マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

県立民俗博物館企画展・「雨降る季節のくらしと言葉」に、再びブトクスベを観る

2023年07月12日 08時07分40秒 | 民俗を観る
企画展に「雨降る季節のくらしと言葉」をテーマに特別展示をしている、と聞き、急遽出かけた県立民俗博物館。

梅雨どきであるが、この日は、真っ白な雲に、透き通った青さの空。

気持ちいいぃ梅雨の晴れ間に、雨の民俗を見ることにし。

雨にまつわる暮らしの民俗。



企画展の入口に並べたカラフルな和傘が美しい。

五つの和傘から、思い浮かべた番傘。

そう、白波五人男が番傘を手にして格好に見えを切る伊達男の姿。

置いてあるだけで、人の姿を感じる。

そういえば、この和傘を観るのは、今日が初めてではない。

3カ月前の3月7日。

杉皮屋根の葺き替え工事を終えた旧前坊家・古民家のお披露目に拝観した屋内。

三畳間の「みせ」にあったカラフル唐傘。

バックライト効果が利いたデイスプレイに、シャッターを押した見学者も多かったろうょ。

今日の展示も梅雨の晴れ間の新緑色が利いている。

展示内容は、テーマ別に「夏のはじまり」。



田植え道具に野神のまつりのツクリモノなどの展示。

「暮らしの中の雨」は、和傘、泥よけ付きの下に防水の知恵など。

「動きがわかる動画収録期の民俗行事」に、虫送りや雨乞い、夏越しの祓いなどに関する映像記録。

ほとんど視聴していたので、お昼時間に間に合うよう、失礼はしたが・・・今も変わらぬ暮らしの民俗に関心をもってくださればありがたい。

さて、私が見たい今回の目玉は、雨天にも使用していたと想定する「ブトクスベ」である。

地方によれば呼び名が違う「ブトクスベ」。



山口県・萩博物館企画展「百年の布」にツイートしていた「ブトフスベ」

”燻蒸“、”燻製”からわかるように、“・・クスベ”の語源は”燻べる”にある。

つまりは、煙をもって燻すことにある。

その”燻す”をキーに見つかったと、教えてくれた写真家Kさん。

メールで伝えてくれたそのキーワードは”ブトイブシ”。

愛媛県生涯学習センターが伝えていたデータベース「えひめの記憶 虫よけ」にあった”ブトイブシ”。

ちなみに、ウエブリボにあがっていた季語・季題辞典にも「ブトイブシ」が見つかった

夏の季語の「ブトイブシ」なら、「ブトクスベ」も同じ季語になりそうなものだが、該当するのは”ブト”だけのようだ。

また、 “くすべる”ワードは、鹿児島弁や土佐弁にもみられる

ブトクスベは地方語なん?と、思って念のためにぐぐったネット。

武蔵野美術大学美術館・図書館に「ブトクスベ」が見つかった。

使用されていた地域は、山口県阿武郡。

神奈川県歴史博物館・特別展示出品目録にあった。

実物がどんなのかわからないが、事例の一つに揚げられるような気がする。

農作業の邪魔をする、煩い、刺す虫たちを燻し、作業の邪魔をせんよう、避けるための農道具。



燻して虫を追いやる農道具。

材は、燃えにくい木綿の生地。

主に端切れを用いてつくったブトクスベ。

火を点けても燃えることなく、じわじわ燻る道具。

虫よけの香取線香が世に出て追いやられたブトクスベ。

“ブト”は刺しよる。

痛いからたまらん、という“ブト”であるが、聞き取りした農家の方々のほとんどが“ブヨ”か“ブユ”と、呼んでいた。

ブトクスベの名称は、そのまんまだが、虫だけを呼ぶ場合は、”ブト”でなく、“ブヨ”か“ブユ”である。

ドラッグストアに売っている虫よけスプレーに“ブト”の表記は見られない、という特徴もある。

そこらへんが、暮らしの民俗である。

展示解説は、「私がとらえた大和の民俗」写真展に、たいへんお世話になっているMさんにTさん。

実は、関東が出身のMさんは、ブトクスベの名称が難しかったそうだ。

と、いうのも、関東では“ブヨ”と呼ぶのが一般的。

なるほど、である。



展示の現物がここしかなくて、と云われるほど、今では希少価値のある農具である。

写真は、上手く撮れなかったが、野神(ノガミ)の板絵馬は、地黄町野神神社に供える絵馬

で、あるが、展示出品の絵馬に年月日表記が見られない。

おそらく、寄贈目的のため、日付けは書かれなかったのでは、と思った。

ちなみに、現物、現役のブトクスベを拝見したことがある。



用途は、田畑を荒らすイシ(猪)除けになったが、なかなかの利用価値があったようだ。。

(R3. 6.15 SB805SH撮影)

子どもの魔よけを知る奈良県立民俗博物館・スポット展「背守り」の習わし

2023年05月24日 07時54分29秒 | 民俗を観る
出かけたくても出かけられないこのコロナ禍、緊急対策措置対応中に展示された奈良県立民俗博物館・スポット展。

奈良県立民俗博物館駐車場入り口に立てた「県民のみなさん」に通知する看板は「新型コロナウイルス感染症 奈良県緊急措置」。



実行期間は、令和3年4月27日から翌月のGW明けの5月11日まで。

県立大和民俗公園入り口にも立て看板がある。



予定されていた人が集まる5月1日から5日までの催し「子供の日イベントウィーク」は、みな中止の判断。

担当の人たちが工夫し、材料も調えて子どもたちを待っていたが・・・

ガラスケース越しに拝見する「背守り」の習わし。



あれこれ、さまざまな民俗取材を重ねてきたが、私にとっては、初ものの民俗。



「背守り」とは、なんぞえ、である。



ネット探しに見つかったLIXIL出版発行の佐治ゆかり・夫馬佳代子著『背守り 子どもの魔よけ』



子どもの着物の背中に、魔除けとして刺繍をほどこす「背守り」の習わしに着目し、実際に刺繍された着物3点と見本帖を紹介していた。



また、武者人形や虎の人形など、端午の節句にちなんだ玩具もあわせて、魔除けとして親しまれたデザインは、鍾馗さんに張り子の虎。



フリーライター・マキタミクさんが、執筆された「魔除けの刺繍「背守り」とは?意味やデザインの種類、歴史を解説!」になるほど、である。

私の取材に拝見したのは、我が家の子たちに飾った張り子の虎くらい。

尤も、子供の日だから、前庭に鯉のぼりを揚げていたが、子どものころだけである。

そのころに咲くサツキ群。

美しき花の群生。



これだけ見事に咲いている県立大和民俗公園入口。

向こう側に建つ古民家を添えて何枚か、撮っていた。



真っ青な空は、まさに五月晴れ。

穏やかな風に、コロナ禍に悶絶していた気持ちも落ち着き。

古民家イベントは、中止になったが、屋内に「背守り」。



屋外に、美しきサツキに心の癒し。

(R3. 5. 1 SB805SH撮影)

