常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

山は秋 後烏帽子山

2012年08月25日 | 登山


後烏帽子山は南蔵王連山の盟主不忘山から少し離れているせいか、訪れる人が比較的少ない山だ。きょうの山行でも山中では、わがグループ以外の登山者には一人も会うことがなかった。だが、この山は、山の魅力を十分に持った素晴らしい山だ。標高1681m、頂上からは刈田岳や屏風岳を眼前に、遠く飯豊、朝日連山のパノラマが見渡せる。登山道からこの山の由来となった烏帽子の形をした秀麗な山容が姿を見せている。



聖山平の登山口で出迎えてくれたのは、穂を出したススキだ。花の前の穂は赤茶色にかがやいている。視点を後にやると、一面のススキが風に揺れていた。午前6時半の外気は冷たく、ここのところ猛暑で疲れた体を心地よく癒してくれる。

きのうの雨のため笹の葉の雫がズボンを濡らすが、それすらが冷たく心地よい感じだ。きょうの参加者はリーダー以下8名、内3名が女性だ。山中でそれぞれの個性が自然に向き合っている。私はしばらくぶりの山の冷たい空気をいっぱいに吸って黙々と歩いた。

「何か面白い話をしてよ」と女性の声。「面白い話は種が尽きてしまったんだよ」といいながら、目はいい被写体がないものかと探している。樹木や高山植物の花、時おり視界が開けると、目に飛び込んでくる山々の姿そのものが体の深いところへ話しかけてくる。生活の日常にはない永遠の生命が語りかけてくる。



この登山では1300mまで車で登ってしまうから、1680mの山頂も400mほどの高度差しかない。山中には幾本もの沢があるので、沢を目がけて下っていく場面も多い。最初の沢筋を過ぎるとなだらかな山道となる。やがて山道のかたわらにアキノキリンソウが姿をみせた。

花の名などほとんど知らないのだが、夏の終わりにかけてこの花があまりに多いので知らず知らずに覚えてしまった。最初の休憩でOさんが持参しきた冷えひえのスイカンスモモをいただいた。甘酸っぱくて美味。汗ばんだ体にには最高においしい食べ物だ。



ろうづめ平を過ぎた辺の山道で、風雪に耐えてきたダケカンバの老木にであった。満身創痍、枯れ果ててもおかしくない老木である。あたりに立ち枯れの木々の多くあるなかで、傷の上のえだから葉をさしのべている。

その力強い姿に感動すると同時に、すでに老境の私は勇気付けられ、小林一茶が詠んだ「老木桜」を思い出した。山のいのちと人間が深いところで語り合った瞬間である。

或る山寺にうつろ木のひとつなん有ける
今にも枯るるばかりなるが さすが春のしるしにや
三つ四つふたつつぼみけるを

浅ましの老木桜や翌が日に 倒るるまでも花の咲く哉



後烏帽子岳の頂上に立つと日が燦々と降りそそいできた。辺りは灌木である。空の雲が美しかった。きのうの雷鳴できょうの積乱雲は大丈夫だろうかと思っていたが、いまのところ急な入道雲が現われる様子はない。

刷毛で刷いたような白いすじ雲が、周囲の山にみごとに調和していた。ついの間まで、風景と雲は関係のないことと思っていた。ギラギラと照りつける夏の太陽をさえぎる雲が実は複合して風景を形成しているのだ。木の間から、そして頂上から見た雲にこのことが実感できた。



眼前の屏風岳と後烏帽子の間の谷筋から、水蒸気のような層雲が沸き起こってきた。雲のでき方を目前で解説するような現象である。下山している斜面に霧のシャワーを吹きかけるような勢いで全体がこの雲に包まれる。分厚い雲ではないから日光も透かして見えているが、霧のようの雲におおわれだした。股窪の十字路で昼食、持参した弁当を分け合って和気藹々の話が弾む。

下山は股窪の十字路から2班に分かれ刈田峠をめざす。いくつものから沢と3つほどの沢を渡っていく。沢の石で滑って浅い水に転ぶ。靴とズボンがびしょ濡れとなる。なぜもっと慎重に行動できなかったのか反省しきり。



オオカメノキの赤い実が、沢からの急な登り道にあった。ここでもひとときの秋を感じる。股窪から1時間40分、めざす刈田峠についたのは1時45分であった。2時半、黒沢温泉で汗を流す。約7時間の山中は暑さを忘れるには十分であった。道端の白い花の上で、美しいアサギマダラが十数匹、優雅な舞を繰り広げていた。

きょうの雨はダメかと思っていたが、夕方5時を過ぎてから夕立がきた。しかも通り雨より強い雨が2時間以上続く。暑いなかにも、一歩ずつ秋が近づいている。

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処暑

2012年08月24日 | 日記


きのうは二十四節気の処暑。暑さが止まるという意味である。だが現実はどうか。35℃を超える猛暑が続いている。空にすじ雲が出て、気候が変わる兆候かと思われたが、雨は来ず太陽の熱気がしずまらない。中国ではこのころになって華北あたりで暑さが収まってくる。ひまわりの花が終わり、実の重みで頭を下げているのにであった。

