マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

アートな造形

2019年10月22日 09時05分23秒 | しゃしん
パソコンの壁紙に設定したくなったアートな造形。

それともケータイの待ち受け画面。

いやいやFBのカバー映像に・・。

それより全紙、全倍に拡大プリントに・・と、思ったりもするが・・・。

実は、と種明かし。

この映像は美味しい甘酢漬けの二十日大根。

山の辺の道の有人販売所で売っていた二十日大根。

1袋が100円。

売れ残ってはアレだからと思ったのか、盛んに攻勢をかける売り子は高齢の婦人。

有人販売所前の畑で栽培した二十日大根を売りに出していた。

紅い色に白い肌の二十日大根が美しく、そして美味そうに見えた。

それを察した婦人が云った。

三つで200円の売り値に手を打った代物。

スライスは私の思っていた薄さではなかったが、パックに詰めたその姿に思わずシャッターを切る。

美味しさよりもアートな情景が勝っていた。

(H30. 5.16 SB932SH撮影)

JNP和歌山第二支部第10回写真展in和歌山市民会館

2019年08月27日 09時40分52秒 | しゃしん
今年も出かける和歌山での写真展。

毎年のお楽しみに食事はどうするか、である。

その件については後述の“テイクアウト”コーナーでアップするが・・・

写真展を拝見して昼飯になるコース時間を設定した結果は自宅を午前9時に出発である。

走路コースは京奈和自動車道を第一義にする。

昨年にほぼ全線が開通した京奈和自動車道。

阪和道路に繋ぐ一部の路線は有料であるが、以外はすべてが無料。

こんなありがたい国道はあまりない、と思うのだがどうなんだろうか。

奈良県側の郡山下ツ道JCTに入るまでがケッコーな時間がかかる。

信号待ちに一部渋滞。

その日の状況、或いは時間帯によって10分ほどの差がつく。

郡山下ツ道JCTから橿原北ICを出るまでは実にスムーズ。

降り口直後の信号待ちで若干の遅れを生じる。

降り口直後に信号がある高速道路はいずこも大同小異の待ち時間。

構造的な問題を抱えているにも拘わらず見直し・検討もされない国交省。

なんとかならないものかと毎度の信号待ちにイライラ感がつのる。

橿原北ICから橿原高田IC間は事業化も未定の地道走行。

一挙に車両量が増えるわ、信号はあるわ。

しかも、橿原イオンモール来客も多いのでノロノロ。

これもなんとかならんのか、とつい愚痴りたくもなる。

橿原高田ICに入った時間帯は午前9時50分。

自宅を出て50分。

距離はまったく伸びていない。

橿原高田IC―御所IC―御所南IC/PA―五條北IC―五条西IC―橋本東IC―橋本IC―高野口IC―紀北かつらぎIC―かつらぎ西IC/PA―紀の川東IC―紀の川IC―岩出根来IC/TB―和歌山JCTの全線が開通しているが一部は有料道路になっている。

