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寒い朝の雲を写真に収めた。気温-3℃、雪がちらつくなか、青空が見えている。右の端に見える山が明日登る予定の猿岡山(557m)である。斉藤茂吉の第3歌集は「寒雲」と名づけられている。その冒頭は
高山も低山も皆白たへの雪にうづもれて籠る家村 茂吉
の歌が置かれている。昭和12年から昭和15年の歌を収めている。この歌集は「赤光」や「白桃」に見られるような編集が行われていない。折々の歌を編年体で収録したものだが、ようやく激しくなっていく戦争の足音に影響されて、茂吉は戦争の歌を多く読むようになった。
茂吉の戦争の歌は、敗戦後の読者にはこころよくは響かない。だがこの歌集には、昭和14年の7月、蔵王山頂の茂吉の歌碑が建てられたおりの「歌碑行」が、この集に収められている。
いただきに寂しくたてる歌碑見むと蔵王の山を息あへぎのぼる
一冬を雪にうもるる吾が歌碑が春の光に会へらくおもほゆ 茂吉
私は昨年も、一昨年も、雪のある3月に、蔵王山頂に立って茂吉の歌碑を見ている。歌碑には、吹き付けた雪が、海老の尻尾のような形で張り付いていた。
陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ
と茂吉の歌が刻まれていた。この歌碑建立を計画したのは、茂吉の弟の高橋四郎兵衛であったが、この計画に茂吉は頭から反対した。弟や山形の弟子たちの辛抱強い説得で渋々認めた茂吉であったが、山上の歌碑に己の姿を写しこんだ歌を作った。私たちの山の会ではこの3月の山行予定でも熊野岳から中丸山への縦走を予定している。