奈良市埋蔵文化財調査センター常設展示見学

2022年10月02日 07時35分46秒 | 民俗を観る
買い物に立ち寄った業務スーパー大安寺店。

道路向こうに奈良市埋蔵文化財調査センターが見える。

思い出したナニこれ企画展示。

尋ねた職員さんが答えた・・・・10日前の20日が最終日に、えっ。

どうぞもらってくださいと示された図録が嬉しい。



ナニこれ企画展示物は日程終了後に常設展示に一部移している。

また、寄贈品以外は当センターの所有ですから、なんなりと記録しても構いませんから、どうぞ観てください、と・・・

こんなチャンスは滅多にない。

埋蔵センターに入室、展示品を拝見するのも久しぶり。

しばらくの滞在時間に、拝見した発掘展示品。

数々の収蔵品からピックアップした展示品は、鬼瓦、土馬(どば)、人面墨書土器、木製品の陽物(ヨウモツ)・刀形・馬形・斎串(さいぐし)・人形(ヒトガタ)・下駄・木沓・横櫛・ものさし・大型木製品の階段に陶棺、家形埴輪もあれば復元した建物住居に井戸枠。


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いただいた図録とともに鑑賞した。

(R2.12. 1 SB805SH撮影)

大勢の人たちで盛り上がるみんぱく秋まつり2020

2022年09月21日 07時48分30秒 | 民俗を観る
今月の11月21日から23日は3連休。

コロナ禍もやや落ち着いてきた日々に、籠っていたお家を出る。

広々とした郊外の新鮮な空気を吸い、気持ちいい空の下に寝そべりたい。

癒しを求めて、あっちこちに出かける会場に催しがいっぱい。

今月の16日と21日。

両日にわたって貴重な民俗行事を取材してきた三重県名張。

奈良・大阪・京都・滋賀には見られない珍しい形態、所作をいち早く伝えたい、と思ってやってきた奈良県立民俗博物館・大和民俗公園

園内はとても広く、毎日を散歩される人たちは多い。

芝生が拡がり、雑木林に群れる野鳥をとらえたいカメラマンの姿も多い。

そして茅葺家など移築した古民家群が建っている。

見学、散策はマップを参照し、移動されたらいいだろう。

ほとんどの人たちは、”町家集落”に”国中集落”に建つ「旧鹿沼家住宅」、「旧臼井家住宅(※)」、「旧吉川家住宅」・「旧西川家土蔵」、「旧萩原家住宅」、「旧赤土家離座敷」だけを見られて、お帰りになる。

せっかく、来られたのに実に勿体ない、と思う。

さらに、一歩、二歩・・・足を運んだ先にも古民家が建っている。

”宇陀東山集落”、”吉野集落”に佇む「旧八重川家」、「旧岩本家」、「旧松井家」、「旧木村家」、「旧前坊家」である。

尤も、現在は”吉野集落”建物の修復工事中期間なので、危険防止のため立ち入り禁止地域にしているが・・・

さて、11月21日から23日は、みんぱく秋まつり2020だ。

入口、ゲートからすぐ近くに建つ「旧鹿沼家住宅」付近のイベント。

午後2時の様相である。



鹿沼家の玄関前に並べていた松ぼっくり。

でっかいぼっくりもあるが、これら加工品に値段付けしてあった。

向かいに建つ「旧臼井家住宅(※)」。



威風堂々の建物姿であるが、年々に姿が変容する茅葺屋根。

17年~20年サイクルに、各古民家単位に修復作業が入る。

予算確保の関係もあるが、茅の調達、茅葺替え職人の手配、スケジュール調整も絡んでいるから、一挙に修復されることはない。

建物の維持管理していく難しい課題は、全国各地、どこの施設でも悩ませる課題である。



このパネル写真は、移築前当時に撮られた古民家の状態である。

屋根の構造から「旧臼井家住宅(※)」であろうか。現在の佇まいとは、大きく違っているのは、こうして毎日が見学できるようにしてのことだろう。

ちょっと距離をあけている「旧吉川家住宅」。



建屋に入室した子供たちは何を見ているんだろうか。

旧吉川家の隣棟に建つ「旧萩原家住宅」、「旧赤土家離座敷」。



正午時間と午後2時半からは和太鼓体験&獅子舞イベントが催される。

はじまりの時間までに見ておきたい実物展示の農具。



土間にセッテイングしていた千歯扱き(せんばこき)

