マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

第47回奈良県美術人協会展in奈良県文化会館

2016年12月02日 09時20分50秒 | しゃしん
案内状が届いた第47回奈良県美術人協会展。

展示場は昨年同様の奈良県文化会館展示室。

フロアー全面借りての展示。

閲覧者迎えは中央ホールに並べられた彫刻である。

絵画の展示会場から移動していた男性がいた。

馴染みというか共に「大和の民俗」写真展に出展しているMさんだ。

私の病状に気遣ってくださる。

それはともかく今年のテーマに悩まされているという。

悩みながらも先日に出かけた今井町のイベント会場で目に入った煙りだし。

建物構造的にと思って撮っていたというが、これでは構造物で終わってしまう。

民俗を表現するにはこのままでは・・・と云う。

私もそう思う構造物。

得てしてコレクション的になりかねない。

「住」をとらえるにはなにも構造物でなければ、ということはない。

私はそう思っている。

「住まい」は暮らしであり生活、営みである。

自分自身が育ってきた建物からどういうものを類推するか、だと思っている。

Mさんが生まれて暮らしてきた住処。

随分前に建替え撤去したそうだ。

今から撮るということは不可能と云う。

それならと、私が狙いを広げる。

住まいはなくとも記憶はあるはずだ。

生まれたとき、幼少を育ったとき、青年、大人になったときなどそれぞれの時代には記憶があるはずだ。

それを創造的に膨らませることはできないか、である。

住処は十津川村に原点がある。

そう思いかけて、近日に発生した土砂崩れで足を阻まれる。

いたしかたないが締め切りに間に合うかどうかは疑問である。

それなら他の地域はどうなのか。

十津川以外に思い起こせないと云う。

Mさんが記憶にある心象的な情景はどのようなこのであるのか、私は存知しないが、Mさんが記憶の断片から糸を手繰るように導きだすしかないと思った。

私自身であればどうするか、である。

私が生まれ育った地域は大阪市内の町暮らし。

30年ほど前には住んでいた木造住宅は鉄筋コンクリート造りになった。

生活する建物は換わったが記憶にあるのは木造住宅時代だ。

火鉢があった。

円卓で食事をしていた。ト

イレはどっぽん便所だ。

お尻を拭くのは溶けにくい厚めのザラ紙だった。

新聞紙で代用したこともある。

炊事場はガスコンロ。

大阪市が発行した火の用心の札を貼っていた。

玄関には逆さにして貼った「十二月十二日」のお札もあった。

暮らしのなかの断片的な記憶である。

これを写真化するにはどうすればいいのか。

記憶に「デシャブ」もある。

実際に体験したのか、それとも夢の中に現われた情景なのか。

いわゆる既視体験、或は既視感である。

かつて住んでいた情景を描くにはその手があるが、場は大阪では大テーマの「大和の民俗」にあてはまらない。

既視体験、或は既視感を奈良大和の風景や情景など「民俗」に値する類似例があるものを現地で探す。

その方法も一つである。

そうであればすぐさま思いだすのが、火の用心や十二月十二日のお札である。

奈良でいくつか拝見したそれがある。

もう一つはどうするか。

田舎の母屋に囲炉裏はなかったが、竃や五右衛門風呂があった。

火をくべていた体験はある。

入浴したこともある。

我が家にあった丸型木製風呂も薪で炊いていた。

いただいたベニヤや割り木を斧で割っていた。

ガス風呂になるまでは子供の仕事だった。

それと同じような既視体験、或は既視感が想定される奈良の写真がある。

写真の良し悪しは別として、3枚組は想像の頭の中で展示された。

そんなことを思いだしながら展示品を拝見する。

作者の数だけ作品がある。

点数が多いものから順にあげる。

圧倒的に多いのは65点数の洋画だ。

次は44点数の書芸。

3番目は26点数の日本画。

4番目は21点数の写真。

5番目は15点数の彫刻。

一番、点数が少ないのは工芸の9点である。

私は一応のところ民俗写真家と名乗っている。

まずは本業の写真展である。

ざっと一巡して気に入った作品は一つ。

こういう映像を撮ってみたいと思った作品は久保田秀典氏の「SOUND」だ。

ただそれだけの一点。

全体を見させてもらった今回の展示。

感動しないのである。

ハートを揺らすような作品がない。

どれもこれも物足りなさを感じる。

どちらかといえば日本画、洋画作品に惚れてしまう。

絵がモノをいう作品に圧倒される。

こういう具合の情景を撮ってみたいと心を揺さぶるのだ。

「はァー」が漏れた。

とにかくため息がでてくる作品。

ため息は愕然としたという意味ではない。

展示された作品は挑戦的。

画に迫力を感じる「はァー」である。

絵画もそうだが、工芸も拝見したら写真がちっぽけに見える。

挑戦状を叩きつけられたようで、自分自身ももっと勉強しろよと云いたい。

コラージュでもない、全景を表現するでもない、記録写真的でもない、どちらかと云えば一発勝負。

眼前に飛び込んでくる局部的な写真。

そんなのがふと既視的に・・・出ては消えた。

(H28. 5.18 SB932SH撮影)

