常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

小寒

2013年01月09日 | 日記


今年の小寒にあたる1月5日は、初めて青空を見た日で節気にふさわしい日よりとは言えなかった。テレビのアナウンサーが間違えて「小雪」と言ったので、間違いを認めて謝るののかと思っていたが、何の訂正も加えなかった。それに引き換え、今日は雪降り、寒の入りにふさわしい寒い日だ。

朝の階段登りをサボって、『三四郎』を読み終える。九州の高等学校から東京の大学へ出てきた三四郎の注意を惹いた美禰子は、画家に頼まれて絵のモデルをする女であった。三四郎と共通する境遇は、父親を早くに亡くしていることである。明治の時代における父親は、若い世代の束縛のシンボルである。束縛のない登場人物たちが自由に振舞うことができるのが漱石が設定した小説の舞台である。

三四郎が美禰子を初めて見る場面は池の辺である。団扇をかざした女と白衣の女性が、三四郎のいる池の端に近づいてくる。

「女の一人はまぼしいと見えて団扇を翳している。顔はよく分からない。けれども着物の色、帯の色は鮮かに分った。白い足袋の色も目についた。鼻緒のいろはとにかく草履を穿いていることも分った。もう一人は真白である。是は団扇も何も持っていない。」

二人の女が三四郎の傍を通り過ぎるとき、持っていた花をぽとりと落としていく。三四郎はそれを拾って花の香りを嗅いで見る、というシーンが書かれている。

小説の終わり近くになって、三四郎は美禰子をモデルにして絵を描いている画家のアトリエを訪れる。ひょんなことから借りた金を返すためである。そこには、池の辺で会ったままの美禰子の姿があった。

「静かなものに封じ込められた美禰子は全く動かない。団扇を翳して立った其の儘が既に絵である。三四郎から見ると、原口さんは美禰子を写しているのではない。不思議に奥行きのある画から精出して、其の奥行き丈を落として、普通の画に描き直しているのである。」

自由に動き回る束縛のない女が、じっと動かずに絵のなかに閉じ込められる場面は象徴的である。美禰子は、三四郎の知らない男の元に嫁いでいくのである。明治の時代にこれほど自由に行動する女を描いたことは、おそらく小説界にあって初めての試みであったであろう。
漱石はこの新聞の連載小説の執筆中の愛猫を病死で亡くしている。猫の死骸はミカン箱に納められ、庭の梅の木のもとに埋められた。その墓に漱石は「猫の墓」と書き、俳句を添えた。

此の下に稲妻起る宵あらん 漱石



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