懐かしい、と口に出る人は主に農業従事者。

体験していた人たちの年齢を考えたら、おそらく70歳以上だろうな。

上がり口に展示していた農具は、木製の菰編み機



筵とか、米俵などを編んでいた。

しばらくしてはじまった旧赤土家離れ座敷で演じる和太鼓体験&獅子舞イベント。



演者は、奈良市内に親子が活動している民芸寺子屋。

映像のほとんどを、携帯電話の動画撮り。

所作などの特徴を知りたくて録画していた。

その合間に出会った学芸員のMさん。

旧萩原家に設備されている竃に火をくべていた。

動態保存のため、竈に火を入れていたMさんと立ち話。

その内容は、石搗き所作をしていた三重県名張市内の安部田地区。

収録していた携帯電話の動画撮り。

安部田のイノコモチ動画を見てもらったMさん。

初めて見る石搗きに驚いていた。

コロナ・第3波の動向から考えても、今は写真展の打ち合わせも実施しにくい状況。

現在、吉野建て住居の旧木村家住宅と旧前坊家住宅の「杉皮葺き屋根」の葺き替え工事中であるが、令和3年5月ころには完成するそうだ。

可能ならば、完成後の吉野建て住居で「私がとらえた大和の民俗写真展」をするつもりにしているそうだ。

時期を鑑み、テーマ打ち合わせをしてみたい、という。

また、博物館本館の耐震工事後のリニューアル展示である。

博物館保存しているかつて収録した画像の判断が難しく、一部に私の写真提供をお願いされた。

期待に添える映像は別途に検証する、として承諾した。

イベント会場から場を移動し、奥に建つ古民家集落に足を運ぶが、坂道になかなか動きが悪い。

現況の身体では、ほんまに登れない坂道。

緩やかな傾斜道なんだが、どうも足があがらない。

呼吸が乱れ、心拍数があがる。

とことこ、ゆっくり登った先にあった茅葺民家は、「旧八重川家」向こうにある「旧岩本家」。



南から眺めた「旧岩本家」。



茅葺屋根に傷みは見られないが、裏に廻った北から見た状態は、経年劣化がはじまっている。

そこを越えると、急下りの坂道。

向こう岸が、現在工事中の吉野建て集落。

ここで足が停まった。



実は、今日の訪問に見たかった「旧前坊家」の修復工事。

内部見学ができる、と聞いていたが、それは21日と22日の両日。

私の勘違いにがっくり、肩を落としてとぼとぼ来た道を戻ったが、工事を終えた翌年の令和3年3月7日に、あらためて全貌を拝見した。

戻ってきた時間帯は午後3時半。

和太鼓体験&獅子舞イベントは、とうに終わっていた。

戻り道に見た「旧鹿沼家住宅」。



玄関前の展示は、㈱川上材木店×キリン主宰の木工品の販売&木のワークショップに移っていた。

木の香りがしたワークショップ立ち寄る。

薄く曳いた木材。

ヒノキ、ケヤキ、クスノキの中から一つ選ぶ。

ヒノキ木肌(木肌削り屑)で作る入浴剤ワークショップ。

お世話に代金200円を支払いますから、と座敷に上がらせてもらった。



よろしくお願いします、と挨拶したそこに学芸員のTさんが担当に座っておられた。

受取もTさん。

支払いに硬貨がなく、千円札を差し出したが、お釣りもなく。

今度、お会いしたときにでも、ということで入浴剤つくりに没頭した。

また、Tさんにも名張・安部田のイノコモチ動画を見せたら、驚かれた。

こんな所作、今でもしている地域があるんですね・・・と。

帰宅してもすごく香ってくるヒノキ木肌。

㈱川上材木店の説明書によれば、ざらめ砂糖は、しっとり感。



ヒマラヤ岩塩であれば、さっぱり感を、入浴に肌が味わえるひのきの皮材。

詰めた袋は密閉でないから、ほのかに香るひのきの香り。

しばらく居間に置いて愉しんでいた。

お湯に浮かべた29日。



鼻を近くに寄せると、心が落ち着く香りにうっとり。

湯に浮かべたヒマラヤ岩塩のひのき。

さっぱり感よりも香りにぞっこん。

袋を揉んだら、ジャワーと感じる強い香り。

15年前の平成18年7月8日に訪れた黒滝村に住まいされた林業入植者のO夫妻を思い出す。

出会いは写真展。

そこで話が弾んだご主人は木こりさん。

林業作業に発生する間伐材を、なんとか再利用できないか、と考えた。

考案した派生品が、ヒノキ間伐材からこしらえた檜製の箸だった。

手つくりした箸は、「金色箸」と、命名、売り出しネット通販(※本職が忙しくなった現在は閉店中)。

その箸つくりにもひのき材の屑が発生する。

捨てるには、もったいないから、と網目袋(※例えば旅行地に見るミカン袋)に詰めてお風呂に浮かべる。

「金色箸」購入者におまけに同封して送ったら、歓ばれた屑。

たくさんあるから、持って帰ってと言われて持ち帰り。

早速、浴槽に浮かべて入浴したら、それは、それは、えー香りだったことを思い出した。

(R2.11.23、25、29 SB805SH撮影)

大和郡山現代工芸フェア2020ちんゆいそだてぐさ

2022年09月20日 07時40分53秒 | 民俗を観る
奈良大和郡山現代工芸フェア2020ちんゆいそだてぐさは、今年も開催された。

FBに、まるけんを名乗って活動しているMさん。

私も、ちんゆいそだてぐさに参加している、と伝えてくれた。

担当するコーナーは、木のワークショップ。



奈良県立高等技術専門学校木工卒業生によるスマホ置きミニチュア椅子の製作とか、クリスマスツリーセットを親子で参加される人たちに説明担当として参加された。

前夜まで、製作作業が続いていた人が座れる椅子つくり。

なるほどのデキ具合もみたいし、久しぶりにお顔も拝見したい、と思って出かけた。

今年はコロナ禍というのに観光客は多かったが、密ではなさそうな空間を愉しんでいた。

笑顔で説明されるまるけんさん。

元気な様子に、在籍期間の奉仕活動のようだ。

母親と一緒につくっておられた家族さんの了解を得て撮らせてもらったスマホ置きミニチュア椅子。



組立終えたミニチュア椅子の配色は、つくり手の女の子らしさを表現している。

まるけんさんがもてなしていた場から離れて、ちんゆいそだてぐさを見て廻り。

心に残る作品、感動を覚える作品に、刺激をもらいに見て廻る

えっ、と思って立ち止まったコーナー。

岐阜から来られ陶磁制作の牧野真由子氏の作品に一目ぼれ。

中央アジア的な装飾に風合い、動物をモチーフにしている造形はみな異形。



その発想はどこから湧き出るのだろうか。

置物としても成り立っているのに、なんと蓋付き容器である。



小さな椀になった形に入れるものは、人さまざまであるが、香料にしたらいいのでは・・

七味もいいが、中央アジア系をマッチングするならカレー系に使用するターメリックとガラムマサラなどのアジア系香料。

また和製で考えれば・・といろいろ発想できる。



例えばお客さんを迎えて、これどうぞと蓋を取らせてみるのも驚かれるに違いない。

作品は現状でも素晴らしいので了解を得て撮らせてもらった。

とにかく他のブースは陶器、ガラス、木工などがあるが、みな横並びに見えるなか、唯一といっていいほどの魅力をもっている。

今年の展示ブースは91コーナー。

ネクストステージブースの6コーナーを足したら97にもなるどころか・・・

屋外芝生制作体験ブースに9。

追手門向櫓会場の体験ブースの3も足せば109にもなる大会場。

森のねんどで名高い岡本道康ブースでは小さな地球造りに親子が愉しんでいた。



帰り際に拝見したヒョウタンから作るマラカスにカリンバも面白い。

帰宅し、画像を確かめた手造りのマラカスの価格。



あぁー、現金持ち合わせてなかったのが、申しわけない。

(R2.11.22 SB805SH撮影)

JOYOアートギャラリー2020&城陽市民俗探訪in文化パルク城陽@五里ごり館-城陽市歴史民俗資料館

2022年07月08日 07時55分20秒 | 民俗を観る
FBで大々的に伝えていた受賞の知らせ。

JNP奈良第二支部に所属する知人のTさんは風景写真家。

静止画像も撮っているが、昨今はビデオ動画も手を染めて、製作した映像を雑誌に投稿したら、掲載されたほどの腕前。

受賞の知らせは、JOYOアートギャラリー2020の市長賞。

市長賞は最高峰。

主催は京都・城陽市民余暇活動センター。

市長賞は京都府城陽市の市長賞である。

市施設の文化パルク城陽が公募したアートギャラリー2020

Tさんがこれまで応募した回数は4回。

その4回目に応募した作品「光彩陸離」が市長賞に選ばれた。

初受賞の市長賞を拝見したくなって出かけた文化パルク城陽。

自宅を出て阪奈道路に出たが、宝来辺りから渋滞。

4連休に鬱積するコロナ気分を一層するかのように繰り出したのであろう。

帰宅してから見たニュースによれば奈良公園どころか全国的な動きのようだ。

渋滞に巻き込まれないように抜け道を行く。

宝来から北へ、北へといけば京奈和道路の山田に着く。

そこからあっという間に着いた城陽インター。

渋滞に巻き込まれそうになったが、およそ1時間で着いた。

先にしておきたいひる飯の腹ごしらえはラーメン店。

文化パルク城陽は近い。

施設の駐車場に停めて入館したが、展示会場がどこなのかさっぱりわからない。

そういや、1階から4階まではスロープ構造。

壁面に入選作品があったが、主会場はどこであるのか。

2階の図書室前に座っていた市民に聞いても場所わからず。

うーん。

しかたなく図書室の受付に尋ねてやっとわかった4階。

入賞関係を展示する城陽市歴史民俗資料館だった。

JOYOアートギャラリー2020に選ばれた作品群を拝見。

ぐるっと一回りしたループ状のスロープ。



ここからでも屋外を眺められる。

眼下にあるのは水連の花園。



遠くを見れば、遥か向こうの方に生駒山が見えるかもしれない。



ひと通り、拝見した次の展示は民俗。

五里ごり館-城陽市歴史民俗資料館の会場は、どこ?。

受付に問い合わせたら、まさにここがそうである。

実は、民俗関係も拝見したいと伝えたら、一般市外者については有料扱い。

支払いすれば衣服に貼るシールを手渡される。

胸などに貼って会場に。

そこに行くまでに見た民俗行事の写真。



キャプションを一読して、これは貴重と判断。

主に奈良県民俗を調査、取材している身。

近年は、類似例調査に京都南部も頭に入れておきたい。

できれば展示映像を撮らせてもらえないかと、申し出たら、申請目的の“奈良県行事と類似する事例を対比、事例研究のため”と記入の上、書類を提出することで受理してくださった。