JNP日本風景写真協会奈良第1支部第14回写真展in奈良市美術館

2016年12月02日 09時07分28秒 | しゃしん
だいたいが4月、或は5月に集中して展示される写真展。

案内状が届けばできる限り行かせてもらう。

一年ぶりになった写真展には送り主もおられる。

ほぼ元気になりつつある姿を届けようという思いもあって出かけた奈良イトーヨーカドー。

5階にある奈良市美術館が会場だ。

今回のテーマは何だろうか。

そう思っては見るもののテーマ性はない。

撮られたカメラマンの思いで組まれた3枚組。

場合によっては2枚組もあるJNP日本風景写真協会奈良第1支部の展示会。

今回で14回目になる。

北は東北から西は鳥取。

昨年と大きく変わったのは奈良県が圧倒的になったことだ。

県別でみれば秋田(3点)、岩手(1点)、福島(6点)、新潟(2点)、長野(10点)、山梨(1点)、静岡(1点)、岐阜(1点)、滋賀(1点)、三重(2点)、奈良(23点)、大阪(1点)、鳥取(1点)だった。

前回の13回目と比較すれば大判り。

なにが嬉しいかっていえば会の名は奈良。

カメラマンの住む地域が奈良県であろうからその名がついたと思えるが、私が気にするのは住んでいる地域をもっと撮ってほしいのだ。

他府県にない味わいをもつ奈良県。

もっと多くの方々に魅力を伝えてほしいと願っている。

前回は39%であったが、今回は43%。

それで良しとはいわない。

半分以上を占めてほしい。

展示している風景は秋や冬が多いように思える。

情感、共感を得やすい被写体の季節を撮る目的で遠路を目指す。

そう思って、試しに季節分析もしてみた。

写真がずばり積雪の冬景色や紅葉が映える空景色は断定できるが、できないものもある。

僅かに映る花などの季節感を参考にして選別した結果は冬が19点の36%、春は11点の21%、夏は5点の9%で、冬と秋が同点19点の36%になった。

感じ方は感覚であったが、頭に描いたとおりで間違いでなかった。

また、一番に多かった奈良県。

カメラマンはどこへ行って撮っているのか。

ある程度は判っている。

県内南部がたぶんに多いはず。

そう思ってこれもデータ分析した。

件数でいえば奈良市内が2点、斑鳩は1点。

以下、五條(1点)、下市(1点)、天川(1点)、吉野(1点)、川上(1点)、東吉野(3点)、御杖(1点)、曽爾(3点)、十津川(1点)、野迫川(1点)、上北山(3点)、下北山(4点)である。

並べてみてわかる地域別件数。

圧倒的に南部奥吉野の山々に清流、渓流である。

美しさを求めて山間に出かける。

これが風景写真だと云っているようなものだ。

私はこういう傾向に反発する。

住んでいる地域にもっと良さがあるでしょう、である。

であるというよりも普段の暮らしのなかに素晴らしい景観を見逃してはいませんか、である。

不満をたらたら述べさせてもらったが、私なりに秀逸だと思った作品がある。

一つは南伊勢町の漁村景観だ。

豊穣の海に浮かぶ竿。

そこに網がある。

色は緑色。

アオサ海苔の色である。

緑、緑で全面を覆うことなく手前に光る網もある。

海はコバルト色でもない。

コントラストは激しくない穏やかな海苔の養殖場に感激した。

アオサ海苔の美味しさを感じたのだ。

もう一つは若草山にいる鹿の立ち姿。

魚眼レンズをやや斜めに透かしてとった動物がいる景観写真。

撮られたMさんが云った。

今回の展示に動物はこれだけになるそうだ。

ビル群が建つ都会の情景も一枚。

Tさん得意の星座が二枚。

頭に焼き付き印象が残る写真を撮ってみたいと思った作品である。

展示写真のすべてを拝見した同会。

デジタル全盛の時代にフイルム志向の方がいることに嬉しさがこみ上げる。

その枚数は13点。

1/4の25%もあるのが驚きだ。

帰りに立ち寄ったカメラのキタムラ奈良南店。

全国展開しているカメラのキタムラのなかでもダントツに多いのが同店舗。

全国的にデジタル写真が多なか、孤軍奮闘とは云わないが、圧倒的に多いフィルム利用。

それは県民性なのかどうか判っていない。

(H28. 5.14 SB932SH撮影)

