山添広瀬・西方寺の花まつりに地元民が調理し売っていたひろせ名物のさいら寿司(※秋刀魚のひらき)を拝見していた。
それは、それは、美味しい郷土料理。
祭りになれば、各家で仕入れ、焼いて食べていたひろせ名物のさいら寿司。
蝶理していた方たちからお話を聞かせていただいた。
後の時間に取材は入っていないが、もう少し経てばお昼の時間帯。
つくりたてのさいら寿司を買っても、今は食べずに帰ってからだ。
若干、心もちの時間を活用して探してみる広瀬の民俗。
ぶらぶら、ふらりと見ていく西方寺の花まつりは、村の一大イベント。
ショーイベントが連続する午後3時までの滞在に集中する余裕はない。
うろうろしていた際に見つかった道具は大型装置。
見た目でわかった装置は、火防対応に消火する装置。
手前に置いていた装置は、消防ホースを積載している移動用の台車。
真っ赤な色を塗った消防道具。
牽引具があるから、消防自動車が要る。
奥に見える道具も消防装置。
手押しポンプを搭載したこれもまた移動用に台車がある。
型式はわからないが、年代もんだろう。
だが、金属製となれば、比較的に新しい年代だと推定した装置。
埃が付着している状態だから、たぶんに引退した消防ポンプと消防ホースの一体もん。
そういえば、ここ広瀬の火の見櫓は、ここからでも見える道路の向こうに建つ。
村の消防団施設が目の前に建っている。
置き場がなくて、ここは「ブックカフェひろせ」。広瀬幼稚園が廃され、遺した校舎に据えていた消防装置は、子どもたちの学びにもなる村文化財。
大切な文化財である。
これまでの調査から、ポンプ消防装置はいくつかの村々が保存していることがわかっている。
保管場所は、神社や寺院にしている場合もあれば、個人が所有する自宅保存もある。
実は、つい最近の取材で判明した地域もある。
ふり返りながら揚げていく手押しポンプ消防装置を保管している県内外の地域を列挙する。
まずは、奈良県北部により近い京都府南部地域の一例。
京都府木津川市加茂町銭司・春日神社の木製手押しポンプ消防装置は吊るし保存。
明治廿一年九月寄贈の龍吐水(※りゅうどすい)は、消防ポンプに放水口もある美品の逸品。
奈良の龍吐水事例も比較に、ここにリンクしておく。
一つは、明治十一年(1878)~明治二十年に製造された奈良県山添村・切幡(きりはた)の木製龍吐水は、寺本堂の裏に吊るして保存していた。
二つ目の事例は、桜井市・小夫(※おぅぶ)の龍吐水は、元庄屋家の井戸近くに吊るし保存していた木製手押し消防ポンプ。
銭司・春日神社の消防ポンプ同様の、美麗な放水口があることから、同年代の製造であろう。
三つ目の事例もまた、宇陀市・榛原の柳の元庄屋家に吊るし保存している龍吐水であるが、製造年代は江戸時代。
なんと、嘉永二年(1848)製には驚いたものだ。
四つ目の事例は、奈良市東部・上誓多林(かみせたりん)もまた、江戸時代に製造された木製の龍吐水。
こもまた、元庄屋であろう。
玄関入口の真上から吊るし保存している龍吐水は、安政五年(1858)製。
それぞれの龍吐水は、暮らしの民俗遺産。
大切な遺産は、奈良県内にそれほど多くない。
「一説によれば、享保年間(1716~36)にオランダから渡来したとも、また、宝暦四年(1754)年に長崎で、オランダの技術者の指導で造られたとの説もある」、と東京消防庁が伝えるHPに記載している。
なお、同HPに「龍吐水は、江戸時代中ごろから明治10年代にかけて使用されてきましたが、明治17年(1884)年末に、国産の手押しポンプが量産されたことに伴って、廃止されることに」なった、とある。
また、金属製の手動消防ポンプも拝見したことがある。
場所は、奈良高取町・佐田の春日神社の拝所に保存。
元々は、消防団の倉庫に収納していたが手狭になったことから、場を移した。
金属だけに重量感がある手動手押し消防ポンプには製造関係を示す銘鈑プレートは外れて落下したのか、拝所地面に埋もれており、判読不明。
年代は不明だが、あくまで推定であるが、戦前~戦後であろうか。
ただ、車体側面に墨書文字があった。
「第七ヵ八〇師 専賣特許 大阪北區中之島裏橋北詰東 製鐵所阿堅商店 電話長一〇六八番」であった。
おそらく大量生産のポンプでなく、専賣特許の手造りであろう。
場には、ポンプを乗せていたであろう、と思える車輪など解体木造台車もあった。
ネット調べに見つかった、ほぼ同類に近い型の金属製の手押し消防ポンプ。
埼玉県春日部市の施設郷土資料館に保存されている「腕用ポンプ」に、さも似たりの「内出町自警団」ポンプである。
さらに、ネットをぐぐった中に、茨城新聞ニュース動画が見つかった。
大きな車輪を装備した台車に載せて登場した腕ポンプに目を奪われた。