受付者が云うには、民俗であれば調査報告書も発行されているので、是非とも一読を、とありがたいお言葉をいただく。

城陽市歴史民俗資料館に別途愛称名がある。

平成19年4月1日のリニューアル開館の際に、市民募集を募った愛称を委員会決定した「五里ごり館」。

はてさて、五里ごり館とは・・。

五里は距離。

奈良の都の平城京から五里(20km)。

京の都の平安京からも五里の距離。

城陽市は、南北にある古代の都からの中間地点にあることから愛称名に決めたそうだ。

そうして拝見した城陽市の伝統行事の一部。

いきなり、これはっ、と思った「市辺のノエノレイ」。



再現であるが、正月初めに行われてきた農作の習俗。

正月の2日、ないしは4日の早朝。

鍬をもって田を耕す所作をする鍬初めである。

習俗名称が山麓地に近いと思われる旧村市辺の「ノエノレイ」。

漢字で表現してわかる”野への礼(※であろうか)“は、一年の初めに豊作を願って田の神さんに手を合わす。

私の民俗調査範囲にもあった“クワゾメ”。

いわゆる“鍬初め”である。

今のところたったの1件しか見つかっていない“クワゾメ”。

奈良県の山添村に住むOさんは、今もなおしている“クワゾメ”

隣村の毛原もしていたと聞いている。

農耕続きに展示してあった水主(みずし)の水口まつり。



「苗代に籾種を蒔いたあと、田の取り入れ口、つまり水口(みなくち)にツツジや榊の枝、洗米などを供えて籾の成長を願う習俗。添える花(※この事例で云えば躑躅の花)に稔りを象徴する意味があり、田の神が降りる依り代(※この事例では榊)。」と解説していた。

と、すれば、祈願した榊を授かる神事があるはずだ。

調べてみれば水主宮馬場に鎮座する水主神社がある。

例祭が2月20日。

考えられるのは年初めの祈年祭(どしごいのまつり)が考えられそうだが・・。

習俗紹介に「スナマキ」もあった。

貴重な映像をとらえた地域は久世。



スナマキは、“神さまが通る道”という寺田の事例や“神さまは箒目を通ってくる”という枇杷庄事例もあったそうだ。



「正月の神さんが通ってくくる道と考えられており、神々や先祖の来訪を歓待する心を象徴する。大晦日の夕方に、戸主が“サラカゴ”や“箕(み)”に山や川の砂を入れ、家の周りや通り道に後ずさりしながら、波型や、直線方に砂を撒く。南山城地域で、広く大晦日の行事として行われてきた」とあった。

境内に砂撒きしていた事例に、加茂町銭司・春日神社京田辺市宮津・白山神社、京田辺市宮津・佐牙(さが)神社がある。

集落の民家が個々にされている事例に、山城町上狛のO家並びにM家がある

かつては多くの家庭でされてきた砂撒き。

今や探し出すのも難しい時代になった。

もう一つの事例に勧請縄がある。

城陽市の事例では観音堂甲畑のカンジョリナワを紹介していた。



設営地は氏神神社の旦椋(あさくら)神社の鳥居口手前

参道にある2本の樹木にかけている。

当地は正月飾りとしてではなく、毎年の10月4日に行なわれる秋祭りの前にかける。

「村境でなく、神社境内に張る勧請縄は珍しく、縄の中央の“イモ“の出来具合がふっくらしていると、その年は豊作になる、とされている。」

それにしても、勧請縄を”カンジョリナワ”と呼ぶことも珍しい。



他にも紹介していた事例に、中地区の初寅の山の神、観音堂・常楽寺の雨降り地蔵もあった。



いずれも興味をもった城陽市の民俗行事。

これまで発刊した『城陽市民俗調査報告書』を購入し、先に学んでから現地取材に出かけてみよう。

常設展示場もざっと観覧して、戻った受付。

貼った拝観シールに許可証も返却した。

そこで受付の職員女性に尋ねた「スナマキ」。

もし、手がかりになる情報があれば、と思って質問した。

現状、今なおスナマキをされている男性がおられるそうだ。

ただし、である。

スナマキに用いる川砂は、業者さんに頼っている、という。

業者さんが持ってきてくれるから、今もしているということだった。

手に入るから継続してきたというスナマキ。

城陽市では最後に残ったお一人と聞いて愕然とする。

上狛で取材させていただいた2軒は、いずれも近くの大川にある川砂を自ら採取して正月を迎えていたが・・。

先祖代々受け継いできたスナマキ。

大和郡山に住む家族もまた先祖さんから受け継いできた

子どもたちも一緒になって年神さんを迎えていた砂撒き作業。

信仰とは別の意識が働いてきたからであろう。

また、水口まつりについても現状を教えてもらった。

実は、都市化の他、高速道の整備にともない、地主さんが土地を離さずにおれない事情があるようだ。

それは、何も城陽市に限っているわけでない。

全国的な傾向にある。

文化的生活もあるが、流通経済を支える国土のあり方にもある。

ここ城陽市では水口まつりの衰退もあるが、郷土名産の寺田イモ(※サツマイモ)である。

新設する高速道路工事によって、これまで栽培していた耕作地が1/3に減少したそうだ。

山麓地でしていた農作地。

田んぼも消えて水口まつりが消滅した、という。

まだまだ聞いてみたい城陽市の民俗。

応対してくださった女性はただものではないと思った。

詳しい事情も把握しているように思えた話題を提供できる人はおそらく調査員であろう。

そういえば、受付の段階で、民俗であれば調査報告書を置いている、と云っていた。

同じ民俗に匂いがする受付者に名刺を渡しておいた。

お名前は、と聞けば、同姓。

これもまたご縁でしょうか。

帰宅して調べてみれば、城陽市歴史民俗資料館古文書・民俗文化財調査員のTさんとわかった。

いずれ、機会を設けて、『城陽市民俗調査報告書』を購入したいと思っていますので、またそのときもよろしくお願いしたい。

なお、水度(みと)神社蔵の「おかげ踊り絵馬」映像もあった五里ごり館の民俗展示。



機会を設けて、現地調査に詣でたいものである。

(R2. 9.21 SB805SH撮影)

県立民俗博物館秋季特別展・絵と道具でたどる昔の奈良のくらし-永井清繁氏のスケッチ帖から-

2021年06月15日 08時54分48秒 | 民俗を観る
心待ちにしていた特別展示会がはじまる。

展示会場は、奈良県立民俗博物館。

秋季特別展は、「絵と道具でたどる昔の奈良のくらし。明治末期から昭和初期の暮らしを数多く描いた、天理市福住町が出身の永井清繁さん(1905~1999)の作品を一挙公開する-永井清繁氏のスケッチ帖から-。

永井清繁さんが、生前に描き残した天理・福住の暮らしの民俗のスケッチ絵。

これまでも天理市文化センターや福住公民館県立図書情報館で展示されてきたが、全作品が一堂に会するのは今回が初めてである。

今回は、さらに県立民俗博物館が、所蔵する多種多用途の民俗資料の中から、作品に登場する天理・福住の生活、生産用具をピックアップした作品と、所蔵民俗用具をコラボした展示。

所蔵民俗用具は、人とともに暮らしてきた実物資料の生活用具であるが、実際は、どのように使われてきたのか、そのあり方が、写実的に、また温もりをあるタッチの絵によって、福住に住んでいた人たちが、当時の暮らしや息づかいを、間近に生き生きと感じることができる展示である。