千の風にのっていった桜

2016年10月08日 08時26分04秒 | しゃしん
花の名前はなんでも知っている。

お花が好きだった。

庭はいつの時期も満開やった。

故人の遺志は花に囲まれていたい。

枝垂れ桜で埋めてほしいと願っていた。

喪主家族の思い込めて並べた25枚の枝垂れ桜などのプリント写真が一面に広げていた。

平成13年から15年にかけて撮っていた県内各地の桜は千の風にのって天に昇っていった。

役に立てたと思う桜写真はお蔵入りにしたくなくFBおよび当ブログにおいても公開することにした。

故人も喜んでくれていると思う。合掌。

千の風にのっていった桜はどこに咲いていたか。

桜咲く名所は数々あれど、探してみるのも楽しみのひとつ。

出合えたときの嬉しさは感慨ひとしお。

さて、公開した桜はどこで咲いているでしょうか。

その年、その年の咲く時期は変位がある。

1枚だけは京都府であるが、他の24枚はすべて奈良県にある。

25場所すべてが正解なら「先達」。

24~20場所は「達人」。

19~15場所なら「通」。

14~10場所であれば「そこそこ」。

9~5場所や、という人は「まあまあ」。

5場所までやったら「初歩的観光客」。

賞品も賞金も出ませんが、自己診断で称号認定を・・・。


①大和郡山市城内町郡山城址<撮影日平成14年3月23日・EOS KISSⅢ>


②奈良市春日野町氷室神社<撮影日平成14年3月23日・EOS KISSⅢ>


③奈良市春日野町氷室神社<撮影日平成14年3月23日・EOS KISSⅢ>


④京都府井手町地蔵禅院<撮影日平成14年3月28日・EOS KISSⅢ>


⑤大和郡山市城内町郡山城址<撮影日平成14年3月28日・EOS KISSⅢ>


⑥奈良市芝町西大寺<撮影日平成15年4月6日・EOS KISSⅢ>


⑦宇陀市室生大野大野寺<撮影日平成14年3月30日・EOS KISSⅢ>


⑧宇陀市室生大野大野寺<撮影日平成14年3月30日・EOS KISSⅢ>


⑨奈良市西ノ京町薬師寺<撮影日平成15年4月6日・EOS KISSⅢ>


⑩天理市乙木町西乗鞍古墳<撮影日平成14年3月30日・EOS KISSⅢ>


⑪河合町馬見丘陵公園<撮影日平成14年3月30日・EOS KISSⅢ>


⑫広陵町寺戸高田川<撮影日平成15年4月6日・EOS KISSⅢ>


⑬明日香村橘・橘寺<撮影日平成13年4月7日・EOS KISSⅢ>


⑭曽爾村長野屏風岩<撮影日平成14年4月6日・EOS KISSⅢ>


⑮大和高田市大中・大中公園<撮影日平成15年4月7日・EOS KISSⅢ>


⑯桜井市多武峰談山神社駐車場<撮影日平成15年4月6日・EOS KISSⅢ>


⑰奈良市雑司町東大寺大湯屋<撮影日平成13年4月8日・EOS KISSⅢ>


⑱宇陀市大宇陀才ケ辻光台寺<撮影日平成15年4月17日・EOS KISSⅢ>


⑲東吉野村木津宝蔵寺<撮影日平成15年4月17日・EOS KISSⅢ>


⑳宇陀市榛原赤埴佛隆寺<撮影日平成17年4月19日・EOS KISSⅢ>


㉑宇陀市室生西光寺<撮影日平成13年4月15日・EOS KISSⅢ>


㉒宇陀市室生田口<撮影日平成13年4月15日・EOS KISSⅢ>


㉓東吉野村木津宝蔵寺<撮影日平成15年4月17日・EOS KISSⅢ>


㉔奈良市雑司町東大寺講堂跡<撮影日平成15年4月19日・EOS KISSⅢ>


㉕奈良市雑司町知足院<撮影日平成15年4月28日・EOS KISSⅢ>

(H28. 3.25 記)

