昨日、新しいいのちが誕生して、
ほくちゃんとさちさんとゆうちゃんに家族が増えました。
もうすぐ3歳になるゆうちゃんは、ひとりで高富にお泊り。
ゆうちゃんを送りがてら長良医療センターに行き、
ついでに、わたしも病院を受診してきました。
先週から体調がなんとなくよくなかったのですが、
検査の結果、かるい膀胱炎か。
クラビット錠500mgを三日間飲んで、様子を見ることに。
水分をたくさん摂ること、からだを冷やさないことなどなどの注意。
これで治らなければ、専門医を受診すること、といわれました。
疲れ気味ではあったけれど、はたらきすぎてはいないんだけど・・・。
昨日紹介した11月2日の紀伊国屋サザンセミナー 「戦争の論理」が駆動するとき
は、
「上野千鶴子×森 達也×加藤陽子」の豪華キャスト。
加藤陽子さんは著書の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)で、
第9回小林秀雄賞を受賞されました。
刊行されたときに本屋で見つけて、おもしろそうな本なので、
買うかどうか迷っていたのですが、
「小林秀雄賞受賞」と知って、本を買って読みました(笑)。
とても読みやすく、インパクトのある本です。
それでも、日本人は「戦争」を選んだ
(加藤陽子著/朝日出版社/2009/7/29)
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書評がたくさん出ているので、紹介します。
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ほくちゃんとさちさんとゆうちゃんに家族が増えました。
もうすぐ3歳になるゆうちゃんは、ひとりで高富にお泊り。
ゆうちゃんを送りがてら長良医療センターに行き、
ついでに、わたしも病院を受診してきました。
先週から体調がなんとなくよくなかったのですが、
検査の結果、かるい膀胱炎か。
クラビット錠500mgを三日間飲んで、様子を見ることに。
水分をたくさん摂ること、からだを冷やさないことなどなどの注意。
これで治らなければ、専門医を受診すること、といわれました。
疲れ気味ではあったけれど、はたらきすぎてはいないんだけど・・・。
昨日紹介した11月2日の紀伊国屋サザンセミナー 「戦争の論理」が駆動するとき
は、
「上野千鶴子×森 達也×加藤陽子」の豪華キャスト。
加藤陽子さんは著書の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)で、
第9回小林秀雄賞を受賞されました。
刊行されたときに本屋で見つけて、おもしろそうな本なので、
買うかどうか迷っていたのですが、
「小林秀雄賞受賞」と知って、本を買って読みました(笑)。
とても読みやすく、インパクトのある本です。
それでも、日本人は「戦争」を選んだ
(加藤陽子著/朝日出版社/2009/7/29)
小林秀雄賞:加藤陽子さんに「本で答えを出さず、読者が考える新手法」--贈呈式 第9回小林秀雄賞(新潮文芸振興会主催)の贈呈式がこのほど東京都内で行われ、著書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)で受賞した加藤陽子・東京大教授に賞状などが手渡された。加藤さんは日本近現代史の研究者で、毎日新聞日曜朝刊「時代の風」の執筆者を務めている。 加藤さんは神奈川県内の中学・高校生を相手に、日清戦争から太平洋戦争まで近代日本の五つの戦争について特別講義を行った。その内容をまとめたのが受賞作だ。選考委員の橋本治さんは「今の評論は、書き手が一人で問題を背負い、独り善がりになったり、結論が散漫になったりする。加藤さんの本は答えを出さない。周到に教えれば読者が考えることにつながるという方法に新しさがある」と評価した。 加藤さんは、大学での授業で太平洋戦争を扱った米映画「硫黄島からの手紙」を学生に見せ、感想を書かせたことなどに触れ、「学生にとって『生きていくのは一人でも大丈夫。でも一人じゃない』という感覚を持つことが大事。それを中高生の授業でも心掛けた」と話した。そして「この本の新しいかもしれないところを見いだしていただいた」と感謝を述べた。【大井浩一】 毎日新聞 2010年10月25日 東京夕刊 |
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書評がたくさん出ているので、紹介します。
それでも、日本人は「戦争」を選んだ(朝日出版社) かつて、普通のよき日本人が「もう戦争しかない」と思った。世界最高の頭脳たちが「やむなし」と決断した。 世界を絶望の淵に追いやりながら、戦争は きまじめともいうべき相貌をたたえて起こり続けた。 その論理を直視できなければ、かたちを変えて戦争は起こり続ける。 だからいま、高校生と考える戦争史講座。 日清戦争から太平洋戦争まで。講義のなかで、戦争を生きる。 * 生徒さんには、自分が作戦計画の立案者であったなら、 自分が満州移民として送り出される立場であったなら などと授業のなかで考えてもらいました。 講義の間だけ戦争を生きてもらいました。 そうするためには、時々の戦争の根源的な特徴、 時々の戦争が地域秩序や国家や社会に与えた影響や変化を 簡潔に明解にまとめる必要が生じます。その成果がこの本です。 ……本書「はじめに」より ◆日本だけでなく、世界の人々がなにを考え、どのような道を選択したのか、 かつての人々が残した言葉をたどりながら、詳しく鮮やかに紐解いてゆきます。 縦横無尽に「戦争」を考え抜く。歴史の面白さ・迫力に圧倒される5日間の講義録◆ |