実は、私も県立民俗博物館の所蔵民俗用具の展示に協力をしたことがある。

私の場合は、絵でなく、現在を記録した写真映像である。

展示物品に、丁度見合う写真提供をお願いされて協力すること度々である。

尤も、私が撮る映像は、祭りや行事。

場合によったら習俗・風習にかかわる映像も・・。

また、農村に暮らす人々の映像もまた協力することはあるが、永井清繁氏が描き残したスケッチ帖には、到底及ばない現在進行形の民俗。

永井清繁氏が、描かれた年代とは比べようもない貴重なかつての暮らしの史料。

しかも、である。

生前に描いたスケッチ帖のすべてが、永井清繁氏が暮らしたころの記憶を辿って描かれた精巧、精緻な絵筆によるもの。

タッチに温かみがあるのは、永井清繁氏が、当時に暮らした生の映像であるからだろう。

秋季特別展の「絵と道具でたどる昔の奈良のくらし-永井清繁氏のスケッチ帖から-」展示期間は、令和元年の9月21日(土)から12月1日(日)までの3カ月間。・・・・・現在は終了しています

開催初日の21日は、開会式がある。

県立民俗博物館・企画展担当者にお願いして参列させてもらった開会式

文部科学省平成29年度私立大学ブランディング事業に採択された「『帝塚山プラットフォーム』の構築による学際的『奈良学』研究の推進」の一環として、帝塚山大学と県立民俗博物館の共同実施。

スケッチ帖特別公開、体験イベントなどは、帝塚山大学が県立民俗博物館とコラボした特別展示イベントである。

館内入口にはいったすぐそこはエントランスホール。



併設する大和民俗公園内に設置した復元古民家10棟の解説パネルを立てていた。



開会式は、最奥になる特別企画展会場である。



帝塚山大学・文学部日本文化学科の高田照世教授が推進された天理市福住地区の民俗調査の研究成果に基づき、県立民俗博物館が所蔵されている昔の生活用具や民具に、福住町に生まれ育った永井清繁さんが、繊細なタッチで描いた往時の暮らし・行事などをパネル展示する企画展を楽しみに待っていた。

それというのも、前述したように発端は、福住公民館で行われた「福住の民俗画帖展示会」で拝見した画帖の一部に感動どころか、感銘を受けた作品群がきっかけ。

奈良県図書情報館で開催された「奈良学とのであい・山里に行き交う職人たち~永井清繁画帳から」も観覧し、これは、もう出版をお願いするしかない、とアンケートに、その気持ちを訴えた。

決してアンケートが矢を放ったわけではなく、高田照世教授の思い、そして永井清繁氏のご家族の気持ちがあってのこと。

展示パネルのもととなった永井清繁氏の描いた生活図を収録した『奈良山里の生活図誌 永井清繁画・解説(高田照世 編集)』は、帝塚山大学出版会から発刊されたのだ。

その情報を知って、直ちに購入に走ったのは、言うまでもない。

購入先は書店でなく、アマゾン・ドット・コム

わくわくする読後感は、勢いがついて、レビュー文に仕立てて、アップした。

「これほど待ち望んでいた本はかつてない。期待とかいうレベルではない。なぜなら原画ではないが、それに近い絵を拝見していた展示会で願望していた『奈良山里の生活図誌』。暮らしていたその土地の民俗、習俗を画帳に記録した永井清繁氏。解説もあるからそれがなんであるのか、とても分かりやすい。
昭和どころか大正、いや場合によったら明治時代まで遡る可能性も秘めている「奈良山里の民俗」は大切な記録でもある。不要な部分も映っている写真よりも記憶に残りやすいシンプルな民俗画が素晴らしい。
記録照合にも活用できる優れものは、著者が昔に記憶した情報を思い出されて描いたという民俗誌。その記憶力もまたすごい」。

今、読み直しても、我ながら・・のレビュー文に、またまた頁をくりたくなる。

本体価格は、高価であるが、それ以上の値打ち、いや価値のある『奈良山里の生活図誌』である。

著者永井清繁氏のご家族、親族、孫さんも列席された開会式典。

企画展を主催する同博物館の東秀行館長に帝塚山大学学長の蓮花一己氏、2人の挨拶からはじまった。

「奈良は古都文化。1200年の歴史に人々の暮らしがある。身近にある葬送、建物、町並みは昔の暮らしを知る手がかり」、「一堂に会して展示するスケッチ画と収蔵の品々。暮らしを描いた絵から学ぶ収蔵民具から学ぶ特別展示・・・・」。

続いて、帝塚山大学出版会より刊行された『奈良山里の生活図誌』の贈呈式が行われた。

永井清繁氏の描いた生活図を収録した同書籍を、特別展示の見学に授業で訪れる小学校などの団体見学に、郷土教育、歴史教育の学習教材として活用されることを目的に寄贈。

なお、この時点で、社会見学を予約されているおよそ40校の県内小学校だけでなく、これから見学を決められる小学校にも対象を広げて寄贈されたそうだ。

地域文化の教育に、教えるのは、『奈良山里の生活図誌』に描かれた世界など、知る由もない現代教育で育った教師たち。

先に、学ばなければならないのは、教師では、と思うのだが・・。

ましてや、子どもたちの親も、見たことのない昭和のはじめから、それ以前の大正時代の暮らし。

想像できない親たちも、先に学ばないと・・・。

できることなら、『奈良山里の生活図誌』の頁を開いて、おじいちゃん、おばあちゃんたちが暮らしてきた実体験をもって、聞くことも大切ではないだろうか。

福住の暮らしは、大都会では味わえない、山間地の旧村文化。

伝承されてきた福住の祭り、行事、習俗、暮らしのすべてが詰まっている『奈良山里の生活図誌』。

福住も、それ以外の村々を取材し、記録、公開してきた数々の祭り、行事、習俗、暮らしなど、多方面に亘って話を伺った取材先の人たちから教わることすごくある。

地域が替わるだけで、民俗文化は違った文化があるし、また同等な民俗事例も採録してきたが、まだまだ・・・。

私も、学びたい事項は、盛りだくさんの同書。

例えば、福住にかつてあった祭りの様相に見る男性の装束。

和装の羽織袴姿に被った山高帽・・。

現在の氷室神社の神幸祭・渡御行列にその姿は見られないが、福住より東方にある旧都祁村白石・国津神社のお渡りに、見ることができる。

永井清繁氏の画帖を見るまでは、白石国津神社お渡り装束の山高帽は唯一だ、と思っていたが、そうではなかったことに気づいた。

地域を広げて俯瞰したとき。

過去の史料によって、情報が復元される。

そういう点からも永井清繁氏の画帖は、とても貴重な史料である。

残された私の人生期間では到底吸収できないほどの貴重な史料がわんさか。

どうか、棚に眠らせることなく、生きた史料として活用願うばかりである。



式典を終えたら、特別展示の解説がはじまった。

同博物館にインターンシップで派遣されている、人文科学研究科日本伝統文化専攻博士後期課程の清水智子さんが解説者。

式典に列席された方たちや見学者を前に、ご自身が担当した特別展示を解説される。

画帖に描かれた「とんび」や「ステッキ」などの展示品を丁寧に説明されていた。

解説のすべてを記録するには、荷が重い。

解説に私が興味をもった事項は、以下に列挙する。



・なぜに「とんび」の名称であるのか・・・。

回答は、「インターンシップの帝塚山大学生が調べました」パネルに書いてあった。

「“二重廻し(ふたえまわし)”や”インパネス“とも呼ぶ。元々スコットランド北部の都市” インパネス“が発祥とも・・。日本には幕末から明治始めにかけて注入された衣服(※)。特徴は、袖のないケープの背中の部分と一体化した防寒用外套(※がいとう/オーバーコート)。袖口が動きやすいから、和装コートとして流行った。(※言い回しなど若干補正)」。