その一部とは岩出根来IC/TB―和歌山JCT間の6.3km。

阪和道に入ってしまうにはもったいないから岩出根来IC/TBで下りるに限る。

そこからは一般道路。

はじめに出会う一般国道交差点信号を右に折れて南下する。

目印といえば岩出寺だが、そこへは行かずに岩出市街に向けて走る。

岩出市・根来西の信号を右折れて一直線。

紀泉台西入口信号を左に折れてずっと南下。

しばらく走ればスーパー松源が目に入る。

目と鼻の先にある信号は目黒。

国道24号線との交差点。

そこを右に折れてひたすら西に向けて走る。

ここまで来たら記憶にある道。

ちょっとヤヤコシイ信号さえ間違えなければ間違いなく伝法橋南ノ丁7番地にある和歌山市民会館に着く。

到着した時間は午前11時20分。

我が家を出発してから2時間20分。

橿原高田ICからだったら1時間半。

地道でなく有料道路の阪奈道を利用すれば20分は短縮できるらしい。

着いたときは和歌山市語り部クラブの解説が始まっていた。

写した資料を提示して解説していたテーマは友が島砲台だった。

昨年の語り部とは違う人。

喋りは坦々としているのでまだ聞ける。

昨年の人はまったく頭に入らない独善的語り。

語り部の人であるが、語りはあまりにも酷かったことを覚えている。

語り部の会の人たちとともに友が島を美しくする清掃ボランテイア活動をしてきたJNP和歌山第二支部。

そのお付き合いから写真展で語るようになったようだ。

それはともかく今回拝見したJNP和歌山第二支部の作品群。

目が輝くくらいの景観情景写真に見惚れていた。

どれこれもかっしりした作品。

しっとりとした質感はデジタルでは味わえない。

すべての作品はフイルムと聞いて、なるほど、である。

憧れの作品が目白押し。

私なんぞの力量ではとてもじゃないが届かない素晴らしい作品。

ピンの甘さはどこにも見当たらない。

惹きつけられる写真は3度も廻った。

拝見していたら解説してくれた男性がいた。

支部長のNさんである。

遠くに出かけて撮ってきたが、やはり地元を忘れては・・・という。

私もそう思って知人が所属するクラブの写真展を見てきた。

どこを撮影地に選んでいるのか、である。

遠くに行かなくても、あった地元の景観。

灯台下暗しに気づいて今では近場に出かけているという。

なんやかやの会話に共通の知人がいたことを知った。

前日にお会いしていた第12回フォトサークルDAN選抜写真展代表の宮崎壽一郎さんも、前JNP奈良支部長のTさんも第二支部のYさんも話題に登場する。

尤も一番古くからのお付き合いはD夫妻である。

JNP和歌山市部を立ち上げる以前から存じている夫妻。

出会った場所は和歌山でもなく奈良県の野迫川村立里荒神。

その日は15年も前のこと。

平成15年1月2日だった。

当時の仲間で立ち上げたHPに公開していたフイルム作品。

たしかHPの名称は「CLUB-67」だった。

その名が示すようにカメラ67。

HPは閉鎖されたが、今でも続くネット公開は転じた平成20年7月に立ち上げた「風景写真~奮闘日記」がある。

時刻は12時を過ぎていた。