それでも、日本人は「戦争」を選んだ [著]加藤陽子 [掲載]2009年9月20日 朝日新聞 [評者]小柳学(編集者) ■学者がいざなう司馬的世界 日本近現代史を専門とする東大教授の加藤陽子氏が、神奈川県の栄光学園で歴史研究部の中高生に実施した講義をまとめた。 テーマは日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争と、ほぼ10年おきに起きた日本の戦争。講義は研究の最前線を知る立場から、従来の「侵略・被侵略」といった二分法によらず、アジアにおける覇権をめぐる競争の物語として日中の過去を見る、という視点で進んでいく。 加藤氏は歴史学における最新の見方をおしげもなく伝えながら、たびたび生徒に当事者として考えるよう要求する。例えば日中戦争では、中国人ならアメリカとソ連を味方につけるために何をするかと問い、生徒が「連盟に介入させるように日本のひどさをアピールする」と答えれば、「正攻法。でも、連盟はあまり力にならなかったし、アメリカとソ連は加盟国ではなかった」と返答する。その上で紹介されるのが、当時の外交官・胡適(こてき)である。国土を失っても最初に日本に負けることで米ソを味方につけ、最終的に勝利できると主張した胡適の「日本切腹、中国介錯(かいしゃく)論」が紹介されると、生徒が「すごい……」とどよめく。読者もうなる瞬間だ。 日本側の“知られざる人物”も紹介される。例えば太平洋戦争の前に、日本は重要物質の八割を海外に依存するため持久戦には勝てない、戦争する資格はない、と主張した軍人の水野広徳がそれだ。 聞き手との対話から巧みに展開される講義の中で、知られざる人物や埋もれていた歴史の選択肢が見えてくる。その手法は、歴史に埋もれた人物たちを小説に登場させ、輝きを与えた司馬遼太郎を想起させる。読者は歴史の現場に降り立ったような感覚を味わえるのだ。司馬が小説でほとんど描かなかった近現代の「現場」に、一人の学者が対話という形で読者を誘(いざな)ってくれる。 ◇ 7刷8万部 |
今週の本棚:沼野充義・評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』=加藤陽子・著 (朝日出版社・1785円) ◇毅然と見据える「正当化」の通史 東大で日本近現代史を教えるバリバリの研究者が、ある年の暮、名門私立学校に請われて、特別集中講義に出かけて行った。テーマは戦争。日清戦争から太平洋戦争までの時期、日本人はなぜ戦争という道を性懲りもなく、つぎつぎに「選ん」できたのか。大学生を相手に難しいことを難しく教えてばかりいた(?)先生が、クリスマスから正月にかけての五日間、そんなテーマを掲げて中学・高校生を相手に熱のこもった授業を行った。その講義をまとめたのが本書である。 相手がまだ柔らかい頭脳の持ち主の若い人だと、責任は重大だし、それだけ授業の準備も手が抜けなくなる。専門用語の煙幕を張ることもできず、ごまかしがきかないだけに、大学院生を対象に学界最先端の学説を扱った演習を行うことよりも難しいかもしれないのだ。著者はその課題に正面から向き合い、見事に読ませる(聞かせる?)日本近現代の通史を提示することに成功した。 それは戦争という一点に話題を絞っていることで「狭い」と言えるかもしれないが、そこから見えてくる世界はとてつもなく広い。戦争を準備し、戦争に影響されて変化していった日本の政治や軍事のありかたが焦点になるのは当然としても、本書は、大国間の駆け引きが織りなす複雑な国際情勢や、中国、朝鮮、ロシアなどの側から見た世界像にも常に注意を払い、戦争を「侵略・被侵略」といった単純化された図式から解放し、もっと広い文脈から批判的に捉(とら)えている。 中学・高校生対象の講義がもとになっているとはいえ、本書は学術的レベルを下げているわけでも、歴史の流れを単純化しているわけでもない。生徒たちとのやりとりを挟みながら進められる講義スタイルなので読みやすいが、重要な史料も要所で紹介され、学界最先端の研究成果がいたるところで活用され、単に事実を羅列するのではなく、歴史の流れを本当に決めるものは何か見抜こうとする姿勢が毅然(きぜん)としていて見事。これは、まず大人がじっくり読むべき、「歴史再入門」のための思考の糧の詰まった本ではないだろうか。 戦争をめぐる加藤史学はすでに専門書や論文で展開されていてよく知られているが、本書で打ち出されているそのエッセンスを私なりに要約すれば、日清戦争以来、ほとんど十年ごとに大きな戦争をしてきた日本の歴史を見る際に、重要なのは、戦争を合理化・正当化する議論がどのように作られ、変化していったかということである。個別の例にここでは立ち入らないが、予想もつかない論法が出てきたり、不適切な過去の例が引き合いに出されたり、といったことが何度も繰り返されてきた。その結果、戦争の歴史とは、ある意味では戦争の正当化の歴史でもある、という鮮やかな視点が立ち現れる。 もう一つ、本書で強調されているのは、戦争が社会にどのような変化をもたらすか、という視点だろう。戦争の結果、国民の政治意識が高まり、先鋭的な国家改造論が出てきたり、新たな社会契約が必要とされることもあれば、敗戦国の場合は憲法や国体が変えられたりもする。著者はこういった社会変化も戦争論の視野に入れて論じていくのである。 戦争は決して過去のものではないが、それだけに冷静に学問的に論ずることはいまだに難しい。加藤氏の本は、あくまでも史料に基づきながら論を進めるという歴史学者の篤実さを守っているだけに、戦争熱という癒しがたい病にじわじわと効く--即効薬ではないにせよ--良薬になることだろう。 毎日新聞 2009年8月16日 東京朝刊 |
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