・じんべいは、じんべ・・・。

“じんべい”の元語は、甚兵衛羽織。

略して甚兵衛から甚平(じんべい)へと変化したが、私ら高齢者は、さらに略して呼んでいた“じんべさん”。

子どものころ、大おばあさんから、「じんべさんでも着ときや」と、よくいわれたものだ。

ちなみに甚平のような模様があることから名づけられたのが、ジンバイザメである。

・イノシシの皮はで作った靴は、雪道でも滑らない・・・。

・嫁入りは、夜だった・・・。

玄関先に弓張提灯。

玄関先で、足を洗ったと伝わるが、実際のは、空っぽの盥(※たらい)に足を入れて、洗う真似ごとをした・・・。

・「さんゆ(※産湯)」と書いて「うぶゆ(※産湯)」・・・。

ちなみに産土神は、「うぶすなかみ」と呼ぶ。

いっしょうもち(※一升餅)の習俗

風呂敷に包んだ重たい一升餅をよちよち歩きの赤ん坊に背負わせ赤ん坊に選ばせる。

その子の人生を決める仕事選び・・・。

ちなみに、昨今は、その儀式の場が日本料理屋とか食事処に移している。

・正月は、父親が中心になって行われるイタダキなどは、福住で今でもしている正月のお家行事。

恵方に向けてイタダキをする。

その際の詞章が「せんまい せんまい」。

イタダキの膳を、頭の上あたりにもちあげる・・・。

・ひな祭りの日に、各家を巡る獅子舞が来た・・・。

そのとき頭を獅子舞の口に噛まれた。

また、獅子舞の祈祷札もあった・・・。

・しょうぶ湯(※菖蒲湯)は、今でもしている広く伝わる民間信仰・・・。

・2本の竹を立て、むしろ(※筵)をかけて日除けの道具にした・・・。



解説が終ってから、現在活躍中の民俗調査関係の人たち(滋賀県教育委員会文化財保護課主査矢田直樹、帝塚山大学大学院人文科学研究科日本伝統文化専攻博士後期課程/
インターンシップ清水智子、生駒ふるさとミュージアム学芸員岡島颯斗、滋賀県愛荘町立歴史文化博物館学芸員西連寺匠)。

たくさんの調査・発表もされている若手の研究者たちと名刺交換させてもらった。

(R1. 9.21 SB805SH撮影)

奈良県立民俗博物館併設古民家・旧前坊家杉皮屋根葺き替えお披露目建物見学会③

2021年05月20日 09時22分04秒 | 民俗を観る
旧前坊家」を見学した次は、向かい側に建つ「旧木村家」。

稲干しハザカケがある場から、急坂道を登る。



山間地らしい急坂に足場は・・。

向こう側が、先ほど見学していた「旧前坊家」。

右手が2階建ての主屋・居室など。

その左側に渡り廊下が。

解説資料によれば、江戸時代末期の弘化年間(1844~7年)のころ、主屋の大修理・改造を行い、順次、渡り廊下並び離れ座敷を接続、繋ぐように建てたようだ。

左側に見える屋根の構造。



杉皮葺き屋根に石置きは「旧木村家」の納屋の屋根である。

納屋の屋根は葺き替えが終っているが、ハザカケは未だのようで、これ以上、破損しないようにシートで覆っている。

新しい杉皮屋根に古い杉皮屋根の経年劣化を比較できる。

なお、工事中とわかった製品を置いてあった。

十数枚重ねた杉皮である。

工事材料調達に伐採から、皮剥き、杉皮打ち、杉皮幅割りなどの工程を経て仕上げる。



また、葺き替え作業も、本日いただいた解説資料に纏めているから、資料もまた学びである。

納屋は、主屋から見て、左側が「うまや」。

右手は、物入れに便所である。



はじめに見る土間に、藁打ち石と唐臼がある。

ぎっこん、バッタンの音が今でも聞こえてきそうだ。

先ほどお会いしたハイカーさん。

うち一人は経験者。

このカラウス(※唐臼)に乗って、足踏み。

身体が覚えているという。

もう一人のハイカーさん、乗るのもこぐのも難しそうやな、といえば、そう、手は紐だったか、棒であったのか思いだせないが、それで掴んで、身体が倒れないように支えていた、と・・。

非体験者のハイカー、そういや、ここはお風呂がないんじゃな、って・・・まさに、である。



刈り取った稲は、精米にカラウス(※奈良時代の法隆寺・資財材帳に“事務所の政所(まんどころ)、調理場の厨(くりや)、竈屋(かまどや)、稲屋(いなや)に並んで碓屋(からうすや)”が・・・)。

藁は、藁打ち石に叩いてシビを取り、柔らかくした藁は、ザクっと切って、「うまや」にいる牛の餌に・・。

そういうイメージが湧いてきたが、間違ってないだろうか。

奥の部屋は「ユルリ」と呼ぶ囲炉裏がある「だいどこ」。

図面によれば左側面の建物。

物入れに味噌部屋とある。

さて、囲炉裏の場はもうひとつある。



「でえ(※でえの間の名がある居間)」と呼ぶ板の間。

「だいどこ」も、「なんど」もみな板の間であるが、カラフルなイベント傘を置いている「ざしき」だけは畳の間。

村特有の珍しいタイプの古民家である。

見学者のほとんどが、「旧前坊家」に続いて見学していた「旧木村家」は、工事前から、オープン公開。

確か、自然観察会みた自然界の一つにアリジゴクを見たことがある。

主屋の床下を覗いてごらん。

今でも生息しているかも・・。

なお、いただいた解説資料に、特別付録が付いていた。



見学した吉野建て「旧前坊家」住宅の外観がわかるペーパークラフト。

作りたいが、作ってしまうと現状保存ができなくなる。



実は、担当者からのお話であるが、公開時期は不明であるが、奈良県立民俗博物館のいずれかの項にダウンロードができる「旧前坊家」ペーパークラフトを用意するそうだ。

(R3. 3. 7 SB805SH撮影)