そろそろ戻る時間帯になったかな、と思っていたところにこの度、素晴らしい銀賞を取得したKさんのご出動。

おめでとうございます、の写真は優れもの。

またまた見惚れて今回の展示作品をまた見て廻る。

途中の食事時間もあったが、市民会館を出てから自宅まで。

戻りは行きよりも早くて1時間50分で着いた。

(H30. 4.21 SB932SH撮影)

神饌・供えるこころ-野本暉房-出版記念写真展内覧会in奈良県文化会館

2019年08月02日 09時34分24秒 | しゃしん
展示写真は142点。

しかも大判が5、6枚もある。



正面受付の4枚は実に煌びやか。

圧倒される迫力写真が次々と迫ってくる。

この日は『神饌・供えるこころ-野本暉房-』出版記念写真展内覧会。

直会と称して招待された関係者席は100席も・・。

知人、友人に応援団が繰り広げるイベントに盛り上がる。

直会のお品書きは奈良大和ならではの特別誂え品物である。



最近、発売になった柿の葉すし味のポテトチップスは愛嬌としても1、2、3・・・すごい。

ため息が出そうな誂え品は薮田洋輔氏が独自に開発したきたまち豆腐店のトーフドーナツ。

甘さ控えめが優しい豆腐で作られたドーナツ。

お菓子であるように思えるが・・豆腐だけにちょと違う味わいが実にいい。

火打ち餅」は川上村高原の特産品

道の駅にも売っていることがある名産品の草餅。

これもまた甘さ控えめ。

朝に村の女性二人が一所懸命になって作ったという。

赤い苺は萩原苺農園産の古都華。

奈良の苺に違いないと思うが、ネーミングからあすかルビーを期待していたが・・。

お茶は“山笑う”水出し茶。

奈良市月ヶ瀬に住んでいるティーファーム井ノ倉さんが生産・販売している商品。

気品あるお茶が寛ぎを与えてくださる。

紙漉き宇陀紙の敷き紙は吉野町国栖の福西さんの手漉き。

こんなの滅多なことで手に入るわけがない品。

ありがたく持ち帰って食卓テーブルを盛り上げたい。

お箸は云わずとしれた吉野杉。

宇陀市室生の安田商会の商品だ。

箸置きがすごい。

大和郡山市内で店を構えてお弟子さんなどに技法を伝えている。

綿元は屋号。

元々は布団屋さんだった西井康元さんが一代で築いた藍染師である。

箸置きにそのまま使うのがもったいないことで・・。



で、後日に食べた">柿の葉すし味のポテトチップス

晩飯後のちょっとお酒の肴に袋を開けた。

一口、二口、三口食べても柿の葉寿司の味がわかんない。

適度な塩加減が逆に良いからバリバリ食べる。

お酒を飲めば食が止まらない。

手元に持っていったかーさんは袋ごとごそごそ。

出しては口へ出しては口へ・・。

これって美味しいやん、だ。

そうこうしているうちにときおりふと感じる柿の葉寿司らしき味が・・。

すぅーっと消えた。

午後6時から始まった直会。

2時間滞在に美酒一滴の味わいもない。



素で酔うわけにもいかない私は久しぶりにお会いしたM先生と連れだって立ち飲み屋の「蔵元 豊祝」店行き。

角打ちにいただくアテは先生におまかせに一杯、二杯、三杯・・・・。



積もる民俗話が拡がって・・・酒盃が増えていく。

(H30. 4. 3 SB932SH撮影)
(H30. 4. 5 SB932SH撮影)

