![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/2e/576541c6d15372dae85ed64854d16856.jpg)
未明にかけて気温が下がったが、晴れて日がさした。月山がきれいに見えた。階段を登る窓から見えるのだが、運動が終わってから写真に撮るのを決めて、運動を続ける。終わって大急ぎでカメラを構えたが、もう数十分前に見た月山の姿はない。麓の辺りに靄がかかって、残念な写真になってしまった。
月山にはこれまで10回以上登っているが、夏の場合は白装束を着た巡礼姿の登山者に出会う。昔ながらの山伏と参拝客の関係が現代にまで続いている。出羽三山の宿坊の人たちが、関東や関西方面へ出かけて、団体参拝旅行の予約を取ってくるのだ。今ではバスを連ねてやってくるが、昔は徒歩である。長い道のりをいとわずやってくるのは、参拝のご利益を信じていたからだ。
江戸時代は医者に対する信用が極めて低かった。俗言に「医者は男の屑がなる」というのがあるくらいだ。病気の平癒には、修行した山伏の加持祈祷や薬の調合の方が信頼されていた。そうゆう風潮もあって、家内安全や健康祈願にはるばると徒歩でやってきたのだ。江戸の信仰は現世利益が中心で、火伏せや安産のお札も本物の山伏のものを欲しがった。
今でも山伏がほら貝を吹きながら街を練り歩き、商売繁盛の祈祷が行われる。そんな山伏の修行の場が月山である。一番最初に月山に登ったのは、月山神社の信仰の厚い義兄とであった。羽黒山の山伏の一行が義兄の家に泊り、街を練り歩いた。神社で祈祷したお神酒を一緒に飲んだことも思い出だ。
さ霧たつ月読み山のいただきに神をおろがむ草鞋をぬぎて 斉藤 茂吉