奈良県立民俗博物館併設古民家・旧前坊家杉皮屋根葺き替えお披露目建物見学会②

2021年05月19日 09時13分16秒 | 民俗を観る
令和3年3月6日(土)、7日(日)は、旧前坊屋根葺替完了記念の内部特別公開。

両日限りの特別一般公開を見逃すわけにはいかない。

奈良県立大和民俗公園入口ゲートから歩きだし「旧前坊家」に到着するまでの時間はおよそ15分。

早い人なら10分もかからなかっただろう。

見上げた「旧前坊家」。

2階の窓を開放している。

今まで見たこともない光景に、ある意味感動を覚えたのは言うまでもない。

写真でもわかるように、「旧前坊家」を南側から見れば、2階建て。

右側にぐるっと周れば1階建て。

窓を開放していた2階は、離れ座敷である。



写真に写りこんだ来訪者は、内部公開の見学者。

歩く左手側建物を水平にみていけば、2階が、あれれ・・いつの間にか、1階の玄関に、という不思議な建物。

懸造り(※吉野建て)と呼ぶ独特の特徴をもつ建物である。

右手の建物は旧木村家住宅。施設作業に、職員さんの手よる日常の作業清掃がある。



たまたま掃いておられたので撮らせてもらった。

その旧木村家・収穫した稲を干すハザカケ越しに見る「旧前坊家」。



前述に説明した2階建て構造がわかるだろうか。

白い障子は、主屋の1階玄関からあがっていけば、離れ座敷に行き交う渡り廊下がある。

その渡り廊下に沿って、四畳半、四畳の2室がある。

その部屋の窓が白い障子。

入室したらわかるが、その2室の手前に便所、浴室がある。

さて、内部公開である。

準備が整ってから担当のTさんから大まかな説明を受けて入室。

玄関に貼ってあった検査章のあれこれ。



吉野町の「家屋調査済」章から、住んでいた様子が見えてきそうだ。

日本赤十字・社員に大阪ガスなど懐かしいプレートもある。

大阪市内に住んでいた住宅地も同じようなものがあったな、と思い出す。

入口で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて見学する。

まずは、三畳間の「みせ」。



プレート表記に、見せる「見世(みせ)」の文字。

括弧書きに「店」とある。

「見世」と「店」は、同じ意味

詳しいことは、省くが・・「みせ」は、「見せる」から始まった。

「見せて売る」棚を設けた「見世棚(みせだな)」。

商店の原型になった商売方法の「見世棚」。

「見世棚」の略が「見世」。

この大和言葉の「みせ」に、同じ意味の漢字である「店」を充てたようだ。



その奥の部屋は、八畳半の「みせおく」。

「みせ」の奥にある部屋だから「みせ」の奥の間の「みせおく」。

今回の公開イベントに、花柄の唐傘を装飾していた。

次の間は、四畳の「なかのま(中の間)」に、奥が七畳半の「なんど(納戸)」。

その奥に押し入れもあるが、暗くて見えない。



納戸の間から、隣の部屋をみれば、籠が見える。

ぐるっと向こう側に周ってわかった籠は、嫁入りの籠。



室内保管されていたから綺麗な状態の籠であるが、以前に置いてあった場所は「旧木村家」のような気がする。

「みせ」、「なかのま」に続く部屋は六畳の「だいどころ」。

室内移動もできるが、通り土間からも上がり降りができる。



その土間の一角に、竈がある。

通り土間の最奥は、浴室に続く、つまり土間続き。



通り土間を歩いてわかる下り坂。

徐々に下がっていく状態がよくわかる。

籠を置いていた部屋は八畳の「付書院」がある「ざしき」の間。

そこから離れ座敷に行き交うことができる渡り廊下になる。



外側に手すりを設けた渡り廊下。

歩けば、ギシギシ音の鳴る渡り廊下。

対面に見えるのが離れ座敷である。



見学者たちが、思いを寄せて拝観している。

懐かしい間に、昔の暮らし。

それぞれの生活空間から暮らした記憶が蘇る。

離れ座敷は、三間ある。



渡り廊下から見た三間は、六畳の「しもざ」、同じく六畳の「なかのま」に最奥が、六畳の「かみのま」。

床の間に付書院、物入れに押し入れもある間続き18畳の間。



襖を外したら、解放感に浸れる。

できるなら、この広間で大の字になって寝てみたい。



窓は全開、気持ちのいい3月初めの風が流れる。

離れ座敷から、渡り廊下向こう側に建つ2階建て主屋を眺める。

今回の主な修理目的は杉皮葺き屋根である。



右手前の渡り廊下の杉皮葺き屋根が見える。

綺麗に葺いた杉皮屋根が美しく見える。

その先の主屋の屋根もまた杉皮葺きであるが、比較したら、違和感がある。

遠目になるからわかりにくいが、今回の葺き替えではなかった。

担当のTさんの話によれば、何年か前に葺き替え先行工事をしていたそうだ。

それから数年・・苔むす状態ではないが、ややくすんで見えるのは、経年経過の現われであろう。

ちなみに、2階部分は、今回の公開見学対象には含まれていないが、六畳の「かみのま」と八畳の「しもざ」がある。

一番見たかった離れ座敷。



立派なカメラをお持ちの男性。

座敷に座ったまま、床の間方向にレンズを向けて撮っておられた。

その他にもカメラマン姿は何人も・・。

いい写真を撮られたことだろう

離れ座敷を見て主屋に戻ろうとして振り返るそこも窓は全開。



向こう岸に見える建物は、「旧木村家住宅・主屋」。

十津川村特有構造の建屋。

屋根は「旧前坊家」同様に杉皮葺き。

それだけでなく、今ではもう見ることもない、貴重な石置き構造の屋根である。

先だって、拝見した県立民俗博物館。

耐震工事を終えてリニューアル公開に歴代の民博ポスター展があった。



うち、一枚が、十津川村上葛川の地にあった石置き屋根

当時の古民家をとらえたポスターと同じ景観風情に誘える。

2階の窓から見える旧木村家の全景。

屋根の構造がよくわかる映像。

これまで見ることもなかった内部公開見学に参加して、ほんまに良かった、と思う景観にも浸っていた。

一通り、内部構造を拝見して屋外から見た外観。



外に構築した石垣もまた風情がある。

あたかも当時の姿が蘇り、その場に居たような錯覚に陥る壁構え。



数人のハイカーさんが見える建物が離れ座敷。

さらに、右へ廻ってみる渡り廊下。



ハイカーさんたちは、背伸びして覗き込んでいた。

おかげで建物の高さがわかる映像になった。

渡り廊下、離れ座敷の1階部分は、蔵のような構造。

内部は公開していないからはっきりしないが・・。



その付近に置いてあった機械は、稲藁結いの機械。

田所~中型製縄機など他に2台。



玄関口にも1台ある。

この製縄機もまた農機具の展示物であろう。

ざっと見学し終わって、ふり返り。



「本日の見学コース」とあるが、コース資料は、昨年の11月21日(土)、22日(日)に使用したものを再活用された。



なお、吉野建ては、吉野山だけでなく、下市にもある。

吉野川沿いに建つ民家もまた吉野建て構造。

参考になりそうな2点のブログが見つかった。

(R3. 3. 7 SB805SH撮影)

奈良県立民俗博物館併設古民家・旧前坊家杉皮屋根葺き替えお披露目建物見学会①

2021年05月18日 09時06分21秒 | 民俗を観る
昭和56年8月8日、大阪市内から奈良県大和郡山市に転居。

身近なところに自然が多く見られる大和郡山。

城下町から少し離れた地域に住んだ。

当時はまだ、コンクリート護岸をしていない富雄川から西に拡がる田園地。

どちらにお住まいですかと聞かれたら、高専に近いですと答えていた。

高専は奈良高専。

正式名称は、独立行政法人 国立高等専門学校機構 奈良工業高等専門学校である。

その高専から少し歩けば、戦後しばらくまでは奈良県農業経営者伝習農場・特産種苗農場があった。

取材地先に尋ねた人生の先輩、先駆者の人たち。

そう、そこで学び、卒業し、地元で耕作している多くの人に出合うこと度々・・。

その伝習農場跡地にできたのが、奈良県立大和民俗公園である。

昭和50年、都市計画決定を受け、整備。

昭和49年11月10日、奈良県県立民俗博物館は、先に開館した。

公園内には、3棟の国重要文化財、10棟の県指定文化財を含む県内各地の特色をもった代表的民家を復元移築。

移築してから早や45年・・。

移築民家は、経年劣化的損傷もあるが、近年はアライグマなどに代表される動物による損壊が増えつつある。

今回、3年計画で実施された県内でも珍しい「杉皮葺き屋根」5棟の葺き替え工事を・・。

公園最奥に建つ「旧前坊住宅」を2年間にわたる葺き替え工事を終え、それを記念に、普段では見学もできなかった”渡り廊下”や”離れ座敷”に、続いて葺き替え工事を計画している「旧木村家住宅・主屋」も内部を公開された。

