常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

文珠山

2013年01月26日 | 登山


低気圧が抜けると寒気が入ってくる、という予報のなか、村木沢出塩にある文珠山に登る。予報に違わず雪が降る。夕べの新雪は30センチといったところか。知恵の神社、文珠堂への道はすでに車の乗り入れは不可能だ。斜面では膝上の雪をラッセルしながら登る。この年になって知恵を授からなくてもよいようなものだが、文珠堂にお参りをする。堂の前には、木の枝に合格祈願の絵馬が沢山下がっている。

参道には数えきれないアジサイの株が植えられ、春を待つ芽が脹らみを見せている。雪は山の斜面を覆いつくし、穢れたもの一切を浄化している。鳥の鳴き声をも聞えず、時おり仲間たちの笑い声が響いてくるだけである。頂上への50mほどが急勾配になり、ラッセルするうちに汗をかく。約1時間で373mの頂上に着く。

この山から数キロのところに鳥海山がある。秋田との県境にある有名な鳥海山と同じ名だが標高531mのこの山は、自動車で行くことができる神社がある。ここもメイン道路から神社への林道は、除雪が行われておらず、文珠山よりもさらに深い雪をラッセルする。9名の仲間が交代でラッセルをするうちに神社の奥の院に着く。



ここから山形盆地を見下ろす展望はまさに墨絵のモノクロトーン。わざわざデジカメをモノクロのモードに変えなくとも、白と灰色の景色が広がっている。神社の縁起を書いた看板が立っているが、東北平定も目指した源義家の軍旗を霊鳥が飛び廻ったため、義家はここに鳥海大物忌神社を勧請して祀ったと書いてある。

午後になって気温が下がる。カンジキの紐は氷つき、雪で濡れたリュックも凍って固くなっている。東屋で小憩するも、寒さに耐えられず、早々に車へ引き返す。風が吹くと、木に着いた雪が引き飛ばされ、吹雪のように目の前を塞ぐ。山頂の神社から車まで35分ほどでたどりつく。中山町でラーメンを食べた後、「いきいきの里」で温泉。じっくりと疲れを流す。


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釘の歴史

2013年01月25日 | 日記


日本の釘は釘鍛冶によって作られてきた。そもそも、建築の釘が大量に使われるようになったのは、法隆寺のような寺院や五重塔などの大規模な建造物が作られるようになった飛鳥時代以降のことである。法隆寺の解体修理が行われたとき、専門家が詳しく調査したところ、3センチから75センチという大型にのものまで75種類にの釘が使用されたことがわかった。

江戸時代の箪笥師は金具の鎖前を釘で打ちつけた。一棹の箪笥に500本から1000本の釘を使った。この釘は頭の丸い太鼓釘で、専門の釘鍛冶が、一本一本打って作った。釘の産地としては越後の三条、燕、伊勢の松阪が有名であった。童謡にある村の鍛冶屋は、農具や馬蹄を打つかたわら、釘打ちを副業にしていたものも多かった。

鍛冶から機械生産に移るきっかけは、明治14年1月26日に起った東京神田の大火である。引き続いて2月11日には、東京をなめ尽くす大火事があった。その焼け跡復興のために大量の釘が必要になった。このときから、機械生産の洋釘の輸入が始まった。日本で機械生産が始まるのは、明治31年のことである。およそ17年間、釘は輸入に頼った。物づくりで先行する現代の日本からは想像のできない事態が起きていた。

村の鍛冶屋

暫時(しばし)も止まずに槌打つ響
飛び散る火の花 はしる湯玉
鞴(ふゐご)の風さへ息をもつがず
仕事に精出す村の鍛冶屋

小学校のころ皆で歌った懐かしい唱歌だが、鍛冶屋さんが姿を消してしまったことから、昭和60年には、この唱歌も教科書から姿を消した。新潟の伝統が世界に誇る技術で食器などを生産していることは心強いが、釘に関心を寄せる人も少なくなった。

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堅雪

2013年01月24日 | 日記


ここのところの気温で、融けた雪が凍るいわゆる堅雪現象が公園の広場で起きていた。雪の上に乗っても雪が硬く凍っているので沈まない。春先の北海道の雪を思い出す。3月の下旬ころ一面の雪が凍って堅雪になる。いつも歩く道路を使わずに、堅雪の上を近道して歩いた。春の日差しで、午後になると融けて抜かって歩けなくなるが、朝の寒いうちには堅雪の上が歩けた。雪に閉ざされた冬が去っていく兆候である。もうじき春になるという期待で心が弾んだ。

中学のころ、家から学校まで45分ほどの道のりであった。夏は自転車で通うのだが、冬の間は雪道を歩いた。故郷には、集落というものがなく、一キロおきに点在する家から、学校へ通う子どもたちが出てきた。なぜか女の子とはあまり会わなかった。家から10分ほど歩くとy君が出てきた。「おはよう、いや夕べは参ったよ。夜に変な音がしてさ。寝られやしない。」Y君の家では、お兄さんが嫁さんを迎えたばかりの新婚であった。