迫られて買ったキャノンEOS7Dに期待する

2019年07月25日 08時56分12秒 | しゃしん
私が取材撮影に活用してきたデジタル一眼の2代目。

カメラはキャノンのKISS DIGTAL Nの後継機に選ばれたEOS40D。

平成22年の1月からずっと活躍してきたが、実は買ったものではなく貰い物。

当時、自然観察会でお世話になっていたRYU先生がくださったカメラ

一度も壊れたことがないといいたいが、そうでもない。

エラーが発生したのは平成25年の9月

それからほぼ5年間は無事故無違反、じゃなかった、無故障である。

それが突然におかしくなった。

症状が出たのは前日である。

急にピントが合わなくなった。

何度かあれこれしていたら、一回だけ。

赤いセンサーが一つ点いて電子音が鳴った。

たった一度だ。

それからは何をどうしようが電子音は出ないし、もちろんセンサーマークも出ない。

無音のままだ。とうとう寿命がきてしまった。

カメラを持って、いきつけのカメラのキタムラ奈良南店に急行する。

H店員さんにカメラの状態を診てもらったら、動作するではないか。

なんでもいいから、まずは四角い緑色マークの全自動に設定する。

そうすれば不思議。

電子音は鳴るし、センサーもフツー通りに点灯する。

あれやこれやと設定したらちゃんとなるが、これはいつ故障してもおかしくない前兆。

取材中に突然壊れることが考えられる。

その状況になったと想像したら、おっとろしい。

こうなれば中古品の品定め。

2年ほど前から狙いとつけていたカメラがある。

同一メーカーのキャノンEOS7Dか、それとも70Dか。

店に入る度に憧れは増すが、金銭的にだいぶと足らない。

時期、年代から考えれば誰でもわかるように、もちろん新品ではない。

7DMarkⅡなんてものは買えるわけがない。

狙っているのは中古品。

値段が我が家にとって妥当な額になるまで、と思って待っていた。

EOS40Dはキャノン初の1千万画素(1010画素)を達成した製品。

大ヒットした商品らしく量産機型。

楽天とかにある良中古品はだいたいが1万5、6千円。

行事取材にどっぷり活躍してくれた40D。

それくらいの価格帯にあるなら、いつでも買おうと思っていたが、目の前にあるのはEOS7D。

画素数は1800万画素。

ISOは6400まで設定できる。

EOS40DのISOは1600。

暗がりに難義しながら撮っていた。

昨今、発売される機種であれば万単位画素。

時代は古くてもEOS7Dなら少しは助かる。

貯めていたUCギフトカードがある。

枚数は25枚あるから2万5千円も助かる。



もう一枚は1万円も使えるQUO(クオ)カードがある。

これで35000円。

ショーケースに並んでいたEOS7Dは税込み価格の38080円。

3千円のオーバー賃で済む。

前日にリザーブしていた引換券を手渡したら商品がレジカウンターに上ってきた。

バッテリーは昨日の予約後に充電してもらっている。

さぁ、支払いに2種類のカードを店員さんに渡したら、QUO(クオ)カードでは支払いができない、という。

えっ、である。

帰宅してから調べたら利用できる加盟店コンビニエンスストアとかファミリーレストラン、ドラッグストア、書店、ガソリンスタンドなどなど。

カメラのキタムラが入ってないじゃん。

全国展開しているいきつけの麺屋もないし、大手スーパーマーケットもない。

ましてやファミリーレストランといってもすかいらーく系列だけやんか。

こりゃもうあきまへん。

やけど、公共交通機関に利用出来たら利便性が高くなり、消費増大につながるのでは、と思うのだが・・・。

それはともかく喜び勇んで自宅に戻ったら、早速の開封。



特に儀式はない。

EOS7Dの重さは820g。

EOS40Dは740gだから60gの増量。

ずっしりとした重さを感じる。

シャッター感触が気持ちいい。



EOS40Dのカメラストラップを移し替える。

設定はEOS40Dと同じようにする。

EOS7Dの各部操作ボタンはほぼ同じような位置にある。

多少の操作ミスはあったとしても、操作ボタンの機能は同じだから悩むところがない。

設定し終えて、再び感触を試すシャッター。

あれぇ、先ほどは電子音も鳴ったのに・・・。

鳴らないのだ。

センサーは働いているのかどうかわからない、黒色マークには困ったものだ。

赤色であれば目につくが、黒色はなんとも・・・。

どうして電子音が鳴らないのだ。

そうか、前の所持者は静音を選んだのだろう。

静かな場面にピン、ピンと鳴る電子音は人さまにご迷惑をかける。

そう、判断されて消していたのだろう。

じゃ、どのボタンをどうすれば、そうなるのか。

あれやこれやと調べてみる。

結局わかったのはネットの情報。

電子音はAI-SERVOの設定をしたら、出ないとわかった。

そうなんだ。

私はこれまでずっとAI-SERVOAFをセットしたと思い込んでいたのだ。

電子音が鳴るのはONESHOTAF、若しくはAI-FOCUSAFの場合である。

ここでふと思った。

取材場面において、その状態、状況に合わせて、度々に切り替えるISO設定がある。

暗がりでも設定しなおすこともある。

原因はここにあった。

ISO設定ボタンを押したつもりが、その隣にあるAF-DRIVEボタンを押していたようだ。

ただ、押すだけでは替わることはない、さらに、ダイアルを廻さなければならないのである。

老眼のせいもあって気がつかずにAI-SERVOの設定をしていた、ということだ。

しかも、普段はAI-SERVOであると思い込みが問題を作っていたとわかって、あぁーぁ、である。

原因がわかったところで返品はしない。

平成21年10月に発売された憧れのEOS7Dが手元にある。

7DMarkⅡが平成26年10月に発売されて一挙に中古品市場に溢れた。

EOS7Dの発売当初は18万8千円。

それが3万8千円で手に入るならこんなありがたいことはない。

H店員さん曰く、故障の少ないCFカードが使える最後のデジイチ。

ちっちゃなメモリーカードよりも、その方が良い。

安心して使えるのが良いのである。

40Dよりも行事取材に活躍の場が広がる。

40Dを予備機と考えて使っていくことにしたが、レンズが不足する。

専用に考えたレンズはEF-S 15-85mm/F3.5-5.6 IS USM。

中古品であっても3万5千円もする。

クレジットカードポイントを貯めるには3年も要するのが辛い。

資金不足にシグマ製品17-50mm F2.8 EX DC OS HSM キヤノン用)でもいいや、と思うのだが・・。

(H30. 3.28 SB932SH撮影)
(H30. 3.29 SB932SH撮影)

