マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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南六条南方の村祭り

2008年07月26日 07時22分05秒 | 天理市へ
先月、苗代作りでお世話になった南六条南方の旧当屋のDさんを訪問して、杵築神社の年中行事などを教えていただいた。

旧当屋と称される座衆は、本来宮本衆と呼ばれた集団で同神社の祭礼を営む所謂宮座衆である。

大正六年のころであろうか、村人らの要望で氏神さんを祀るのは宮座だけでなく村人にも開放してほしいという願いから、組織を改正され村当屋が新たに加わった営み形態になったという。

年中行事は11月23日の新嘗祭、正月前の門松立て、1月7日の七草の日の御田祭(5日から15日までの日曜に移行)、2月17日の祈年祭(近い日曜に移行)、5月5日の端午の節句のチンマキ御供、7月14日の祇園さん、9月28日の二十八日座(28日に近い日曜に移行)、10月4日の当屋注連縄張り(例祭の一週間ほど前)、10月10日の秋の例祭(体育の日の前日)、11日は鍵渡し(体育の日)となっている。

そのうち、御田祭と二十八日座は旧当屋で営まれる。

8軒で組織される旧当屋は格式ある「神名帳(おそらく宮座記録)」をもつ宮本衆。

何故か名字がDさんとYさん名ばかり(1軒は当屋株を拝領したので別姓)である。

二十八日座は秋の例祭を営むにあたり禊ぎが行われる。

以前は龍田川の禊ぎ場であったが、現在は普段着で天理の桃尾の滝に行って滝で足を洗う。

所謂の禊ぎ儀式です。

御田祭は着物を着た旧当屋で営まれる。

苗代飾りに見られた牛玉宝印を刷っていくそうだが昔のこと。

現在はコピーとなっている。

ごおさんと呼ばれる牛玉宝印は旧当屋の引き継ぎ宝物だとおっしゃる。

村当屋で営まれるのが秋の例祭。

白丁の装束を着た旧当屋に着物姿の村当屋。

地区の四垣内(現在は班と呼ばれる)からそれぞれ神社までお渡り。

根付き稲穂を担ぐイネカタギ(本来は子どもでいなければ若衆)、御幣持ちのミナライ、ホンドーヤ、トーヤと列をなしてのお渡りは、鳥居の前に到着するとそれぞれ役割ごとに一列に並ぶ。

神主のお祓いを受けて拝殿に登り神事が行われる。

お渡りの前、ホンドーヤ、ミナライが上座に座り、垣内の人らとともにすまし汁の椀に入れた一合モチをよばれます。

「ボウトウ(冒頭であろうか)ノモチ」と呼ばれる儀式だといいます。

例祭を終えた夕刻18時には拝殿で振り上げ神事が行われる。

伊勢の代参で授かったお札。神主が立ち会い、狩衣を着衣した村当屋が御幣串と呼ばれるお札を静かに下げる。

すると、丸めた和紙がすぅっとあがってきて次の当屋が決まる。

所謂神占いの儀式であり、当屋の鍵渡しの儀式ともいわれる。

いずれにしても訪れてみたい南六条南方の村祭りだ。

(H20. 6.30 SB912SH撮影)



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