第16回光匠会写真展in入江泰吉奈良市写真美術館

2016年09月27日 09時47分27秒 | しゃしん
つい先日お会いした元上司は婦人とともに写真クラブを運営されている。

会員の一人は堺で勤務していたときの職場仲間の人だ。

当時、仕事を終えて写真の講評をしてもらっていたのがそのときの上司だ。

写真展は毎年の案内状で通知される。

今回で16回目になる光匠会の写真展も昨年同様の入江泰吉奈良市写真美術館の一班展示室で開催される。

私はといえばカメラのキタムラ奈良南店で「食を干す」テーマに8枚組で展示している。

それを見てくださっていたご夫妻には身体のことで心配をかけた。

近距離、かつ単独運転の条件で許可されたことを伝えるためにも出かけたかった写真展だった。

会場は階段を降りて右旋回する場にある。

左は入江泰吉奈良市写真美術館本展の受付。

そこに見慣れた人が立っていた。

5カ月ぶりにお会いするKさんだ。

5カ月前は撮影を依頼された村行事のゾークを撮っていた。

そのときにお会いしたときは脈拍が110拍になっていた。

神社手前の若干の坂道を登るのが困難だった。

足が動かないというか、上がらないのだ。太鼓台の巡行を撮りたかったが、追いつけなかった。

そのときの様子は判らなかったというKさんは前回のゾークの状況をかすかに覚えているようだ。

それはそれももっと賑わっていたという。

祭典もそうだが、ゴクマキの量がとにかく多かったという年代は高校生。

隅から隅までの記憶はないらしい。

12月にアブレーション処置をした今の身体の脈拍は一挙に下がって40拍前後。

民俗行事の取材は自宅近所の3行事ぐらい。

10日ほど前に取材した村行事のオコナイに道具になる植材が変化していると話した。

オコナイに登場する植物は牛玉杖(ごーづえ)や乱声の叩き棒などだ。

護岸工事でカワヤナギが全滅して行事の材を変更せざるを得なかったという地域もある。

こういう状況に陥っている地域は増えつつある。

有名な東大寺・薬師寺などの大寺においても同じような現象が起きている。

村行事であれば、自然に生えた植物であっても村の人が採取するだけに集めやすい。

地元の自然は地元の人が詳しい。

山間の村であれば、山入りする人が生えている植生状況を知り尽くしている。

平坦ではそういうわけにはいかない。

取材地で話題にでる時期的な植生に松の木がある。

門松に立てる松はオン松にメン松の二揃い。

これを入手するのが難しくなって植木屋に頼む時代になっているのも現実だ。

調達できなくなって道具の材が代わる。

代替で継承する時代が長ければ長いほど変化の要素を忘れ去る。

こういう代替は文書化をすることがない。

口頭で引き継がれていくのが常である。

例えば長老が切り替えた状況を認知していたとする。

或はやむなく切り替えた植材を採取した人がいるとする。

だいたいが、その役目を担うのはトーヤさんだ。

トーヤの引き継ぎ書にそう書いてあれば後継者に伝わり、村の歴史が物語れるのだが、口頭の場合は記憶も曖昧になり、何十年も経過すれば代替わりで記憶は消える。

今日継承されている村でも、なぜにこの道具の材であるのか尋ねても答えは「判らない」である。

人の手によって変化をもたらせた植生の影響で行事やマツリに必要な道具が代替化する。

場合によっては道具そのものが廃止になった事例もあるやに聞く。

東大寺二月堂の修二会行事は講社(仁伸会・山城松明講・江州紫香楽一心講(フジヅル)・庄田松明講・伊賀一ノ井松明講・百人講・河内仲組・河内永久社・朝参講など)と呼ばれる組織の人たちが集め、運び込まれた道具の材料寄進によって支えてこられた。

