常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

堅雪

2013年01月24日 | 日記


ここのところの気温で、融けた雪が凍るいわゆる堅雪現象が公園の広場で起きていた。雪の上に乗っても雪が硬く凍っているので沈まない。春先の北海道の雪を思い出す。3月の下旬ころ一面の雪が凍って堅雪になる。いつも歩く道路を使わずに、堅雪の上を近道して歩いた。春の日差しで、午後になると融けて抜かって歩けなくなるが、朝の寒いうちには堅雪の上が歩けた。雪に閉ざされた冬が去っていく兆候である。もうじき春になるという期待で心が弾んだ。

中学のころ、家から学校まで45分ほどの道のりであった。夏は自転車で通うのだが、冬の間は雪道を歩いた。故郷には、集落というものがなく、一キロおきに点在する家から、学校へ通う子どもたちが出てきた。なぜか女の子とはあまり会わなかった。家から10分ほど歩くとy君が出てきた。「おはよう、いや夕べは参ったよ。夜に変な音がしてさ。寝られやしない。」Y君の家では、お兄さんが嫁さんを迎えたばかりの新婚であった。

こんな他愛のない会話から、子どもは性の知識を頭に入れていった。学校が近くなって、道に出てくるのは保健の女先生である。「おはよう」と声を掛けらるだけでドキドキする。先生の白粉の匂いが、朝の空気のなかで香った。やがてT君が合流してくる。学校へ着くと、みんなで相撲をとった。T君は痩せてひょろひょろした感じだが、相撲ではねばり腰である。息が切れるまで相撲をとる。気温が低く寒くてたまらない日には、組の生徒が男女入り混じっておしくらまんじゅうをして身体を温めた。

北海道では、道東の町でこの冬も-30℃越す気温が観測されているが、自分の子どものころも-20℃というのは、何度も経験した。蒲団には潜りこまないと眠れないので、朝、蒲団の上側は、吐いた息が凍っていた。よくそんな中を、衣料とて貧しいものであったのに、生きのびてきたものだと思う。だが、少年のころの経験が、雪山を歩くもとになっている。雪道には人生の糧が詰まっている。

堅雪の日なり葬列真直ぐに 北  光星

堅雪野歩す少年の身軽さよ 田中美津子

コメント
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