公開日は、令和3年3月6日、7日の両日。6日は都合つかず、本日いちばんの時間帯に見学させてもらった。

実は、「旧前坊家杉皮屋根葺き替え工事現場公開見学」は、今回が初めてではなく、令和2年2月15日(土)、17日(日)もあった。

工事初期の段階だけに、工事の足場利用の見学であった。

同年の11月21日(土)、22日(日)も、足場利用の見学会。

いずれも出かける日程が合わなかったが、今回こそ見逃さず、機会も失わず・・・いよいよ拝見できる建物内部にわくわくしていた。

県立民俗博物館に足しげく出入りするようになったのは、平成15年2月7日。

桜井市三輪で行われた恵比須神社の初えびす・御湯の神事の際に出合った現奈良民俗文化研究所代表の鹿谷勲氏がキッカケ。

当時の職場は、奈良県県立民俗博物館。

一度、職場訪問をしてほしいと願われたのが発端だった。

住まいする地域が大和郡山市内。

奈良県県立民俗博物館も同じく大和郡山市内。

その後、博物館が所在する大和郡山市内にある民俗行事を調査してほしい、というお願いである。

調査のすべてが終ったわけではないが、ごくごく一部の行事調査を終えて写真展を特別に開催する運びとなったのは、お願いされてから6年も経った平成21年10月に2度目開催の「大和郡山の祭りと行事」写真展だった。

それから1年後の平成22年8月

大和民俗公園内施設の古民家を撮ってほしいというお願い。

総務課の依頼であるが、学芸課から伝えられた撮影指定の古民家は、宇陀・東山集落。

夏、真っ盛りの日に撮影は忍耐どころではない。

ほとばしる汗に難儀した。

撮影した古民家は、翌9月に発行された古民家ポスターに採用された。

その撮影依頼にすべての古民家を巡っていたが、屋内の風情を撮れる民家と、閉鎖され内部を観ることさえ不能だった民家がある。

それが、今回初の内部特別公開された「旧前坊家」。

実は、大和民俗公園は、それ以前から、大和郡山市少年自然の家主催事業の親子観察会に参加していたことから存じていた。

自然観察の場は、時季によって場を替えるが、主に矢田山丘陵地。

里山や矢田山を巡る自然観察会は、自然がいっぱいある大和民俗公園もフィールド地。

春は春に、秋は秋の自然形態が観察できる格好の公園に自然観察会

蕨がいっぱい出ていた場所は、吉野建て住居が建つすぐ近くだった。

観察会から気持ちが離れ、手が勝手に動いた蕨取り。

その日の食卓に味わったこともある思い出の地。

そのことはともかく、何度も吉野建て住居をみているのだが、入室ができない状態だった。



春には真っ赤なボケの花がここに咲く。

また、しめ縄に欠かせないユズリハも観察対象にあったが、入室は不可の「旧前坊家」。

外観を眺めるしかできなかった。

この1年を待つどころか、おおかた20年以上も見ることができなかった「旧前坊家」の内部を見せていただける。

こんな機会は、もうないかもしれない。

県立民俗博物館の担当者に伝えていた見学希望である。

見学時間は、午前10時より。

その日、同じように拝見したく訪れると伝えていた写真家のSさんとともに拝見する内部公開に先客が1組のご夫婦。

愉しみにしてらしていたそうだ。

「旧前坊家」は、大和民俗公園の入り口ゲートから、最奥の場にある。

距離にしておよそ700メートルであろう。

この日と昨日の6日は、主催事業の「梅まつり」。・・・終了しました

ご家族、子どもたちにも楽しんでもらう盛りだくさんのイベントがある。

特に子供たちが競い合って、駆け付けるスタンプラリー。

9つのスタンプを集めても景品はない。

それでもスタンプを押してもらって、梅の花が満開になる達成感にご満悦だ。

古民家入口の扉は木製。

開園日に開く木製扉を抜けたそこは、町家集落エリア

ちなみに博物館学芸課が作成した、見て、読み、学ぶ「古民家たんけんブック」が役立つ。

左側に大和高田市英和町にあった旧鹿沼家住宅が。



右手に茅葺民家の旧臼井家住宅が。

雨戸に障子は、いつも開けている高取町上土佐にあった旧臼井家住宅。

2月13日から本日まで展示していた古民家ひなまつり。



座敷にのぼって撮影する人多し。

お雛さんの被写体とともに映り込むイベントはいつも賑わっている。

さらに歩いたところに建っているのが国中集落エリア。

はじめに行きつく古民家が、橿原市中町にあった旧吉川家。



この時季に咲く白梅入れて撮ってしまう茅葺民家。

外観の佇まいがなんともいえない情感を醸し出す。

その向こう側にある茅葺民家が2棟。



手前が香芝市狐井にあった旧赤土家の離れ。

その向こうが、桜井市の大字・下(しも)にあった茅葺民家の旧萩原家。

平成29年、30年、31年に亘った工事。

およそ40年ぶりに、経年劣化していた茅葺屋根を全面的に修復、公開され、活用することになった令和元年の時代。

その先に建つ古民家は、宇陀・東山集落エリア。

国中集落エリアから歩くはじめの数十メートルは、なだらかな坂道。

カーブ道からは、やや高くなる急坂道。

県立民俗博物館の所在地。

奈良県大和郡山市矢田町545のアドレスをクリックしたマップファン地図では、その高低差は見えないが、古民家それぞれの位置が地図上に出現する。

まずは、八重川家住宅。



元の所在地は、旧都祁村の針。

現在は奈良市針町にあたる地にあった。

旧八重川家住宅からすぐ横に建つ。

かつては室生村の黒岩(※現在は宇陀市室生黒岩)にあった旧岩本家住宅が目に入る。

いずれも茅葺古民家。重厚な造りに圧倒されそうになる。

数十メートルも歩いたら、すぐわかる古民家は、同じく旧室生村の上笠間(※現在は宇陀市室生上笠間)にあった旧松井家住宅。

今回、目的地の吉野建て住宅は、もうすぐだ。



旧松井家住宅から向こう岸に見える2棟の建物。

下って、登る、まるで谷あいのような感覚に陥る道。

逆にいえば、カメラアイから、つい撮りたくなる構図がとれる3棟の位置である。

ようやく着いた吉野集落エリア。

右手に建つ古民家は、かつて十津川村旭の迫が所在地だった。

急斜面、山間地特有の建物構造。

山深い峡谷の地である。

その向かいに建つのが目的地の「旧前坊家」。

吉野山の門前町筋。

金峯山寺仁王門と銅鳥居の発心門の中ほど。

代々の当主は、吉野水分神社の神官を勤めたと伝わる「旧前坊家」は2階建て構造

「旧前坊家」以外は、すべてが平屋構造であるが、「旧前坊家」だけが2階建て。

なぜに2階建てなのか・・。

それは後述する、として、参照していたマップファン地図には、「旧前坊家」が、プロットされていない。

不思議なことであるが、うすうす感じる公開のあり方が関係しているのだろうか。

と、いうのも大和郡山に転居し、県立民俗博物館・大和民俗公園に訪れるようになったが、未だに旧前坊家の扉が開いている状態を見たことがない。

窓も開いていないから、建物の外観を見るだけだ。

念のため調べてみたゼンリン住宅地図に、古民家表記はない。

ヤフー地図も、Goo地図もないが、マピオン地図にあった。

ところが、妙なことがわかった。

マップファン地図には、「旧前坊家」が、プロットされていないが、旧木村家はある。

逆に、マピオン地図では、「旧前坊家」はプロットされているが、旧木村家はない。

また、旧鹿沼家住宅も表記なし。

どっちもどっち、のような、いずれも精細に欠ける地図表記だとわかった。

(R3. 3. 7 SB805SH撮影)