの憲法を守ることによって、彼女の切実な問いかけに答えることができる。だがそれは今危機に瀕している。われわれは、世界に先んじて、世界の理想となるべき平和を掲げた。それを守り、それをグローバルなシステムに移行させるようにしなければならない。
 結びで、リアドンは、答えは市民運動にあるといっている。より多くの市民が戦争を防ぐ運動に参加すること、安全保障を「脱軍事化」すること、つまり非暴力と人間の生命を守る安全保障へと概念変革すること、その具体的な提案をすることを求めている。そのためには、さまざまな運動にかかわっている女性たちは、長期的な視野を持ち、国境を越えて助けあえるようになることが大事だとリアドンはいう。
 ここでリアドンが提案していることは、環境保護、人権問題、性暴力、人種差別撤廃、児童福祉、平和擁護、女性の主流化、それらすべての運動、一見ばらばらで行われているすべてのより善き社会への努力は、すべて既存の権力支配的、男性中心的、暴力主義的、利益優先的な特徴を備えた家父長制的価値観を壊し、あらたな人間中心の協調的な生活のパラダイムを作り出すという意味において、フェミニズムの求めるものと完全に結びつき、共同の連帯運動となるのであると。
 ここでリアドンの最後の呼びかけを、心からの賛同をもって書いておきたい。「最後に、あらゆる平和運動は、家父長制と軍事主義をこえるために、ジェンダーの平等性と非暴力の原則を受け入れ、実践しなければならない。『人間の安全保障』にむけて私たち自身の考え方と、キャンペーンのありかたを変えていくことで、私たちは軍備による安全保障システム、そしてそのシステムを操る家父長制をも変えていく原動力になることができるだろう」。
 私にはこれ以上にいうべきことはない。私は、彼女の方法に賛成する。国家は、21世紀のあいだは解消されえないだろう。ベンミヤンが戦争、殺戮、全体主義の根源悪として、平和のためには廃棄されなければならないといった国家はとうぶん廃棄できないだろう。しかし、国家を越えた女性の市民運動をつくることはできる。最低4000年は続いた家父長制は、女性が連帯することで、国家よりも早く脱構築することができるかもしれない。ここに流血はない。ここに年表に載るような革命はない。革命は暴力的であり、それ自体「家父長制的」だ。毎日の微細な、持続的な、あらゆる局面での、一歩ずつのあきらめない努力があるだけである。それがあるとき、すべてを変える沸点に達するだろう。
(『戦争とジェンダー』終章P234~236より引用)


この若桑みどりさんの遺言ともいえる言葉を深く胸に刻んで、
わたしは、「翌朝に向かって」、わたしの一歩を踏み出そうと思うのです。


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伊吹山・西遊歩道の花たち

2008-08-14 12:48:21 | 花/美しいもの
お花畑を目当てに何度も訪れている伊吹山。
駐車場からは、いつも西遊歩道を登ります。
山頂までの所要時間は約40分ですが、なだらかな上りで、
花を撮りながら歩くには手ごろです。



西遊歩道の上り口近くには、アカソが群生してきれいなのですが、
虫が発生して丸裸(無残)

クサボタンは西遊歩道の入り口近くにあり、
今年はまだつぼみで花がちらほら。
  
●昨年のクサボタン

ツルニンジンも近くでみつけました。
 

少し登るとシモツケソウとクガイソウもちらほら。
 

  

コオニユリとハナウド
 
ツリガネニンジン
  

伊吹山にはいろんな種類のアザミが咲いているのですが、
これは、8月中旬から咲き始める伊吹山固有のコイブキアザミ。
西遊歩道は蕾。山頂近くなるとちらほら咲いています。
  
西遊歩道に咲く色が濃い花は、ミヤコアザミか?
 


タムラソウ(田村草)の花はアザミに似ていますが、
はにとげがありません。

薬草にもなるオトギリソウ(弟切草/オトギリソウ科)
「弟切草(オトギリソウ)」の名の由来は、昔々傷を治療していた秘密の薬草を、
人のいい弟が他人に口外したために、兄が怒りその弟を切り殺したのです。
その血しぶきが花や葉に黒い点々となって残ったと伝えられているそうです。
  
その油点が、タンニンとヒペリシンという成分を含み、
生薬名は小連翹(しょうれんぎょう)といい、
煎じたものを、切り傷の止血薬や月経不順の鎮痛薬、
うがい薬などに利用されます。

ほかにも、かわいい黄色い花たちがあちこちに咲いています。

キバナノレンリソウは、伊吹山だけに咲くマメ科の珍しい野草。
室町時代にやってきたヨーロッパの牧草で、「信長の薬草園」の名残とか。
  

オオダイコンソウと、
   
ポピュラーなコウゾリナ。
  

伊吹山には、固有種も含めて、たくさんの高山植物や山野草が咲いています。
山頂付近は、夏から秋のお花畑が見事です。
お盆休みを利用して出かけたら、感動すること間違いなし。
ただし、遅くなるとドライブウェーが渋滞するので、
朝早めに行くのがお勧めです。