松明の支柱になる真竹は入手しやすいが、一心講のようにフジヅルやタラ、ホウの木などある程度、植生範囲が特定地域にしか生えない植物を寄進する講社もある。

自然の恵みが変化し、入手、調達が困難になってくればどうするのだろうか。

難しい課題を抱えている。

考えさせる将来展望の長話に終わりはない。



ここらで一旦はお開きして光匠会写真展会場に移動する。

迎えてくれたのは前述したご夫妻だ。

その後の身体状況を伝えて、早速拝見する。

作品をひと通り見て回る。

気にいった作品があった。

一つは「火伏せ」。

もう一つは「雨の永平寺」だ。

その他にもいいなと思った作品がある。

「神代の音」、「リズム」くらいかな。

強烈な印象を受けたのは入口を入ったところに展示していた三枚組の「火伏せ」だ。

どの写真にも「水」の文字がある茅葺家屋をとらえた作品だ。

火災に見舞われないように屋根付近、三角部分の壁にある妻飾りの破風(はふ)文字は「水」。

それだけで消火機能は果たすこともない「水」の文字はまじない。

妻飾りの原型は火除けまじないの懸魚<げぎょ>)である。

作品の中央に配したのは大きく取り上げた妻飾りの「水」文字写真。

左右の写真は茅葺民家の屋根の内部をとらえていた。

「水」の文字は空洞。

白抜き文字のような感じだ。

屋根の内部は光がなければ真っ暗だ。

S暗闇のなかにぽっかり浮かんだ「水」文字。

外光を浴びた「水」文字は光が直線に伸びて屋根の下。

つまり天井板間へと繋がる。

光が当たった先には藁束が積んである。

そこに写りこんだ文字が「水」だ。

もう一枚も同じような感じだが、挿し込む光跡をうまくとらえている。

一般的に茅葺民家を撮影するには外しかから撮ることはできない。

作者は民家住民の許可を得て天井に登ったのであろう。

民俗的景観を表現した「火伏せ」の写真に感動したのであるが、「住」テーマの一つと思っていたものがガラガラと崩れた。

感動ものの写真はもう一枚。

「雨の永平寺」である。

雪か雨か判らないが、流れるように降り注ぐ状況の奥に僧侶が動く。

その場は楼門である。

霞むというか古風な色彩で描かれる絵画的手法の作品はどういう具合に撮ったのだろうか。

気になって作者に求めた。

細かく落ちる点々は雨。

その日は土砂降りだったそうだ。

流れる点が伸びる。

落ちる速度とシャッタースピードと相乗効果、とでもいった方がいいのか。

手前に流れる滴が点々の列で描かれる。

一直線に落ちる形跡は屋根から流れる溢れた雨滴だったのだ。

逆の方を向いて撮っていた。

僧侶が歩く気配を感じた瞬間に振り返って思わずシャッターを押した。

ゆえにピントを合している間もなかったという。

三脚もなく手持ち撮影。

ブレもなく、斜め感もなく、ぴたりと位置する水平状態を保った作品に圧倒された。



写真はいずれも光匠会代表からいただいた飲み物券が利用できる入江泰吉奈良市写真美術館の喫茶ルームでとらえたものだ。



展示された写真を拝見した印象が記録にのこればと思ってシャッターを押していた。

(H28. 3.12 SB932SH撮影)

欠損破片が見つからないキャノンスピードライト420EX

2016年07月21日 08時53分32秒 | しゃしん
昨日のことだ。

京都府南山城村で行われていた花踊りを撮っているときだった。

旧小学校の校庭に集まってきた踊り子を撮っていた。

装着していたストロボをみればなぜか斜めになっている。

接点部がややこしいことになっているのだ。

ネジを緩めてみる。

接合部が外れる前にガクっと取れた。

何事が起ったのか。

一瞬は面食らったが具合は判った。

接点部が割れていたのである。

欠損した破片はカメラシューに残っていた。

ストロボ接点部に合わせたら合致したが、どうすることもできない欠損ストロボはキャノンスピードライト420EX。

購入した年月日は平成14年の11月18日。

なんと、なんと、である。

13年も使い続けてきた420EXはたまりかねたのか、とうとう接点部の経年劣化を起こしたのだ。

プラスチック製の接合部の欠損で命を絶った。

いつも世話になっているカメラのキタムラ奈良南店に出向く。

こんなんなっちゃったと店員さんに見せる。



修理をすれば1万円はかかるという。

13年も使って、まだ続けるか、である。

13年のストロボ発光数はどれぐらいになるのか回数は記録していない。

発光していたのでまだまだ使えるはずだったが命を絶ったからには仕方ない。

選んだ道は修理でなく中古品。

探してくれた一品は9800円。

綺麗状態らしい。

もっと安価な品はあるのか、ないのか・・・。

あった。

多少キズ有りの一品は7150円。

綺麗さは求めない。

とにかく動作してくれればいいのだ。それでお願いしますと発注した。

手配先はカメラのキタムラつくば店。

同時に発注がかかっておれば競合する。

その場合は電話で伝えると話していた。

それから数日経った9日。電話はなかったが、もしかとすれば入荷していると判断して中白木取材の帰り道に立ち寄った。

別の店員さんに探してもらう。

あった。

入荷していてはいるものの発注製品と同じかどうか確かめられる。

間違いないと判断されて発光テスト。

問題なく動作する。

中白木の取材ではストロボ無し。

餅搗き動作は流れるような恰好で気にいる被写体は少ない。

明日はマツリの本祭。

見逃せない行事にブレブレはしたくない。

そう思って待っていた念願の中古ストロボを手にして一安心する。

ちなみに支払いは半分の3595点は3595円の値引き。

残り金額の3555円はクレジット支払い。

合計7150円のキャノンスピードライト420EXもガンバッテ作動してほしいと祈っている。

(H27.11. 4 EOS40D撮影)

