アップしようと思ったら、gooブログが開けなくなってしまいました。
最近またgooがおかしいので、こんなこともあろうかと、
ある程度「下書き」を送信しておいたのでよかったのですが・・・
ということで、集中力が途切れて散漫になってしまいましたが、
続きを書き足して、完成(公開する)。
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5月のアントニオ・ネグリのシンポのと、
7月の上野さんのバースディで、姜尚中さんを間近に見ました。
イケメンで声もよいので?いまや注目の政治学者なんだけど、
姜尚中さんは指紋押捺拒否者でもあり、
わたしも同じころ、この運動に関わっていたので、
とても親近感を覚えて、本はほとんど読んでいました。
シンポのあとの打ち上げでは、斜め前に座っていらしたんだけど声もかけられず、
上野さんのバースディでは、60本の薔薇の花束を抱えて
サプライズ登場されたんだけど、
シャイなわたしは、写メールに殺到する人たちに圧倒されて、
後ろから控えめに観察するだけでした(笑)。
本物にお会いするのは3度目で、もちろん、相手には認識されておらず・・・
上野さんとのツーショットを写せばよかったかな、と、思っていたら、
この場にいらっしゃって、同じく控えめだった(らしい)酒井順子さんが、
先週発売の『週刊現代』8月9日号の連載エッセイに、
「その人、独身? 60本の赤い薔薇」を、ちゃんと書いてみえました。
あの場の雰囲気をよく表現していらっしゃるうまいエッセイですね。
控えめな風で、ちゃんと観察していらっしゃったのはサスガ。
姜尚中さんの最新刊の『悩む力』(集英社新書)は、
各紙の書評に取り上げられていて、書店の売り上げランキングも上位。
最近では中日新聞の「家族のこと話そう」にも登場しました。
ここに書かれている家族のことは、『在日』(講談社)にも詳しいです。
この本は、集英社から文庫本が出ています。
『悩む力』(集英社/2008) 『在日』(講談社/2004)
姜尚中さんは若い人たちにも人気で、わが家ではカンさんの本を買うと、
遊びに来た子たちに持っていかれてしまいます。
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『悩む力』はかんたんに読めるのに奥が深い本で、
この本が出たばかりの頃の、インタビュー記事が面白いので紹介します。
ノウハウ本を捨てよ、悩む力が閉塞を打ち破る 政治学者、姜尚中氏が語る「悩む喜び」の極意 2008年5月26日 日経BP 篠原 匡 『悩む力』という新書を上梓した政治学者の姜尚中(カンサンジュン)氏。文豪・夏目漱石や社会学者・マックス・ウェーバーを題材に「悩むことの意義」を描いている。悩むことで自分の中の内なる力に目覚める。それこそが、生きる力や創造性につながると説く。 仕事、恋愛、家庭、金――。長い人生、“悩み”は尽きることはない。常に心を重くする、ネガティブな響きがつきまとう。だが、姜尚中氏は「悩むことは喜び」と発想の転換を求める。その意味することは何か。悩み多き現代人の1人として話を聞いた。 ( 聞き手は、日経ビジネス オンライン記者 篠原 匡 ) ――悩みなど持ちたくない。多くの人々はそう思うものです。でも、その悩みが生きる力になるという姜さんの主張はとても斬新です。「悩む力」というテーマを、夏目漱石とマックス・ウェーバーという2人の先人を題材に描こうと思ったきっかけを、まず聞かせて下さい。 姜 1つには58歳という私の年齢があるでしょう。自分の過去を振り返っても、未熟だったというか、それこそ赤面して穴があったら入りたいと思うようなことの連続でした。私自身、意外と悩んできた方の人間だと思っています。 昨年、NHKの「知るを楽しむ」という番組で夏目漱石に関して話をする機会に恵まれました(2007年7月放送)。漱石は私が一番好きな作家。子供の時から一番、読んでいました。この番組で完全に素人の、僕なりの漱石論を話しました。 僕はよくネクラと言われますけど、高校まで野球ばっかりやっていたくらいで、まったくネクラではありません。ただ、どうしても悩みのカサブタみたいなものが積み重なっていってしまった。作品を読んでもらえれば分かるように、漱石も同じように悩みの人だった。4回の番組でしたが、自然と「悩み」が1つのテーマになったんですね。 実は、漱石もウェーバーも僕より早く死んでいる(漱石は49歳、ウェーバー56歳)。漱石のあのひげ面を見て、僕より若いとはとうてい思えないんだけど。それを考えると、自分は何をして生きてきたのかな、と。それで、2人を手がかりに悩みを書いてみたいと思ったんですよね。 漱石が生きた時代と重なる衰退の予兆 ――確かに、漱石は40代とは思えない貫禄がありますね。 