動画コメントによれば「60年ほど前まで消火作業で活躍した手動の腕用ポンプ。茨城県笠間市赤坂の大池公園で開かれた笠間市消防出初め式にお披露目。同市大古山地区の旧消防団詰め所に眠っていた腕用ポンプは、100年以上前の明治時代に作られ、1955年過ぎまで使われた可能性がある」と・・・
ほぼ同型と判断するならば、高取町佐田に遺されていた金属製の手押し消防ポンプも、また明治時代まで遡る時代もん。
「大字廣瀬 消防組」の消防ポンプも、おそらく同時代とも考えられる。
いずれも大切に保存されるようお願いしたいものだ。
さて、西方寺の花まつり・村の一大イベントフェアに話題を戻そう。
なにげに目に入った鉄製の道具がある。
これとまったく同じ形態道具を見たことがある。
実は、前月の3月31日に訪れた奈良県大淀町にある施設。
今木が在所の今木社会法人ひまわりわかば直売所で販売していた「ロケットストーブ」とそっくり。
四角い筒が上方に一本。右上角度に向けた一本。
倒れないように、土台は幅広くとった脚がある構造。
ひまわりわかば直売所売り場に見たのとほぼ同じような構造。
直売所で売っていた製品名が「ロケットストーブ」。
傍におられた女性は、これはそんなのと違いまして・・・と、いう。
この装置の撮り位置を変え、斜め前から見て、この道具の役割が見えた。
そう、今からはじまるショータイムは、演武ショー。
侍姿の後ろに張った白い布。中央に「武」の文字が見える。
衣装は侍の方もおられるし、忍者姿の方も・・・
ショータイムプログラムにあった「リー村山さんによる抜刀ショー」
そうか、この見たこともない道具に挿していた藁束は、居合切りの抜刀ショーに用いられる道具だったんだ。
なるほど、と頷いたが、「ロケットストーブ」は、専らの用途はアウトドア。
電気もガスもいらない暖房器具として、アウトドアシーンで人気の“ロケットストーブ”。
温かいだけでなく、加熱調理器として煮炊きにも使える道具。
また、非常用の防災グッズとしても注目されている道具・・
垂直に据えている四角い筒も、斜めの筒も煙突の役目。
その煙突の効果を活かした“ロケットストーブ”は、少ない燃料で高火力の火を生み出せるギア(※装置)。
ヒートライザーという煙突状の排気管と、バーントンネルという燃焼管からなる、実にシンプルな構造。
薪や小枝などが燃料。
キャンプ場や野外にあるもので火を起こせることから、非常用のギア(※装置)としても威力が発揮できる。
(R4. 4. 9 SB805SH 撮影)
それは、それは、美味しい郷土料理。
祭りになれば、各家で仕入れ、焼いて食べていたひろせ名物のさいら寿司。
蝶理していた方たちからお話を聞かせていただいた。
後の時間に取材は入っていないが、もう少し経てばお昼の時間帯。
つくりたてのさいら寿司を買っても、今は食べずに帰ってからだ。
若干、心もちの時間を活用して探してみる広瀬の民俗。
ぶらぶら、ふらりと見ていく西方寺の花まつりは、村の一大イベント。
ショーイベントが連続する午後3時までの滞在に集中する余裕はない。
うろうろしていた際に見つかった道具は大型装置。
見た目でわかった装置は、火防対応に消火する装置。
手前に置いていた装置は、消防ホースを積載している移動用の台車。
真っ赤な色を塗った消防道具。
牽引具があるから、消防自動車が要る。
奥に見える道具も消防装置。
手押しポンプを搭載したこれもまた移動用に台車がある。
型式はわからないが、年代もんだろう。
だが、金属製となれば、比較的に新しい年代だと推定した装置。
埃が付着している状態だから、たぶんに引退した消防ポンプと消防ホースの一体もん。
そういえば、ここ広瀬の火の見櫓は、ここからでも見える道路の向こうに建つ。
村の消防団施設が目の前に建っている。
置き場がなくて、ここは「ブックカフェひろせ」。広瀬幼稚園が廃され、遺した校舎に据えていた消防装置は、子どもたちの学びにもなる村文化財。
大切な文化財である。
これまでの調査から、ポンプ消防装置はいくつかの村々が保存していることがわかっている。
保管場所は、神社や寺院にしている場合もあれば、個人が所有する自宅保存もある。
実は、つい最近の取材で判明した地域もある。
ふり返りながら揚げていく手押しポンプ消防装置を保管している県内外の地域を列挙する。
まずは、奈良県北部により近い京都府南部地域の一例。
京都府木津川市加茂町銭司・春日神社の木製手押しポンプ消防装置は吊るし保存。
明治廿一年九月寄贈の龍吐水(※りゅうどすい)は、消防ポンプに放水口もある美品の逸品。
奈良の龍吐水事例も比較に、ここにリンクしておく。
一つは、明治十一年(1878)~明治二十年に製造された奈良県山添村・切幡(きりはた)の木製龍吐水は、寺本堂の裏に吊るして保存していた。