出展作品に登場のおばあちゃんたちに感謝

2016年07月13日 09時25分13秒 | しゃしん
第5回目の「私がとらえた大和の民俗 ―衣― 」写真展が始まった。

翌日にはカメラマントークも行われた。

開催期日までに出展作品に登場するおばあちゃんにお礼を伝えたかった。

そのときに要るのが写真展図録。

今回は開催日までのお届けができなかった。

展示日の前日に業者納入された写真展図録。

当然ながら間に合わない。

翌日の26日にメール便で届いた図録。

写真、日付け、場所、解説分などなどを確認する。

若干の手違いでテレコになった頁はあるが、大きな影響を及ぼすものではない箇所だった。

この日は仕事休み。

できる限りにモデルになっていただいたおばあちゃんに手渡ししたい。

そう思って車を走らせる。

1カ所目は田原本町の八田。

撮影地はすでに終わっていた稲刈りの場。

とうぜんながら誰もいない。

ご自宅を訪ねて呼び鈴を押すが反応はない。

裏に入って作業場を見れば男性がホウレンソウを綺麗にしていた。

奥さんの居場所を尋ねるが耳が遠くて応えられない。

問答の結果、どうやら畑に居るらしい。

自宅よりそれほど遠くない処の畑を見渡した。

帽子を被った野良着姿。

腰の曲がり具合でおばあちゃんだと一目で判る。

近づいて声をかけたら笑顔を返してくれた。

撮らせてもらったときも笑顔だった。

お礼に図録を広げて明示した。

自分の姿を見て笑っている。

おばあちゃんは同町阪手で昭和5年に生まれた85歳。

阪手の行事も取材してきたので親近感を覚える。

おばあちゃんは10月初めに写真展開催地の県立民俗博物館にでかけたという。

テレビで放映された赤紙を見たくて家族が運転する車ででかけたという。

自転車は乗れるおばあちゃんは爽快に走ることはできるが、歩きは困難。

収穫も考えて老人乳母車を押して畑に行く。

今の畑の栽培はホウレンソウ。

数列ずつ時期をずらしてタネ蒔きをする。

この日は最初に植えたホウレンソウの収穫作業。

持って帰りと云われて畑地に降ろす。

大量に盛ったホウレンソウを抱えて車に乗せる。

ここにあるカキも持って帰りというおばあちゃん。

実成のカキの木はたわわ。

稔った枝が重さで弛む。

あっちにあるカキはシブガキ。

これは甘いフユガキ。

「いっぱい採ってや」と云われてビニール袋に詰め込む。

採っても、採ってもカキ色の様相は変わらない。

摘み取りするだけで腰が痛くなる。

次のお礼先は奈良市中畑町。

八田から車を走らせて30分。

平坦地から高台に移った。

中畑町は急こう配の土地。

現状の身体では心臓がバクバクする。

仕方なくおばあちゃんの家前までと思って坂道を駆け上がる自家用車。

くるりと旋回したら、そこにおばあちゃんが居た。

ハクサイやダイコンなどを栽培している。

ご近所のおばあちゃんとともに農作業をしていたと云う。

ここもお礼の図録をさしあげる。

頭の上を気にしておられたおばあちゃん。

「ほっかむりをしていたときに撮ってあげたほうがよかったんやけど・・・」と伝えたら笑っていた。

写真展に出展した作品は二人連れ。

図録はそれぞれ1冊ずつお礼にさしあげる。

