夜な夜なシネマ

映画と本と音楽と、猫が好き。駄作にも愛を。

「ら抜き」が気になる。

2011年03月11日 | 映画(番外編:映画と邦題・字幕・台詞)
以前、低予算映画にのみ出現するものとして、「ら抜き」を挙げました。

あれからほぼ3年、世間ではさらに「ら抜き」が一般化し、
いまやそんなことを気にするのは
器の小さい人間なんじゃないかと思ってしまうほど。(^^;

邦画を観ていれば、もはや「ら抜き」のほうが普通ですし、
何十年か前の洋画がDVD化されると、その字幕にも「ら抜き」多発。
「見れる」「食べれる」「寝れる」などなど、
もう「ら抜き」がどうたらとは言いづらい状況です。

周りの人が「ら抜き」で話していたり、メールをくれたりしても、
それについてどうこうとはまったく思いません。
それでも、私自身が「ら抜き」は使わないでいようと思うのは、
もともと正しかったはずの日本語がどれなのかを忘れずにしていたい、
使うときに考えたいと思うからかなぁ。

いま読んでいるのは天童荒太の著作なのですが、
この人はまた気持ちいいぐらい、「ら抜き」なし。
気持ちが「ら抜き」に引っかかることがないので、さくさく読めます。
けれども「ら抜き」が不自然な場合ももちろんあり、
たとえば、「ら抜き」を使う人と使わない人の会話を
小説の中で使い分けているとみられる著者に当たると、
「おおっ!」とニヤリとしてしまいます。

思いっきりイマドキの人の映画なのに「ら抜き」じゃなくて驚いたのは、
『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』(2009)でした。
2ちゃんねるで話題になったスレッドの実写映画化でしたね。

小池徹平演じる、元ひきこもりの青年が、小さなIT企業に就職。
サービス残業で徹夜もあたりまえのブラック会社で……というお話でした。
そんな会社で、小池くんが唯一信頼していたのが田辺誠一演じる社員。
ふたりが屋上で会話するシーンで
「これまで生きて来られたのも」という台詞が二度も登場し、
「ら抜き」とちゃうやん!と思わず巻き戻してチェックした次第です。

ところで、大阪弁に「ら入れ」があると気づいたときは愕然としました。
「走れない」が正しいですから、「走れへん」と言うべきなのに、
「走られへん」と言っちゃいます。あかんやん、私。
関西弁でも、京都弁ならば、ちゃんと「走れへん」。
大阪弁の場合、「走れへん」と言うと、
「走る気がないから走らない」というニュアンスになることがあって、
そのニュアンスを伝えたいときは、「走らへん」だったり。

日本語ってむずかしい。おもしろい。

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