こんな他愛のない会話から、子どもは性の知識を頭に入れていった。学校が近くなって、道に出てくるのは保健の女先生である。「おはよう」と声を掛けらるだけでドキドキする。先生の白粉の匂いが、朝の空気のなかで香った。やがてT君が合流してくる。学校へ着くと、みんなで相撲をとった。T君は痩せてひょろひょろした感じだが、相撲ではねばり腰である。息が切れるまで相撲をとる。気温が低く寒くてたまらない日には、組の生徒が男女入り混じっておしくらまんじゅうをして身体を温めた。

北海道では、道東の町でこの冬も-30℃越す気温が観測されているが、自分の子どものころも-20℃というのは、何度も経験した。蒲団には潜りこまないと眠れないので、朝、蒲団の上側は、吐いた息が凍っていた。よくそんな中を、衣料とて貧しいものであったのに、生きのびてきたものだと思う。だが、少年のころの経験が、雪山を歩くもとになっている。雪道には人生の糧が詰まっている。

堅雪の日なり葬列真直ぐに 北  光星

堅雪野歩す少年の身軽さよ 田中美津子

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月山

2013年01月23日 | 日記


未明にかけて気温が下がったが、晴れて日がさした。月山がきれいに見えた。階段を登る窓から見えるのだが、運動が終わってから写真に撮るのを決めて、運動を続ける。終わって大急ぎでカメラを構えたが、もう数十分前に見た月山の姿はない。麓の辺りに靄がかかって、残念な写真になってしまった。

月山にはこれまで10回以上登っているが、夏の場合は白装束を着た巡礼姿の登山者に出会う。昔ながらの山伏と参拝客の関係が現代にまで続いている。出羽三山の宿坊の人たちが、関東や関西方面へ出かけて、団体参拝旅行の予約を取ってくるのだ。今ではバスを連ねてやってくるが、昔は徒歩である。長い道のりをいとわずやってくるのは、参拝のご利益を信じていたからだ。

江戸時代は医者に対する信用が極めて低かった。俗言に「医者は男の屑がなる」というのがあるくらいだ。病気の平癒には、修行した山伏の加持祈祷や薬の調合の方が信頼されていた。そうゆう風潮もあって、家内安全や健康祈願にはるばると徒歩でやってきたのだ。江戸の信仰は現世利益が中心で、火伏せや安産のお札も本物の山伏のものを欲しがった。

今でも山伏がほら貝を吹きながら街を練り歩き、商売繁盛の祈祷が行われる。そんな山伏の修行の場が月山である。一番最初に月山に登ったのは、月山神社の信仰の厚い義兄とであった。羽黒山の山伏の一行が義兄の家に泊り、街を練り歩いた。神社で祈祷したお神酒を一緒に飲んだことも思い出だ。

さ霧たつ月読み山のいただきに神をおろがむ草鞋をぬぎて 斉藤 茂吉

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谷風邪

2013年01月22日 | 日記


大寒に入って、インフルエンザが流行の兆しを見せている。近所の高校では、風邪のため3日間も臨時休校したという。新型のウィルスが流行するので、予防接種も色々と大変らしい。
自分はまだインフルエンザの予防接種をしたことがない。それより、体力をつけ、バランスのよい食事が予防に効果があると考えているからだ。

インフルエンザの流行は、大流行をして、大勢の死者を出すので、恐れられ名前がつけられた。江戸時代には、お駒風邪、谷風邪、お七風邪などという名がつけられた。無敗を誇った名横綱も風邪に勝てずいち早く引いた風邪を、名前をもじって谷風邪とつけられた。お七風邪は「八百屋お七」の小唄が流行した年に大流行した風邪につけれた名である。

江戸時代、風邪の流行を防ぐために信州飯田では「風の神送り」という行事が行われた。竹の枝に人形を吊るし、家の中から「風の神さま乗ってくんなんしょー」と言って、家の奥から順に部屋をまわり、外へ出る。村中が一斉に竹に神さまを乗せ、地区の集会場に集まる。鉦と太鼓で囃子たて、村外れまで連れて、そっと置いて後ろを振りかえらずに帰った。
風を防ぐには藁にすがるというか、竹にすがる行事であった。

風邪をひいたら、まず身体を休め、温めることが肝心である。古来から行われてきた、対策をもう一度振り返って見よう。

ネギ味噌 ネギには殺菌作用があり、味噌は身体を温める効果がある。
カラシ湿布 カラシの刺激で胸を温め、咳をしずめ、呼吸を楽にしてくれる。
ショウガ湯 飲むと新陳代謝が高まり、解熱効果もある。
ニンニク蜂蜜 刻んだニンニクは電子レンジにかけ、上から蜂蜜をかける。ニンニクには殺菌作用のほか新陳代謝を高め、身体を温める効果がある

大寒から2週間で立春である。この2週間こそ、体力を高め、運動や入浴で体内の深層温度を上げることで風邪を防ごう。一日一日をこの意識を持ち続けることが、バランスのよい栄養補給ととも一番大切だ。
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