処暑の初候に「鷹、鳥を祭る」というがある。稲穂に実が入って垂れるのを擬人化して「頭を垂れる」というが、鷹も獲った獲物をすぐに食べないで木に下げる習性を、「鳥を祭る」と礼節を重んじているように表現したのである。「暑い、暑いといっても、月がかわると涼しくなるよ」という声が聞えるようになった。

俳句に秋渇きという季語がある。夏の炎暑のなかで食欲が減退し、夏痩せした人も、処暑とともに食欲を取り戻し、何を食べてもおいしい季節になる。動物にしろ、植物のしろ耐乏の冬を控えて、体内に十分に栄養を蓄えて充実するのは、自然の摂理といえよう。つまり、処暑を境にあらゆる生物の生命活動が活発になる。秋の到来を前に、わが食欲はすでに秋に入った感がある。

屈強の男揃ひや秋渇き    斉藤 俳小星

人間の味覚は秋になると敏感になる。さわやかで湿度が少ないために、体温の発散をうながし、体内での代謝を盛んにし、自然とお腹が空くようになり、食べものがおいしくいただけるようになる。食欲が増進すれば、おのずから異性への欲望も深まっていく。

秋がわきまづ七夕にかわきそめ 柳 多 留

晩秋や愛の渇きに人恋ふる  斎藤 ふじの

こんな句が詠まれるのもむべなるかなである。きょうの農作業での収穫は、トマト、ナス、オクラである。オクラは手にとるだけでヌメリを感じ、収穫しているだけで食欲を感じる。きょう初めて、ブログの閲覧数が300を超えた。折りしも、ブログの継続を祝ってくれているような句にであった。

晴耕に雨読に深みゆく秋ぞ  渡部 抱朴子

秋野菜が採れるころ、このブログも、本や散歩、野菜作りなどからたくさんの栄養素を吸収してどんどん充実し、読んでおいしいものに育ってくれればと願うばかりだ。

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すじ雲

2012年08月23日 | 雲の名


きのう36℃、きょうの予報は35℃。連日の猛暑のなかに秋を探している。見上げる空に変化が生まれている。きのうまで、最上川の上に出ていた入道雲が姿を消して、すじ雲が現われた。難しい正式の名は巻雲である。

巻雲は日本付近の高度10000mあたりに吹いている偏西風に乗って西から流れてきて、東へと去っていく。この雲はごく細かな氷の粒から出来ている。刷毛でなぞったような筋を見せているが、雨巻雲と晴れ巻雲の2種類がある。雨巻雲は低気圧や不連続線にともなって生じるもので、網状、縞状、帯状、波状の形を持ち見た目に含水量が多く、湿った感じがする。

晴れ巻雲は低気圧などには関係なく生じ、渦を巻いたり、屈曲したりしていて、乾燥した感じを与える。今出ている雲はどっちかと考えているうちに、すじ雲は東に去り西の空にさば雲が出てきた。



この雲も上空の不連続面のところに生じる。やはり気圧の谷の接近が、雲の様相を変えているようだ。雲の変化で見るかぎり天候は下り坂と考えられる。さば雲は30分もしないうちに東に去り、最上川の上空には入道雲が出始めた。

雲を見ながら、漱石の俳句と遊んで見る。

午砲打つ地城の上や雲の峯 明治29年

明治29年4月、漱石は四国松山から第五高等学校の教授として熊本へ赴任した。6月には妻鏡を娶っている。この夏熊本の猛暑は想像を絶していた。友人に「時下炎暑耐え難く御座候」と書き送っている。午砲はドンと云って昼を知らせる空砲で、皇居内で撃たれていた。半ドンも、この午砲からきている。熊本では熊本城でドンが打たれたのであろう。その城の天守閣の上に入道雲がむくむくと立ち上がっていた。絵柄の大きな句である。

衣更えて京より嫁を貰ひけり 明治29年

漱石の結婚式は6月9日であった。式は熊本の自宅の6畳でささやかに行われた。東京から連れてきた老女中と車夫が台所で働いたり、仲人と客までかねたものだった。ありあわせの盃で三々九度を済ませという略式だ。仕出屋の請求が7円50銭であった。式が済むと、あまりに暑いのでまず岳父が服をぬぎ漱石のかすりのゆかたを借り、やがて裸になった。花婿までフロックコートをゆかたに替えて肩ぬぎという無礼講に近い宴会になった。

北国生まれの私には肩ぬぎの宴会など想像もできないが、一度だけ経験がある。甲子園で夏の高校野球大会見学に招待されたときのことだ。まさに炎天下の野球大会である。氷のカチ割りというものがあんなに美味しいものとはじめて知った。夜は宝塚温泉の旅館で宴会があった。宴たけなわになると中庭が涼しくて気持ちがいいと、そこへ出て飲みなおしになった。みんな肩ぬぎになって、肌にとまる蚊を叩きながら飲んだことを覚えている。


