後烏帽子山は南蔵王連山の盟主不忘山から少し離れているせいか、訪れる人が比較的少ない山だ。きょうの山行でも山中では、わがグループ以外の登山者には一人も会うことがなかった。だが、この山は、山の魅力を十分に持った素晴らしい山だ。標高1681m、頂上からは刈田岳や屏風岳を眼前に、遠く飯豊、朝日連山のパノラマが見渡せる。登山道からこの山の由来となった烏帽子の形をした秀麗な山容が姿を見せている。
聖山平の登山口で出迎えてくれたのは、穂を出したススキだ。花の前の穂は赤茶色にかがやいている。視点を後にやると、一面のススキが風に揺れていた。午前6時半の外気は冷たく、ここのところ猛暑で疲れた体を心地よく癒してくれる。
きのうの雨のため笹の葉の雫がズボンを濡らすが、それすらが冷たく心地よい感じだ。きょうの参加者はリーダー以下8名、内3名が女性だ。山中でそれぞれの個性が自然に向き合っている。私はしばらくぶりの山の冷たい空気をいっぱいに吸って黙々と歩いた。
「何か面白い話をしてよ」と女性の声。「面白い話は種が尽きてしまったんだよ」といいながら、目はいい被写体がないものかと探している。樹木や高山植物の花、時おり視界が開けると、目に飛び込んでくる山々の姿そのものが体の深いところへ話しかけてくる。生活の日常にはない永遠の生命が語りかけてくる。
この登山では1300mまで車で登ってしまうから、1680mの山頂も400mほどの高度差しかない。山中には幾本もの沢があるので、沢を目がけて下っていく場面も多い。最初の沢筋を過ぎるとなだらかな山道となる。やがて山道のかたわらにアキノキリンソウが姿をみせた。
花の名などほとんど知らないのだが、夏の終わりにかけてこの花があまりに多いので知らず知らずに覚えてしまった。最初の休憩でOさんが持参しきた冷えひえのスイカンスモモをいただいた。甘酸っぱくて美味。汗ばんだ体にには最高においしい食べ物だ。
ろうづめ平を過ぎた辺の山道で、風雪に耐えてきたダケカンバの老木にであった。満身創痍、枯れ果ててもおかしくない老木である。あたりに立ち枯れの木々の多くあるなかで、傷の上のえだから葉をさしのべている。
その力強い姿に感動すると同時に、すでに老境の私は勇気付けられ、小林一茶が詠んだ「老木桜」を思い出した。山のいのちと人間が深いところで語り合った瞬間である。
或る山寺にうつろ木のひとつなん有ける
今にも枯るるばかりなるが さすが春のしるしにや
三つ四つふたつつぼみけるを
浅ましの老木桜や翌が日に 倒るるまでも花の咲く哉
後烏帽子岳の頂上に立つと日が燦々と降りそそいできた。辺りは灌木である。空の雲が美しかった。きのうの雷鳴できょうの積乱雲は大丈夫だろうかと思っていたが、いまのところ急な入道雲が現われる様子はない。
刷毛で刷いたような白いすじ雲が、周囲の山にみごとに調和していた。ついの間まで、風景と雲は関係のないことと思っていた。ギラギラと照りつける夏の太陽をさえぎる雲が実は複合して風景を形成しているのだ。木の間から、そして頂上から見た雲にこのことが実感できた。
眼前の屏風岳と後烏帽子の間の谷筋から、水蒸気のような層雲が沸き起こってきた。雲のでき方を目前で解説するような現象である。下山している斜面に霧のシャワーを吹きかけるような勢いで全体がこの雲に包まれる。分厚い雲ではないから日光も透かして見えているが、霧のようの雲におおわれだした。股窪の十字路で昼食、持参した弁当を分け合って和気藹々の話が弾む。
下山は股窪の十字路から2班に分かれ刈田峠をめざす。いくつものから沢と3つほどの沢を渡っていく。沢の石で滑って浅い水に転ぶ。靴とズボンがびしょ濡れとなる。なぜもっと慎重に行動できなかったのか反省しきり。
オオカメノキの赤い実が、沢からの急な登り道にあった。ここでもひとときの秋を感じる。股窪から1時間40分、めざす刈田峠についたのは1時45分であった。2時半、黒沢温泉で汗を流す。約7時間の山中は暑さを忘れるには十分であった。道端の白い花の上で、美しいアサギマダラが十数匹、優雅な舞を繰り広げていた。
きょうの雨はダメかと思っていたが、夕方5時を過ぎてから夕立がきた。しかも通り雨より強い雨が2時間以上続く。暑いなかにも、一歩ずつ秋が近づいている。