第18回光匠会写真展in入江泰吉奈良市写真美術館

2019年07月11日 09時50分54秒 | しゃしん
この日に出かける3カ所。

午前中は写真展。

午後一番は行事の調査。

それから博物館というコースである。

決められた時間がないから、きままにコース選び。

適当な時間に起床してゆっくりいただく朝食。

しばらくして身体が動ける状態になる。

気合いが入ってないから、ぼんやりしていたらあっという間。

9時半はとうに過ぎていた。

エンジンをかけて出発。

着いた時間は午前10時15分。

目的地の入江泰吉奈良市写真美術館に着いた。

午前中に拝観しておきたかった写真展は光匠会写真展の第18回目。

案内の葉書を送っていただいたら、必ずや出かけてお会いする夫妻は二人ともさまざまな賞を撮る実力者。

主宰の一人である写真家は元会社の上司であった。

仕事以外のお付き合いをするようになったのはリバーサルフイルム写真が縁だった。

撮影日は平成11年5月2日。

ISOはたしか100だったと思う富士フイルムのTREBIで捉えた写真タイトルは「出荷準備」。

自宅付近にある金魚の養殖池で作業していたご主人の姿をとらえた作品の名付け親が上司。

初の入選作品に選ばれて鼻が天狗になった一枚である。

あれからもう13年にもなる。

長い経過を経て今でも撮っている写真機はフイルム機にデジタル一眼レフ機の2台。

昨今はデジタル機を使用することが多くなった。

そのデジタル機でも美しくプリント焼きをしてくれる会社は㈱トミカラー。

光匠会もそうだったが、先日に拝見した第7回あすか会もここでお願いしているとわかった。

私が写真関係で利用するお店はカメラのキタムラ奈良南店

今年で16回目になった毎年の1月に展示する個人展プリントも長年に亘って㈱トミカラーでお願いしてきた。

原版以上に上手く処理してくれるから気持ちのいいプリントで表現できる。

そんな会話も弾む元上司との写真談義。

今年も個人展を見てくださった。

昨年の展示会は見る機会がなかったと云われたので、たまたま車に積んでいた8枚組作品を持ち出して展示会場で見てくださった。

奈良にこんな景色があったんだ、とたいへん驚かれたことを覚えている。

まさか、今年も・・と思ったので会場に持ち込んだ。

受付でそのことを話したら、見たいと仰る。

会場は次から次へと関係者が拝見しに来る。

一枚、一枚、尋ねてみてはじめてわかる撮影者の気持ち。

これが面白くて勉強になる撮影者の意図。

意図が作品化できればいいが、思うようにいかないのは技の差か。

毎年に拝見している光匠会の作品群。

今年は明らかにこれまでの作品とは違いがある。

これまでの展示はその枚数は少なく、1枚、2枚と数えられるくらいの数枚が印象を残す作品だった。

が、今年はうって変わってべらぼうに多い。

色合いそのものが違う作品は群を抜いていて展示室内の左右に拡がった。

ひととき以上を愉しませてもらった上にコーヒー券をいただいた。

以前ももらったことがあるコーヒー券は入江泰吉奈良市写真美術館地上1階にある喫茶で利用できる。



しゃべり過ぎた舌を冷ますにはレーコー。

そう、関西では冷たいコーヒーを冷コーヒーと呼ぶ。

略してレーコー。冷子さんでもある。

ここを発って大阪・太子町を目指す。

トイレが急にもよおして立ち往生する可能性もあるので、そうならないように先に処理したい排尿。

飲んだ冷子さんがすぐ出るわけではないが、私の場合は毎日の利尿剤服用。

もよおすのが、とても早いのである。

そう思って利用させてもらった館内トイレ。



手洗い場に寄せていた紅白の椿が美しい。

祭りの余韻に浸らせてくれる施設管理者の心遣いが嬉しい。

(H30. 3.15 SB932SH撮影)

若草山の山焼きに興じる撮影地の確保

2019年05月21日 09時33分18秒 | しゃしん
寒い中、ほんとにごくろうさんだ。

三脚を並べて、撮影ポイントを定める。

早い人は朝から並べたという人も居るらしい。



これを目撃した時間帯は午後4時。

佐紀町の火鎮祭行事の聞取りを終えて帰路に通る道で見た光景である。

この日は、わけのわからない「大立山」イベントがある平城京跡。

その周回道路でもあるから、大型バスが何台も。

常に渋滞状態に車が動かない。

丁度というところに渋滞停車中に携帯電話のシャッターを押す。

若草山の山焼きは午後6時半に打ち上げる花火から始まる。

それまで2時間半後の待ち時間。



えー写真撮ってくださいやぁ、と心の内側で呟く。

かつては私もその中に居た。

尤も撮影場所はここではない。

朱雀門により近い場に出かけたのは平成13年の山焼きだった。

その後の平成16年は祭典会場を・・。

当時はフィルム撮影だった。

フイルムは富士フイルムのトレビ400。

絞り値をF22にセットして9回開放するバルブ撮影。

つまりは多重露光であった。

まったくの勘で開放時間を決めた覆い作業は確か着用していた帽子だったと思う。

待つことに耐えられない山焼き撮影は平成19年を最後にやめた。



今ではまったく関心が湧かない山焼き

もっと重要な民俗に没頭するようになったのもやめた理由であるが・・。

ある人がツイッターに呟いた映像に、えっと思った場所がある。

その映像は東大寺戒壇院前からとらえた若草山の山焼きである。

不思議な光景のように感じたが・・どうでもいい。

(H30. 1.27 SB932SH撮影)