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朝の場所

2012年08月23日 | 日記


7月は目覚めが4時ころであったが、いま5時ころになっている。起きて向かう先は、西にある農園か、東の森にある丘へ散歩に行く。丘には広く芝生が貼られて、なだらかな起伏が寝起きたばかりの目をやさしく癒してくれる。天気のいい日は、山形の街並みが間近に見える。目を後ろに転ずると、森の木々が日をさえぎって、薄暗い林道に木漏れ日が落ちている。



家から歩いて30分、往復しても1時間ちょっとでいけるお気に入りの場所だ。道のまわりは畑になっていて、野菜の成長が見てとれる。蝉の鳴き声が日に日に大きくなっているが、森の木陰に虫の声が混じるようになった。こんなかたちで季節の移ろいが、その場所に立つものに語りかけてくる。

私はかつて、ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』を愛読していた。この全編に流れる主人公の自然への愛とするどい季節への感受性に惹かれた。主人公はあてどもなく歩くことをこよなく好んだ。

「私は4時少しすぎ目が覚めた。よろい戸には日光が、--いつもダンテの天使たちをおもわせる、あの黎明時のすみきった黄金色の光が、当たっていた。夢ひとつ見ることもなく、いつになくよく眠ったし、体中に休息の恵みを感じた。頭ははっきりとしており、脈は順調にうっていた。こうやってしばらく横になったまま、枕もとにある本棚から、どの本を取ろうかなと思っているうちに、ひとつ起き上がって、早朝の外気に触れたい気持ちがわき起こった。たちまち私はがばっと起きた。よろい戸をあけ、窓をあけると、いよいよ外に出たい気持ちが強くなった。私はまもなく庭にで、道路にで、いい気持ちになったあてどなく歩きだした。」

ここにはどこを探してもドラマ性のかけらも見つけることはできない。ある文筆家が、死の5年前に、何にもとらわれることなく書き綴った魂の随想録なのだ。

「旅行中は、しばしば日の出を見た。そして、いつも、自然のほかの景色から受ける感激とは全くちがった感激を味わったものだった。地中海上の夜明けを私は覚えている。島影が、刻々に変わる淡い光の色彩を帯びて次第に輝きをまし、やがて燦爛たる海上にぽっかりと浮きあがるのだった。」

どうすれば、このような自然の輝きを、自らの心のうちに定着することができるのだろうか。芭蕉は「山は静かにして性をやしなひ、水は動いて情を慰む」という言い方で、山水、言い換えれば自然への立位置を語っている。

論語に

「子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのち)長し」

という一節がある。山水画、山水詩といわれるように山水は自然の代名詞として、東洋人の心のなかに生き続けてきた。山水に向かう先人の心を窺うのも、朝の輝きを深いものにするひとつの術ではないだろうか。
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落雷事故

2012年08月22日 | 登山


猛暑日が続く毎日だが、落雷による死亡事故が新聞を賑わしている。去る18日、大阪の長居公園で行われて野外ライブコンサートを落雷が襲い、10人が病院に搬送され、うち1人の女性が死亡した。同じ日に、北アルプスの槍ヶ岳山頂でも、落雷のため男性1人が死亡した。山登りを趣味としているものとして、他人事とは思われない。

槍ヶ岳のように上空に突き出た山頂では、雷は本当に危険である。昭和58年7月27日の午前7時ころ、槍ヶ岳の山頂で、高校生のパーティに落雷して、5人が2mほど跳ね飛ばされた。1人が失神し、外の4人も恐怖におののきはいつくばっているところへ、その1分半後、再び落雷して3人が手足がしびれ動けなくなった。ヘリで松本の病院へ運ばれたが、全員が2~5ヶ月の火傷を負った。

同じ日に穂高連峰にいたパーティの体験記録がある。
それによると、その日は朝から湿度が高く、雷雲がまたたく間に広がり、ピッケルが帯電してビリビリと鳴り、強いみぞれやアラレが降りはじめ生きた心地がしなかったという。不幸にして、そんな現実に遭遇したとき、どう対処すればよいのだろうか。

よく金属類を身につけていれば危険、といわれるが、人体そのものが雷を誘引すると考えた方がいいようだ。雷鳴が近づきだしたら、速やかに低いところへ非難する。また樹木やテントのポールなどから2m以上離れて、姿勢を低くしていることが必要だ。落雷密度は山頂が一番高く、尾根、鞍部、山腹、谷の順に下がっていく。

一般的な避雷の心得

1 屋内では電気器具をコンセントから外す
2 木造建築内では柱、電灯線、電話線、アンテナから1m以上離れる
3 鉄筋コンクリート建築、自動車、電車のなかは安全
4 避雷針、コンクリート建築、樹木、送電線があれば、てっぺんを45度の仰角で見る範  囲に入る(但し軒先は危険)
5 雷撃を受けて気絶した人には人工呼吸を

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