次は西遊歩道の上のほうと、山頂のお花畑を紹介しますね。


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風蘭の花とアブチロン・メドーセージ/前庭の花たち

2008-08-13 19:14:21 | 花/美しいもの
あさ5時に起きて、前庭を発掘しました。

ほんとうは風情のある岩や枯れ池もある「お庭」なのですが、
草に埋もれて、見る影もなし(笑)。

ここは草刈機が入らないので、わたしの担当。

お盆までにはきれいにするから、
と、口では言っていたものの、なかなか手がつかず
・・・とはいえ、このままほっとくわけにもいかないし・・・・
・・・イチジクもネットハウスを作ってもらったし・・・
とうとう後がなくなって、昨夜は「明日やるから起こしてね」と言って寝ました。

今朝は自力でおきてきて、「よしやるぞ!」
サクサクと草を刈って、倒れていた萩や吾亦紅をしばって、
余分な木の枝を剪定して・・・水を撒いて、約3時間の庭仕事。
(ねっ、やりだしら早いじゃん)。





さわやかな風がふきわたってスッキリ、
見違えるほど、きれいな「お庭」になりました。


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ところで、一昨年購入した東洋ラン。
本来は着生ランなので、昨年夏に、前庭の岩から這い上がっている
アメリカノウゼンカズラにくっつけてやりました。
  

戸外で越冬するということなので、そのまま忘れていました。
先日、ふと見ると、なにやら白いものが咲いています。


ラベルが消えてしまっていたので調べてみたら、
フウラン(風蘭)の花です。

フウラン
初夏に花を咲かせる。花はよい香りがする。
花茎は、茎の基部の方の葉の間から出てそれぞれに3-5個の花が出る。
花茎からはさらに長い子房がのび、花はその先につくので、上の方で花が咲く。
花は純白か、わずかに赤紫を帯びる。五弁はやや細目の倒卵形で、反り返る。
唇弁は前に突き出し、少し三つに割れる。
花の下には距があるが非常に長く、下に向かって垂れながら曲がって、最後は前を向く。
一つの株ではほとんどの花が同じ方向を向いて咲くので、非常に印象的である。


  
ちかづくと、甘くてよい香りがします。
2センチくらいの小さな花なので、撮るのに苦労しました。

フウランの着生している岩の横には、濃紫のメドーセージの花。
春からさきはじめて、ずっと咲いています。


  

お隣のアブチロン(チロリアンランプ)も
丈夫で、長く咲きつづける、かわいい花です。


  

秋明菊のつぼみもふくらみはじめ、
  
ピラカンサも実をつけています。
  

お盆が過ぎると、秋風が吹き始めます。


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猿よけハウス完成/イチジク・バナーネ攻防戦第一弾。

2008-08-12 19:15:34 | 花/美しいもの
イチジク・バナーネの夏果が猿に横取りされてしまったようなので、
連れ合いに対策を考えてもらっていました。

消えた?イチジク・バナーネ、猿との攻防はじまる (2008.8.8)

とりあえず畑仕事のめどが立ってから何とかしよう、
ということだったので、草刈機で夏草だけ刈ってもらって、
ときどき見に行っていました。


畑は、まどかくんとともちゃんがいっしょに、
抑制栽培のササゲやきゅうりの種をポットにまき、
芽が出た苗を植え終わって、
  
秋冬野菜用の畝も作って、ポリをかぶせて熱処理しているところ。

なんとか仕事のめども立って、猿対策の資材を買ってきたらしいので、
期待していました。

今日は朝から、「闇の子供たち」の映画を友人と名古屋まで観に行って、
ゆうがた帰ってきたら、なんと!

イチジク・バナーネがすっぽりとネットのハウスに覆われています。


わたしが涼しいところで映画を観て感動しているあいだに、
炎天下のクソ暑いなか、こんな立派な「猿よけハウス」を作ってくれてたなんて
感謝! 感激! 雨アラレ

 ともちゃん、まどくん、ありがとう
 
  
これならあと数本、イチジクを植えてもよさそうなので、
鉢のまま、2年もほってあるホワイトゼノアも植えることにします。

塀の南の草も刈ってくれてて、
草に覆われてむさくるしかった植木たちもすずしそう。

枝垂れ梅の下には今年最後の「白鹿の子百合」も咲いていました。

百合の中ではいちばん遅咲きで、日本原産の純白の百合です。
  
うつむきに咲く様に、なんともいえない風情があります。

百合の花を見ていたら、トンボがやってきました。

接写しても、逃げません。

その下の草では、コガネムシがおとりこみ中。
  
接写をしたら、2匹とも両足を広げて警戒姿勢、
そのまま、コロンと落ちてしまいました。

あーあ、ごめんなさい。


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