貰ったキャノンレンズにフード装着

2019年05月05日 07時56分11秒 | しゃしん
私の撮影データによればキャノンレンズEF28-80UZMⅡから切り替えたレンズはタムロン製。

レンズはAF28-300XRDi

切り替え時期は平成17年7月24日から8月4日だった。

それから使い続けること12年間。

怪しい状態が発生したのは平成29年1月7日

能勢町のキツネガエリを撮っていたときである。

なぜか急に現われたジィー音。

ピントが合ってくれない。

騙し騙し撮ったフイルム写真は数枚しか残らなかった。

不安はあったものの使う機会はぐんと減った。

そのころのフイルムはコダック製。

期限切れのKodak professional E100エクタムローム(※人気再燃と販売増によって復活)。

我が家の冷蔵庫に寝かしていた。

保存していたコダックフイルムを使わざるを得なくなったのは平成28年の7月30日。

それまで活躍してくれたベルビア100。

フジフイルム製のフイルムが切れたことによる。

ベルビア100以前は同フジフイルム製のプロビア100だった。

それ以前はプロビア400。

平成27年10月18日の撮影が最後になった。

原因はメーカーの製造停止。

暗がりの被写体であっても十分に耐えうる性能に活躍していたフイルムは製造停止。

やむなくISO100に換えざるを得なかった。

暗がりはとてもじゃないが、無理。

三脚を構えてようやく、であった。

フイルムが活躍できる場面は極端に少なくなった。

出番がすくなくなったこともあって、冷蔵庫に納まっていたコダックリバーサルフイルムのエクタムロームE100に登場してもらうことにした。

だが、写せる範囲は絞られて晴天の日にしか出番がない。

そんなあれやこれやで苦労していたフイルム撮りは、AF28-300XRDiタムロンレンズの不調をもって終末を迎えた。

最後に撮った写真はレンズ交換することなくキャノンEOS-3内に残ってしまうことに・・。

救いの手を差し伸べてくださったのは写真家のKさん。

もし、不要にしているレンズがあれば譲ってくだされ、とお願いをしたら、蔵から出てきたそうだ。

平成29年9月24日、涌出宮のアーエーの相撲の撮影に来られていたKさんが差し出したレンズは2本のキャノン社純正製品。

一つは58径のEF75-300mm f/4.0-5.6 ULTRASONIC。

二つ目が58径のEF28-80mm f/3.5-5.6 ULTRASONIC。

それほど長くは使っていなかったというから新品同様。

まったく使わないので、そのまま使ってくださいに甘えてしまう。

ありがたく使わせてもらうレンズにはレンズフードがない。

カメラのキタムラに行きたいが、フイルム撮影行事がなかなか行き当らない。

撮影行事は屋外で、かつ晴天の日に絞られるから、なかなか行き渡らないから、翌年に持ち越し。

写真展の機会があってようやく購入することにしたレンズフード。

口径は58mm。

調べるのも面倒くさくなってレンズを付けたEOS-3ごとお店に持っていく。

これに見合うレンズフードを探してくれた。

今なら丁度、中古品があると出してくれたフードはキャノンのEW-60C。

製品は中国製。

価格はたったの780円。

撮影条件を満たす行事が早くこないかな、と待ち続ける。

ちなみに58径のEF75-300mmに見合うフードはET-60のようで、ヨドバシカメラ通販価格であれば1060円になるそうだ。

(H30. 1.20 SB932SH撮影)

2本の貰い物フイルムレンズで延命

2018年12月14日 10時03分36秒 | しゃしん
レンズかカメラかどちらであるのか、具合が悪くなったフイルムカメラはキャノンのEOS-3

もちろん中古品で購入した本体。

使い始めは平成21年の11月7日。

初めての被写体は五條市大塔町惣谷で行なわれた山の神参り。

その日以来、ずっと愛用し続けたカメラがおかしい。

笑っちゃうほどおかしい。

何がおかしいかと云えば、ピントが定まらず空回り。

広角側がおかしいとわかって、騙し騙しで使用し続けたが、シャッターを押したとたんにエラーが出る始末。

事象が出だしたのは今年の正月明け。

平成29年1月7日に訪れた大阪能勢町のキツネガエリだった。

晴天にこれは撮りどきと思っていたが、シャッターが押せたのは10数コマ。

なんとかフイルム記録ができた。

その後もおかしいから一行事でモノにできたのはほんの数コマ。

4月23日の天理市福住のおつきよか、奈良市米谷町の水口まつり、宇陀市榛原山辺三の青空に泳ぐコイノボリ、天理市勾田町の水口まつりに天理市中ノ庄町の水口まつりが最後だった。