嫁入りしてから大字中畑の春日神社のゾークは3回もあった。

20年に一度のゾークであるゆえ60年間。

昭和8年、奈良市忍辱山町で生まれた82歳。

先週に行われた奈良市小山戸のゾークを知っていた。

小山戸のゾーク祭典に外氏子として参拝していた2軒のご近所さんから聞いたという。

小山戸のゾークは外氏子の寄附も頼らずに実施したという。

三家三様の野良着を紹介する写真を見たおばあちゃん。

唐箕は昭和時代の製作だが今でも現役で使っているという。

唐箕は県立民俗博物館にあることは知っている。

話の展開に移った博物館。

車は運転できないからバスと電車を利用してでかけたことがあるという。

それほど昔ではなく、最近のことである。

写真に写っている友達と二人ででかけた。

バスを降りて歩く博物館までの徒歩距離は遠かったと話すおばあちゃんはこの日ももんぺ姿。

10月初めには稔ったモチゴメをハサカケにしたという。

孫も手伝ってくれた稲刈りは手刈り。

鎌で根株を刈り取って竹製のハサカケに天日干しをしていたという。

(H27.10.27 EOS40D撮影)

素敵なPOPにインパクト

2016年06月15日 09時30分00秒 | しゃしん
国道24号線沿いに走る。

奈良市の信号杏(からもも)町にあるカメラのキタムラ奈良南店で奈良の行事を紹介している。

著書の『奈良大和路の年中行事』を広げた今週は「平群町檪原のオハキツキ」だった。



「こっちのほうがインパクトあるで」と云って店員さんの了解のもと「奈良豆比古神社の翁舞」に替えさせてもろた。

(H27.10. 2 SB932SH撮影)

素敵なPOPで奈良本販売

2016年05月18日 09時37分17秒 | しゃしん
素敵なPOPを書いてくださったカメラのキタムラ奈良南店。

本屋でもないカメラ店だが、著書の淡交社刊『奈良大和路の年中行事』を販売してくださっている。

感謝、感謝である。

この月に開けているページは7月7日に行われる「金峯山寺蓮華会(蛙飛び行事)」。

季節に応じてページ替えするそうだ。

(H27. 7. 3 SB932SH撮影)

JNP日本風景写真協会奈良第1支部第13回写真展in奈良市美術館

2016年04月03日 17時39分20秒 | しゃしん
この月、3度目の奈良イトーヨーカドー。

5階にある奈良市美術館に出向く。

5階にあん摩マッサージ機が設置されている。

10分間で100円。

これで肩こりが治ればと思っているが・・・。

第1支部の撮影地は45か所。

エントランスホール2枚を除いた展示作品数は56点。

会員独自の行先があるとみえる。

目的とする被写体は多様でもないが目的地が異なるのだ。

つまりは独善的な行動パターンがみられるし、バラエティに富んでいる。

北は北海道から南は鹿児島まで。

海外まででかけられたネパール・エベレストもあった。

県別でみれば北海道(1点)、秋田(3点)、福島(1点)、長野(15点)、山梨(2点)、静岡(1点)、富山(1点)、石川(1点)、岐阜(1点)、滋賀(1点)、京都(1点)、奈良(19点)、和歌山(1点)、岡山(1点)、鳥取(2点)、熊本(2点)、鹿児島(2点)だ。

