マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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高樋町・春日神社ハルマツリの祈年祭・五社代参フリアゲ

2015年12月10日 12時00分38秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
知り合いの帯解住民が紹介してくださった奈良市高樋町の宮総代。

鎮座する高樋町の春日神社は奈良市の旧五ケ谷村にある神社だ。

前月の24日は前もって神社所在地などを案内してくださった。

この日は生憎の雨降り。

時間ともなれば氏子たちが集まってくる。

傘をさしながら神社に参拝して手を合される。



本殿下に奉書で包んだ松苗を供えていた。

「牛玉 今宮寺 宝印」の文字を墨書したお札が奉書だ。



オン松とメン松が数本。束ねた松苗が崩れないように藁で括っていた。

当地ではイノコロと呼んでいる芽吹きのネコヤナギ(正式にはカワヤナギ)も一緒に括っていた。

この松苗はシキジ(式司)が予め作っておいた。

本数は70本。

村の戸数は90戸。

うち農家の70戸分を作っておく。

雨天でなければ本殿や末社三社の事代主命社(左右に二社)、天児屋根命社や小社の大日霊命社の前に並ぶ。

この日は土砂降りの雨。

ハルマツリの祭礼はやむなく拝殿中央の場で行われた。

参集するのは自治会、農家、組合、万青(まんせい)の人たち。

この日はおよそ20人だった。



祓えの儀、宮司一拝、献饌、祝詞奏上である。

祝詞に「としごいのみまつりに豊作を祈願する」とあった。

玉串奉奠、撤饌、宮司一拝で終えた宮司が話す。

「お米を守っていた松苗だと」解説された。

松苗を包んだお札はごーさん札であるが、今宮寺の存在を示すものはない。

かつては春日神社の神宮寺であったろう。



祭典が終われば一年当番のシキジ(式司)が下げる。

ハルマツリとも呼ぶ祈年祭を終えた氏子は神社下にある高樋町集会所に集まって1時間ほど直会をする。

高樋町は6垣内。

それぞれの名を付けた札がある。

「柳茶屋東垣内」、「柳茶屋西垣内」、「寺山垣内」、「西垣内」、「南垣内」、「中垣内」に「東垣内」だ。

垣内名を掲げた部屋に各垣内住民が籠りするが、固定ではなく変動するようだ。



直会が終わった会場は片づけられて所蔵していた掛図を掲げる。

掛図は表装しなおした雨宝童子。

一目でわかった掛図である。

天照大御神が日向に下生した、つまり地上に降り立ったときの姿だといわれる雨宝童子。

本地垂迹説によって天照大御神は本地仏とされる大日如来に化身した姿。

右手に金剛宝棒、左手は宝珠を持つ童子姿だ。



掛図下にさきほど春日神社に供えた松苗を置いてローソクに火を灯す。

氏子一同が拝礼する。



今では村行事になっているが、古い史料によればかつては「座」と呼ばれる宮座講の営みだった。

シキジ(式司)が修祓、祈祷をされて籠りをしていたようだと書いてあることから日待ち行事であったかもしれない。

雨宝童子に手を合わせた高樋の人たちは五社に参ってお札を貰ってくる代参決めをする。



村人の名を記した竹串を収めた振分(しんぷ)箱<横に「牛玉 今宮寺 宝印」>を振って出すのは自治会長。

おみくじ箱のように箱を揺すって振り出す。

五社は地元の春日大社や大阪・奈良県境山頂に鎮座する金剛山葛木神社、吉野山金峰山寺蔵王堂、京都の愛宕神社、三重の伊勢神宮。



1社につきそれぞれ2本ずつ振り出す。

2名を確かめて読みあげる。



神意で当たった人たちは一年前に授かったお札を受け取って代参する。

フリアゲ神事の正式名称は「代参振分(だいさんしんぷ)」である。



これらが終われば纏めた松苗を6垣内の代表者が持ち帰り各戸に配られる。

松苗は5月GW中にツツジ花を添えて苗代水口に立てる。

かつて村で火事が発生した。

それがきっかけで火伏せの神さんである京都の愛宕神社も代参するようになったという。

決まった代参の人たちは3月から5月連休にかけて都合のいい日を二人で選んで出かけるようだ。

ちなみに9月1日は八朔。

鯉ドーヤ(当家或は當家とも)が担う。

(H27. 3. 1 EOS40D撮影)


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