原因はカメラかレンズのいずれか。

試しに5千円で譲ってもらったEOS-3にレンズを入れ替えても同事象。

これはもうレンズしかないと思っていた。

レンズはタムロン社製のAF28-300XRDI f/3.5-6.3(発売当時の希望小売価格は66,000円)。

これは新品購入。

使い始めは平成17年8月4日。

下市町下市に鎮座する八幡神社の末社になる杉箸神社で行われた箸まつりである。

使用年数は12年間。

十二支一回りである。

レンズグリップは伸びてしまって今にも外れそうな具合である。

たぶんレンズの焦点合わせができなくなってしまったと考えた。

ネットの中古品を漁ってみればあるある。

最低価格が15,800円。

買えない価格帯ではないが、もしかしたらお持ちではと思って写真家Kさんに相談したら、家の蔵を探してくれた。

蔵から出てきたレンズは埃がまったくないほぼ新古品。

デジタル全盛の時代にもう使わないから、貰ってやってくださいの言葉に飛びついた。

ありがたいが、使えるのかどうか・・。

譲ってもらっていたEOS-3に装填する。

シャッターを押す。

快感の連続音に酔いしれる。

この日貰ったレンズは2本。

一本は58径のEF75-300mm f/4.0-5.6 ULTRASONIC。

もう一本は58径のEF28-80mm f/3.5-5.6 ULTRASONICだ。

しかも、両方ともハクバのUVフイルター付きでくださった。

翌日の25日に装填したカメラは元気な音を立てていた。

おかしな事象はカメラでなくレンズであった。

2台になったカメラを被写体によって使い分けよう。

ただ、そうなると重宝しているカメラッボックスには入らない。

もう1個どこかに落ちていないかな。

(H29. 9.25 SB932SH撮影)

フルLL再プリント

2018年07月22日 08時14分19秒 | しゃしん
依頼していたプリントができたと電話が鳴る。

プリントは天理市勾田町で撮らせてもらった水口祭の情景である。

デジタル写真機で撮ったものではなく、フィルムカメラのキャノンEOS-3で撮ったもの。

フィルムはコダックのE100エクタムローム。

冷蔵庫で保存していたフィルムであるが、発色劣化も見られないので使用している。

プリントの大きさはいつも指定する通りのF-LL。

できあがりはいつも余黒であがってくる。

ところがこの日のあがりは余黒でないし、余白でもない全面プリントで返ってきた。

これって色も思った通りじゃないよ、と店員さんに告げる。

できあがりはどちらかといえばデジタル写真機で撮った仕上がり。

薄っぺらい仕上がりにどうなってんの。

私はいつも特記事項を書き添える。

「原版に忠実にプリントしてください」と但し書きを入れる。

これを毎回書き込むようになったのはプリント仕様がデジタルになってからだ。

フィルム原版通りに仕上がらないから何度も何度もやり直しを再指示した。

何回も再依頼した結果である。

当時おられた副店長と相談した結果は依頼時に「原版に忠実にプリントしてください」を書き添えることで同意した。

それからというもの、毎回においてずっと書き込むようにしていたが、すべてが余黒。

フイルムプリントはすべてが余黒。

いちいち「余黒」を書かなくとも余黒で仕上がってくる。

店員のKさんはすぐさま動いてプリントした会社に電話とFAXを入れた。

その結果、プリント会社のミスを判明した。

デジタル時代に染まってしまったプリント技術者のミスは、戦争を知らない子供たち、ではないが、「フィルム時代を知らない技術者」と云いたくもなる。



再プリントされてできあがった写真の具合を一目瞭然。

発色は綺麗な仕上がりにほっとする。

(H29. 6.14 SB932SH撮影)
(H29. 6.16 SB932SH撮影)