近畿圏より東は26点(46%)、近畿は21点(38%)、西は7点(13%)。

第1支部の半数は北に向かい西は少ない。

ほとんどの人は車中泊もしながら撮影しているらしい。

Mさんはそれを避けるように西に向かうと話していた。

西なら新幹線など電車にレンタカーが格安。

個人や所属するクラブ団体で行くこともある。

交通事故に遭遇するケースも考えられ会員家族も不安。

安心してもらうよう電車・レンタカーにしているという。

県別でみれば奈良県が一番多い19点(34%)、次に多いのが長野県の15点(27%)である。

会員6割が占める目的地である。

奈良県の内訳は川上村の5点がトップで2番目は五條の3点。

他は1点ずつの十津川村、野迫川村、上北山村、天川村。

第2支部と同じように奥吉野狙いが多い。

その他、曽爾村、高取町、天理市、大和郡山市、平群町や奈良市内(2点)も1点ずつだ。

これも似たり寄ったりの傾向がみられる。

この月は和歌山第2支部の展示会も拝見した。

第1支部と同じような長野県辺りを目的地にする傾向がある。

だいたいが山岳地や山間部の景観をとらえた、よく見かける風景写真の様相である。

美しさを求めるのであろうJNP会員写真展は人や建物などの人工的な構造物の写し込みはしてはならないそうだ。

稀に人工物がある写真がある。

それは主役でもなく脇役でもない点景描写であれば問題ないそうだ。

富士山頂の美しさをとらえた写真がある。

山頂に建つ構造物はどけようがない。

それは構わないが、人物や構造物にあってはならないそうだ。

今回の展示のなかの2点には人物を描写した作品がある。

一つは凍った滝を登る人。

安全ロープまでならよかったのにと思った。

もう一つは雪山をバックにした茅葺民家。

色づくカキの木も添えているがどこかがおかしい。

茅葺民家には生活感がない大八車の車輪が二つある。

傍にはほっかむりを被った農婦と思える人が一輪車を押している。

服装は野良着でなく雨除け合羽だ。

若い婦人のように思える一枚の写真に生活感を感じない。

話しによれば観光的な名所であるらしい。

それなりの作りをしている景観だそうだ。

写真にタイトルが要る。

充てる漢字は自由だが何の意味もなさないタイトルもある。

状況は写真をみれば判る。

そのまま状況を表現したタイトルがあまりにも多いで幻滅する。

知人の会員は俳句の季語を頭の中に描いているという。

夕時の状況は刻々と変化する。

季節によって時間的な差がある。

季語が同じであっても描写する作品によっては違和感もあると話すからうかつにタイトル付けするのも難しいという。

フィルム作品は16点(29%)で7割がデジタルだ。

デジタルの勢いはますます広がっているが、色合いが不自然なものもみられる。

デジタルカメラから始められた人はそういう傾向にあるとTさんが話していた。

写真は写真展と何ら関わりのないモミモミチェア。

ゆっくり寛ぎたいものだ。

(H27. 5.30 SB932SH撮影)

第46回奈良県美術人協会展in奈良県文化会館

2016年04月03日 17時32分28秒 | しゃしん
写真家からこの日に案内状が届いた第46回奈良県美術人協会展。

場所は奈良県文化会館の展示室。

会場は写真だけでなく日本画、洋画、彫刻、工芸、書芸などの作品が展示されている。

はじめに拝見するのは写真展だ。

知り合いの写真家たちの作品に見惚れる。

明日香をとらえた朝夕の棚田や奥吉野と思える冬山の渓流に大峰修験者が駆け巡る奥駆けもあれば一目でその場が判る正暦寺の借景もある。

遙か遠くからとらえた三輪山に橿原市と思われる幅広い川。

これはモノクロであった。

どこか懐かしさを感じさせる作品は遠望に建築中のビルもある。

たぶんにイオンモールではないだろうか。

いちばん目に気になったのは山が写りこんだ写真だ。

よくよく見れば氷が空にある。

もしかとすれば逆さに撮ったものを逆さにして作品化したのでは・・・。

星をとらえた写真がある。

一般的には円心に描かれると思うのだがおよそ1/3が下へ回る星の光跡。

作者に聞いてみたくなったそれぞれの作品だ。

その部屋の反対側には工芸作品が並んでいた。

まるでエジプト色と思えた作品や文字では表せない表情をした人物もある。

工芸であるから陶芸ではないことはたしか。

材が何であるのか知りたくなる。

中央に展示されていたのが彫刻。

思わず「息子よ」と呼びたくなった作品名は「こうたろう」。

出品目録では「こうしろう」。

えらい違いだ。

4枚のピアノの鍵盤を縦に並べた作品は波を現していた。

タイトルを拝見して「えっ」と思うのだ。

写真から工芸、彫刻を拝見しているうちに作者が創造する思考がスゴイと思っていくのだ。

写真はすっかり熱を失い、関心の度合いは「美術品」に移っていた。

圧倒的な作品数で展示していたのは洋画だ。

見れば見るほどちんぷんかんぷん。

何を表現しているのかさっぱり判らない幾何学的な作品もあれば、どこかで見たような同じ作風の作品もある。

タイトルに番号が振られているから連作なのであろう。

なかでも夕景をバックに草むらをシルエットで描いた写真的な作品もある。

立ち止ってじっくり拝見した作品は絵馬を描いたものだ。

絵画であるが実写かと思える絵馬もある。

元興寺にこのような絵馬があったのか、それとも昔話に登場する「ガンゴジ」と呼ばれる鬼を想像力で描いたのか。

一度、元興寺に出かけて確かめたくなった。

あっと驚いたのは裸姿の老婆を描いた作品だ。

実にリアルな姿に圧倒される。

一枚の絵ではなく立体的な絵もある洋画は日本画よりも遙かに想像力を掻き立てる。

洋画はオモロ過ぎるのだ。

展示会場は無料であったが駐車場は有料。

拝観時間は15時45分から16時25分まで。

領収書は400円だった。

見る価値があった奈良県美術人協会展。

駐車料金の400円は安いものだ。

(H27. 5.20 SB932SH撮影)