雪が降って、もう何回消防車のサイレンを聞いたことだろう。この寒空で家を失った人は、この冬をどうやって乗り切るのだろうか。そんなことが頭をよぎる。火事と言えば、喧嘩と火事は江戸の花といわれたほど、江戸の街には大火が沢山あった。そんな中でも有名なのは振袖火事である。
浅草諏訪町の大増屋という大店があった。この店の娘にお菊というのがいたが、本郷の本妙寺で小姓風の美少年を見て一目惚れをしてしまった。お菊はこの美少年へ思いを募らせ、小姓が着ていた着物に似た振袖を誂えてもらい、それを着て美少年への思いを紛らわせていた。だがそうするうちに恋煩いが、本当の病気になって死んでしまった。明暦元年(1655)1月16日のことである。
大増屋はお菊の振袖を本妙寺に収め、住職は前例により振袖を古着屋に売った。不思議なことが起った。この振袖を買った紙商大松屋の娘きのが、翌年のお菊の命日に死んだ。本妙寺の住職は、不思議なこともあるものだと思いつつも、今回もまた古着屋に売った。ところが、翌年の1月16日にもまたこの振袖が戻ってきた。さすがに住職はこの振袖を着た娘が次々と亡くなるので、気持ち悪くなり、3人の娘の親を呼んで目の前で振袖を焼き払うことにした。
薪を積み上げて火を付け、その上に振袖を投じた。おりしも一陣の竜巻が舞い、振袖は人が立ち上がったような姿で本堂の真上に吹き上げられて屋根に落ち、寺の本堂から出火した。江戸の街は80日も雨がなく、からからに乾いた状態だったから堪らない。次々と延焼、湯島から神田明神、駿河台の武家屋敷、八丁堀から鉄砲州、石川島、日本橋へと広がり、翌日には大名屋敷から江戸城の天守閣を焼く大火事となった。世にいう明暦の大火である。この火事で死亡した人は10万人を超えると言われている。