遺作展になった森本康則個展「大和の一本桜」inアートスペース上三条

2018年03月12日 09時23分37秒 | しゃしん
森本康則氏が個展の写真展をされていると知ってぶらり散歩がてらに寄ってみる。

展示会場は知人の豊田定男さんが織りなす「奈良いまむかし」展をしていたアートスペース上三条

平成25年の6月4日だった。

場所はわかり難く往生したことがあった。

今回は2度目。

それでもあれから4年も経っている。

町の移り変わりは早く感じる。

あの狭い通路のようなところに入る口はどこだろうか。

たぶんここらであろうと思った地にタイムパーキングが見つかった。

以前はたしかなかったような気がする。

駐車しようとすればこれまた知人の写真家Kさんが歩道を歩いていたところに遭遇。

タイミングは30秒もズレておれば遭遇することのない、これを奇遇としか言いようのないタイミングである。

これから個展に、といえばご一緒しましょうということで会場にあがる。

そこにおられた森本康則氏。

1カ月半も入院に体重は10kgの減量。

ほっそりとされたが穏やかな面立ちはいつもお会いするときと同じだ。

温かみのお声で優しく喋られる、あの雰囲気は他の人には見られない魅力をもっている。

私もそうでありたいと思うが、無理なことである。

実は森本康則氏とはお会いしてお話しをしたのは平成27年5月3日に観覧させてもらった第20回水門会写真展のときである。

氏との繋がりはもっと以前である。

繋がりのキカッケを作ってくれた写真は一枚。天理市の大和神社で斎行されるちゃんちゃん祭りの一コマである。

その写真は「県政だより奈良 2005.4月号 第226号」に掲載された。

平成17年のことだから、今から12年も前のこと。

掲載された写真は私が撮った原画とまったく同じ。

こんなことってあり得るのだろうか。

答えを知りたくて県庁広報課に向かった。

応対してくださった広報課職員のKさん。

その写真は大和神社宮司から提供されたのが事実であるとわかった。

後日、訪れてそのことを尋ねた宮司さんは、県より掲載写真の提供を願われて、神社にあった写真を渡したというのだ。

えーっ、である。

過去、撮らせてもらった写真はできる限り、お礼として取材地にさしあげている。

その写真を渡したというのだから、間違いなく私に著作権がある。

HPにも書いたが、逆に名誉なことなので広報課の了解をえて「ならグルグル散歩」に紹介することにした。

そのことをきっかけに発展した「県政だより奈良」の写真掲載。

広報課から正式にお願いされての祭り・行事写真の掲載に一役買っていただいたのが森本康則氏だった。

直接はお会いしなかったが、候補写真の何枚かを広報課に提供した。

その中から選んでくださった選者であった。

そのときの写真は川上村烏川の弓始式を筆頭に、御所市鴨都波神社のススキ提灯などがある。

それからさらに発展した県からの依頼は平城遷都1300年祭を記念に発刊された『奈良・大和路まほろば巡礼』であった。

このときも写真監修をされたのが森本康則氏だった。

そんな経緯によって繋がっていた氏と初めてお会いして喋ったのが、先に挙げた第20回水門会写真展のときだった。

私の思い出はそういうことだが、監修をしてくださったおかげで今日の私がある。

いわば先生みたいなもので、今でも感謝している。

さて、写真展は氏が県内のあらゆる所に目を向けて撮ってきた「大和の一本桜」。

私も県内各地の一本桜や美桜を求めて探し回ったことがある。

見慣れた桜もあれば、ここってどこと思えるような桜もある。

穏やかな人物が穏やかな作風で写真を仕上げた「個展」に魅了される。

私が気に入っている桜にこんなのもありますって伝えたら、是非、来春にでかけてみたいと話していた。

個展より半年前の平成28年10月である。

氏がFBをされていると聞いてリクエストさせてもらった。

繋がった私のFBにコメントしてくださったのは平成28年11月4日。

その返事に「桃香野でもっとお話ししたかったのですが、隣村の行事取材の時間に追われていて失礼しました。行事のあれこれを写真に収めるだけでは限界を感じます。何年か前に民俗芸能調査員を委嘱されたこともあってより一層、所作の動きが気になりますね」を送った。

平成28年の10月23日に訪れた奈良市月ヶ瀬の桃香野の伝統行事に出会ったときのことである。

返答したコメントにコメントを返してくださる。

そのときの私の返答は「10年ほど前のことですが、『県政だより 奈良』の表紙写真を厳選してくださったのですから、私にとってはやはり先生ですょ。また、どこかでお会いしたいものです」。

そうしてお会いした個展であった。

実質はたった3度のリアルな出合いの写真談義が嬉しかった。


それから半年後の平成29年9月24日に訃報が届く。

直接ではなく、知人のNさんがFBに投稿した文章が気になる。

もしか・・、と思っていた翌日の9月25日。

電話の発信者は写真家のKさん。

主たる目的は撮影協力の願いだ。

通しで5日間のビデオ撮り。

それにはスチル写真が要るとのこと。

5日間のうち、この日は身体が空いていますか、という電話だった。

その日の夕刻は近々に取材の許諾をしてもらった伝統的民俗行事の取材が決まっている。

決まったのは前日のことである。

早朝からの行事もあったが、それは断った。

いや、断るというよりも行きたいな、と伝えてはいても確約ではないから、断念である。

なんせ行事が一番多いとされる10月の第二日曜日。

困ったものである。

そのKさんに森本さんの名を出した。

実は今から葬儀が始まるということだ。

心配されたことが現実になってしまった。

もう一度会って写真談義をしたかったが叶えられることはない。

突然の葬儀知らせに泣いてしまった。

氏の誕生日は4月4日。

私の方が3カ月早く生まれた同年生。

今でも病いを抱えている私より先に逝ってしまった。

合掌。

写真展から1年後。

逝去されてから半年後。

森本康則さんのFBは生きていたが・・・。

FBが伝える平成30年4月4日の一日前。

「・・誕生日を祝いましょう」のメッセージに反応する人は現れない。

天国に逝ってしまった森本康則さんも応えてくれない。

逝去されて半年間。

どうか天上で見守っていただきたく、FBも「友達から削除」を押して、合掌。

(H29. 4.12 SB932SH撮影)
(H29. 9.25 追記)
(H30. 4. 6 追記)