姜 もう1つ重要なことは、彼の生きた時代と我々の時代がかなり似通っているという点です。漱石が生きたのは日露戦争以降、新興国家として隆盛を極める一方で、間違いなく没落していくという気持ちもある。そんな相半ばする感情がせめぎ合っている時代でした。 今の日本も同じに見えます。どうやらかつてのような高成長はもう打ち止めではないか。うまい言葉が見つかりませんが、どうやってうまく衰退していくか。みながそう感じているのではないでしょうか。このような時代には、漱石が出した1つのテーゼが示唆的だと思っています。 それは、「身の丈で生きよう」ということ。前に前にがむしゃらに生きていくのではなく、身の丈で生きていこうということです。漱石は拝金主義で凝り固まった成り上がりを嫌悪していました。恐らく、(帝国主義の覇権を確たるものにしていた)英国に留学して、英国に対して反感を抱きながら、悩んで会得したことだと思うんですね。 僕の人生観も戦後の高度経済成長期そのものだから、前へ前へとがむしゃらでした。ただ、高成長が難しくなって、みなが目標を喪失気味になっている。「前へ前へ」ではなく、もうちょっと、身の丈で生きてもいいのではないか。そういうメッセージを普通の人に送りたかった。 ――著書の中では、漱石の作品とカネの関わりにも言及されています。 姜 あまり皆さん指摘しませんが、漱石の作品ではカネが大きなトピックになっている。よくよく見ると、彼は終生、カネの問題に悩んだ。今でも、老後の不安でも何でもありとあらゆるものが、カネに通じているでしょう。この悩みの根っこにあるものを、彼なりに文学の中で考えているんですね。 『心』には、カネは人間関係を壊す根源のように書かれています。『それから』でも、代助の進退を決定づけた要素はカネ。『明暗』も生活費が夫婦関係のネックになっている。急速な経済発展によって大国への道を歩み始めていた日本と、同時に出現した成り上がりに目を凝らしていたのでしょう。 現在はどうでしょうか。1990年代以降、マネーがマネーを生み出す世界が加速度的に進みました。我々は子供の頃からマネーがマネーを生むというのは、それこそダメな儲け方だと。倫理にもとるということを価値観として教え込まれてきました。でも今は、倫理にもとるものが檜舞台に立っている。 全世界が「シャイロック」のようになってしまった。それとは反対のことを教え込まれてきた私にとって、まさに裏切られたような気分です。額に汗水とまでは言わなくても、それなりに真面目に働いて、身の丈に合わせて生きられるんじゃないかと思うのですが、世界中がカネに右往左往している。これは、漱石と同時代を生きたウェーバーが言った資本主義とも少し違うと考えています。 「精神のない専門人、心情のない享楽人」 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を著したウェーバーが考えた資本主義は一定の倫理に従った、市民的な生き方に裏づけられた経済だったと思います。ところが、彼が亜流と考えていた「正統資本主義の逸脱」が今、正統になっているんですよ、はっきり言えば。 本来、金融というのは経済の潤滑油。生産活動の中で取引をスムーズに動かす潤滑油という役割だったと思うんですが、今はもう製造業よりも金融サービスの方にはるかに価値を見いだしている。帝国主義の時代を生きたウェーバーは、資本主義の行き着く先を『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾でこう述べました。 「こうした文化的発展の最後に現れる『末人たち』にとっては、次の言葉が真理になるのではないだろうか。『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登り詰めた、と自惚れるだろう』」 今はどうでしょうか。このようなグローバル金融資本主義を資本主義の変質と見るのか、もともと資本主義とはそういうものと見るのか、この点は置いておいても、この流れは避けられない。 こういう社会の中で、人間はどのくらいまともでいられるか。まともに働いて、家族を作って、自分の将来を考える――。正直言って、これはかなりしんどいことだと思います。そういう世界で生きざるを得ない人、特に若い人は、目先のノウハウなどに一喜一憂しないで、むしろ自分の中にある力を内省的に振り返ってほしい。 悩みは不幸の種ではない ――最近は悩むことそのものが格好悪いという空気があるような気がしますね。 姜 みなさん、悩むことを不幸の種と考えているようだけど、これは不健全なことです。インターネットを見ても、「なぜあの人がああで私がこうなのか」「悩みのない人はむかつく、許せない」など、そういう情念の海が広がっています。