二つ目の事例は、桜井市・小夫(※おぅぶ)の龍吐水は、元庄屋家の井戸近くに吊るし保存していた木製手押し消防ポンプ。
銭司・春日神社の消防ポンプ同様の、美麗な放水口があることから、同年代の製造であろう。
三つ目の事例もまた、宇陀市・榛原の柳の元庄屋家に吊るし保存している龍吐水であるが、製造年代は江戸時代。
なんと、嘉永二年(1848)製には驚いたものだ。
四つ目の事例は、奈良市東部・上誓多林(かみせたりん)もまた、江戸時代に製造された木製の龍吐水。
こもまた、元庄屋であろう。
玄関入口の真上から吊るし保存している龍吐水は、安政五年(1858)製。
それぞれの龍吐水は、暮らしの民俗遺産。
大切な遺産は、奈良県内にそれほど多くない。
「一説によれば、享保年間(1716~36)にオランダから渡来したとも、また、宝暦四年(1754)年に長崎で、オランダの技術者の指導で造られたとの説もある」、と東京消防庁が伝えるHPに記載している。
なお、同HPに「龍吐水は、江戸時代中ごろから明治10年代にかけて使用されてきましたが、明治17年(1884)年末に、国産の手押しポンプが量産されたことに伴って、廃止されることに」なった、とある。
また、金属製の手動消防ポンプも拝見したことがある。
場所は、奈良高取町・佐田の春日神社の拝所に保存。
元々は、消防団の倉庫に収納していたが手狭になったことから、場を移した。
金属だけに重量感がある手動手押し消防ポンプには製造関係を示す銘鈑プレートは外れて落下したのか、拝所地面に埋もれており、判読不明。
年代は不明だが、あくまで推定であるが、戦前~戦後であろうか。
ただ、車体側面に墨書文字があった。
「第七ヵ八〇師 専賣特許 大阪北區中之島裏橋北詰東 製鐵所阿堅商店 電話長一〇六八番」であった。
おそらく大量生産のポンプでなく、専賣特許の手造りであろう。
場には、ポンプを乗せていたであろう、と思える車輪など解体木造台車もあった。
ネット調べに見つかった、ほぼ同類に近い型の金属製の手押し消防ポンプ。
埼玉県春日部市の施設郷土資料館に保存されている「腕用ポンプ」に、さも似たりの「内出町自警団」ポンプである。
さらに、ネットをぐぐった中に、茨城新聞ニュース動画が見つかった。
大きな車輪を装備した台車に載せて登場した腕ポンプに目を奪われた。
動画コメントによれば「60年ほど前まで消火作業で活躍した手動の腕用ポンプ。茨城県笠間市赤坂の大池公園で開かれた笠間市消防出初め式にお披露目。同市大古山地区の旧消防団詰め所に眠っていた腕用ポンプは、100年以上前の明治時代に作られ、1955年過ぎまで使われた可能性がある」と・・・
ほぼ同型と判断するならば、高取町佐田に遺されていた金属製の手押し消防ポンプも、また明治時代まで遡る時代もん。
「大字廣瀬 消防組」の消防ポンプも、おそらく同時代とも考えられる。
いずれも大切に保存されるようお願いしたいものだ。
さて、西方寺の花まつり・村の一大イベントフェアに話題を戻そう。
なにげに目に入った鉄製の道具がある。
これとまったく同じ形態道具を見たことがある。
実は、前月の3月31日に訪れた奈良県大淀町にある施設。
今木が在所の今木社会法人ひまわりわかば直売所で販売していた「ロケットストーブ」とそっくり。
四角い筒が上方に一本。右上角度に向けた一本。
倒れないように、土台は幅広くとった脚がある構造。
ひまわりわかば直売所売り場に見たのとほぼ同じような構造。
直売所で売っていた製品名が「ロケットストーブ」。
傍におられた女性は、これはそんなのと違いまして・・・と、いう。
この装置の撮り位置を変え、斜め前から見て、この道具の役割が見えた。
そう、今からはじまるショータイムは、演武ショー。
侍姿の後ろに張った白い布。中央に「武」の文字が見える。
衣装は侍の方もおられるし、忍者姿の方も・・・
ショータイムプログラムにあった「リー村山さんによる抜刀ショー」
そうか、この見たこともない道具に挿していた藁束は、居合切りの抜刀ショーに用いられる道具だったんだ。
なるほど、と頷いたが、「ロケットストーブ」は、専らの用途はアウトドア。
電気もガスもいらない暖房器具として、アウトドアシーンで人気の“ロケットストーブ”。
温かいだけでなく、加熱調理器として煮炊きにも使える道具。
また、非常用の防災グッズとしても注目されている道具・・
垂直に据えている四角い筒も、斜めの筒も煙突の役目。
その煙突の効果を活かした“ロケットストーブ”は、少ない燃料で高火力の火を生み出せるギア(※装置)。
ヒートライザーという煙突状の排気管と、バーントンネルという燃焼管からなる、実にシンプルな構造。
薪や小枝などが燃料。
キャンプ場や野外にあるもので火を起こせることから、非常用のギア(※装置)としても威力が発揮できる。
(R4. 4. 9 SB805SH 撮影)