部屋のなかに埋もれた小物がある。白かった木彫りが年を経て、少しあめ色を帯びている。もう30年も前、家族で北海道を旅したとき、記念に買った木彫りである。熊彫りと一緒に並んでいたのだが、場所をとらないので、ピリカの彫り物にした。このとき、巡ったのは道東で、バスで知床に行った。「秘境知床」で知られたこの地も、すでにこの半島を通る自動車道路が出来上がっていた。
バス道から東の海上を遠望すると、歯舞、色丹の島が眼前に広がって見えた。北方4島の問題は、昨年興った国境問題によって、クローズアップされたが、30年前の状況と変わることはない。ロシア政府のこの島への関心は、当時に比べてむしろ大きくなっている。今年は、この問題に進展は期待できるのだろうか。いまのところその兆候はない。
遠軽の町に弟が住んでいた。5年ほど前に亡くなったが、このとき一家で大歓迎をしてくれた。朝、サロマ湖へ出かけて、シマ海老を買ってきて茹でてくれた。笊の上の山のようなエビは、魚介が好きな家族ではあったが、とても食べ切れなかった。「美味しいから、明日の朝食べよう」といったが、弟は朝には食べられなくなる、と言って捨ててしまった。もったいないことをする、という記憶だけが30年後の今も残っている。
夏は蒼いオホーツクも、冬になると、その景観は一変する。オホーツクの海岸に生きた農民詩人更科源蔵は、この海を詩に書いた。
暗澹たる空の叫びか
滅亡の民の悲しい喚声の余韻か
オホーツクの風
世界の果の巨鳥は今も羽搏くのだ
民族とは何だ 種族とはと
オホーツクの海は、零下30度という過酷な気象のもと、きょうも吼えているのであろうか。