でもね、僕は不健全だと思う。 実はね、悩むことも喜び。そのことに気づかないとね、ダメだと思うんですよ。やっぱり悩まないと、自分というものが分からないし、自分にとって大切なものも分からない。今のような悩むことを是としない風潮が、今の閉塞感を生み出しているんじゃないでしょうか。悩みをくぐり抜けないと、生きる力や思考力、創造的なアイデアは出てこない。それで、こういう本を書こうと思ったんですね。 ここ数年、自殺者がものすごく多いでしょう。この10年で30万人が死んでいる。新聞で読みましたが、20歳以上の男女で5人に1人が自殺を考えたことがある、25歳では4人に1人があるという。これはかなり深刻なことではないでしょうか。やっぱり自分の中に本来備わっている力を目覚めさせることは、こういう人たちへの処方箋にもなると思うんです。 徹底して悩めば怖いものはなくなる ――その「内なる力」は悩むことでしか発露しないのでしょうか。 姜 そう思います。でも、中途半端ではダメでしょう。今、時代は中途半端を許さなくなっています。中途半端なところで悩むことをやめると、自我を打ち立てることも、他者を受け入れることもできません。中途半端ではなく、徹底して突き進むことが重要です。 悩み抜いて、突き抜けると、人間は必ず“横着”になれる。横着になった時、意外と死ぬなんてばからしい、もっとこんな生き方をしてみようか、という考え方になるんじゃないでしょうか。ここで言う横着とは、「悩み抜いて怖いものがなくなる」という状況と同じと考えてもらっても構いません。 今はスピリチュアルなものが百出しています。この不確実な時代の中で、一人ひとりがどういう生き方をすればよいのか、何を信じればよいのか、分からなくなっているためでしょう。しかし、スピリチュアルが魅力的に映るのは、自分の中にある力に目覚めていないということでもあります。 これは、自由のパラドックスです。自由であるほど、自由に耐えられなくなる。誰かに命令された方が楽だから、それを待ち望んでいる。悩む力を自ら摘み取っているわけですね。悩みの海を泳ごうと考える前に、浮き輪かボート、場合によっては豪華客船を夢見て、自分で泳ぐことが端から頭にない。 これだけ情報が溢れている時代です。簡単には自由を行使できないから、世間的にみんなが合意している事柄を基準にした方が早い。こういう情報の海の中で、1つのことを、赤い糸に導かれてやっている人は輝いて見える。今の時代ほど、モデルを求めている時代はないのかもしれませんね。 でもね、人が生きている以上、自分の中に力があると思うんです。自分の中に悩む力を見いだせば、一人ひとりが主人公になれるはずなんですね。私はスピリチュアル全体がイージーとは思っていませんよ。ただ、自分以外のものにすべてを委ねてしまう。こういう傾向は強くなっています。 ――「悩む力」というタイトル。「悩む」というネガティブな言葉と「力」というポジティブな言葉の両方が含まれているところが興味深いですね。 姜 違うタイトルもあったけど、いろいろと考えた末にこれがいいと。以前、『脳内革命』という本がベストセラーになったでしょう。なぜ流行ったのか。僕の解釈では、自家発電的に自分を変えれば世界が変わるというところが受けたのかなと。これだと自分の脳を変えるだけでいい。そこに他人は介在しない。 ノウハウ本を捨てよ、一人で悩め! ――要するに、自己完結できると。 姜 そう。今も脳生理学に人気がある。なぜみなが脳に惹かれるかというと、他人が鬱陶しいんだよね。他人は怖いし、鬱陶しい。不安の種になる。職場や男女関係など、いろいろなところで臆病になっているのでしょうね。でも、親子や恋人、夫婦など他人がいるからこそ悩みがある。多くの悩みの種はすべて他人との関係で生まれる。 どんな人間だってみなから注目されれば悪い気持ちはしません。僕だってそうです。お互いが承認し合って、他者との関係が自分の力になっていくようなコミュニケーションを多くの人は欲している。その意味では、悩む力は他者とともにある。 僕は自分が今まで悩み抜いてきたという自分なりの自負があります。その経験を前面に出して、多くの人が悩む呼び水になればいいと思っています。ノウハウ本は雨後のたけのこのようにありますが、悩んで悩んで、自分の中にある力を見いだしてほしいですね。 姜尚中(カンサンジュン)氏 1950年生まれ。早稲田大学政治学研究科博士課程修了。東京大学大学院情報学環教授。専攻は政治学・政治思想史。著書に『マックス・ウェーバーと近代』ほか(写真:村田和聡 以下同) |
まだお読みでない方は、ぜひ手にとって読んでみてくださいね。
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