当月18日に訪れたが不在だった。
今尚、お家でされている砂撒きを取材させていただきたく訪れたが不在であった。
この日は居られるであろうと判断して立ち寄った京都府木津川市山城町上狛のO家。
呼び鈴を押せば奥さんが出てこられた。
貴重な民俗行事を取材させていただきたく、京都府文化財保護指導員のAさんから紹介を受けて取材願いに伺わせてもらったことを伝える。
以前はカドニワも広くて大きな円の砂撒きをしていたという。
円とか四角の形で象る砂は木津川から採取してくる。
ご主人は午前中に川まで出かけて採取してきた砂はこの袋に入れて持ち帰ったと話してくださる。
20リットル入る袋が2袋。
結構な量である。
奥さんが話していたところにご主人と娘さんが畑で自家栽培した野菜を積んで戻ってきた。
ご主人にも取材させていただく旨、お話しをすれば了解してくださった。
お聞きすればこの砂を運ぶのがたいへんだったそうだ。
昔ならそれほど奥に入らずに採取できた木津川の砂。
川の流れも替わって砂山も移動する。
それがますます奥に移動する。
軽トラを川の道がある所まで移動するのも難しくなってきた。
車輪が埋もれない所まで動かしてそこからは一輪車。
奇麗で清浄な川砂がある所まで入り込んでスコップで掬う。
砂を撒く形は丸とか四角とか。
そのときの気分で撒くようだ。
なお、昨今は民俗風習の川砂掬いであっても禁止している地域がある。
私が大晦日に撒く神さんの通る道取材をしたなかで、国交省が禁止したのでやむなく中断したと聞く地域がある。
ただ、ここでは少量採取の民俗風習には国交省も黙認しているようだという。
ご主人はかつて親父さんとともに親子でしていたというその場のコンクリート地。
家を拡張したときの左官屋さんが印しをつけた。
線で描いた扇もあればハサ架けの足もある。
三つの丸い文様はさて。
流れるようであれば巴になるが、これはなんだろうか。
こういう印は左官屋さんの思い描くまま。
尤もO家の了解をとった上での行為である。
実は左官屋さんだけでなく瓦屋さんも・・。
翌日の31日にO家を伺ったときに拝見した屋根である。
家紋もさることながら、鬼瓦下にあった文様はまさに扇である。
先に建てたのは家屋。
その文様を見られて思いついたようである。
上狛の砂撒きはもう1軒ある。
O家より歩いてもそれほど遠くない処である。
その途中に出会ったO婦人。
先ほどO家に立ち寄らせてもらい承諾いただきましたと伝えたら喜んでくれはった。
ご近所で顔合わせたら砂撒き取材のことが話題になる。
そう思ってお礼を伝えたのである。
もう1軒は砂撒き取材を承諾してくださったO家が紹介するM家である。
お家を訪ねて取材経緯をお話しさせていただいたら承諾してくださった。
この日のM家は正月準備で繫忙状態。
にも拘わらずさまざまなことを教えてくださるし、現況も見せてくださる。
この日は鏡餅や正月の餅作りで忙しい。
玄関上がった処に搗きたての餅がある。
やっと落ち着いたがまだまだある正月の準備作業であるが、餅の種類を教えてくださる。
トリ粉を塗したコウジブタに大きな鏡餅が四つ。
よくみればコウジブタに年号墨書がある。
昭和廿七年十二月吉日である。
その当時にすべてを新調したのであろう。
それから年月も経って今年で65年目。
私の年齢と同じである。
赤い餅は四角形。
エビ入りの餅である。
向こうにはコモチもある。
ここでは見えないがアオノリを入れた餅やネコの名で呼ぶダンゴも作った。
実はM家の餅はすべて糯米でなく、粳米との混合である。
糯米一升半に対して粳米が一升。
比率でいえば、3対2の割合である。
ご主人はできあがった鏡餅は松尾神社や寺に毎年、寄進しているという。
松尾神社の創建は大宝元年(701)。
隣村の椿井と上狛の氏神さんである。
その椿井には虫送りの行事もあるという。
M家は大晦日に砂撒きもしているが、その日は一斗枡にマスガミ(枡神)さんと云ってお供えをするらしい。
初午にアゲサンと藁で括ったゴボウ、ナガイモ、ニンジンのお供えもする。
稲作もしているからハサカケ作業もある。
5月のGW中には水口マツリをしている。
素焼きのカワラケに稲米。
それを水口に埋めるという。
さまざまなM家の習俗を紹介してくださる。
これらすべてを拝見するにはM家の年中行事をもっと学ばなくてはならない、と思った。
M家で了解をいただいたら、もう1軒。
お家はわかっているH家であるが、本日も不在であった。
なにやらお家の事情があって今年はどうもされないことがわかってきたが、家人とはまだお会いできていない。
(H28.12.30 EOS40D撮影)
(H28.12.31 EOS40D撮影)
今尚、お家でされている砂撒きを取材させていただきたく訪れたが不在であった。
この日は居られるであろうと判断して立ち寄った京都府木津川市山城町上狛のO家。
呼び鈴を押せば奥さんが出てこられた。
貴重な民俗行事を取材させていただきたく、京都府文化財保護指導員のAさんから紹介を受けて取材願いに伺わせてもらったことを伝える。
以前はカドニワも広くて大きな円の砂撒きをしていたという。
円とか四角の形で象る砂は木津川から採取してくる。
ご主人は午前中に川まで出かけて採取してきた砂はこの袋に入れて持ち帰ったと話してくださる。
20リットル入る袋が2袋。
結構な量である。
奥さんが話していたところにご主人と娘さんが畑で自家栽培した野菜を積んで戻ってきた。
ご主人にも取材させていただく旨、お話しをすれば了解してくださった。
お聞きすればこの砂を運ぶのがたいへんだったそうだ。
昔ならそれほど奥に入らずに採取できた木津川の砂。
川の流れも替わって砂山も移動する。
それがますます奥に移動する。
軽トラを川の道がある所まで移動するのも難しくなってきた。
車輪が埋もれない所まで動かしてそこからは一輪車。
奇麗で清浄な川砂がある所まで入り込んでスコップで掬う。
砂を撒く形は丸とか四角とか。
そのときの気分で撒くようだ。
なお、昨今は民俗風習の川砂掬いであっても禁止している地域がある。
私が大晦日に撒く神さんの通る道取材をしたなかで、国交省が禁止したのでやむなく中断したと聞く地域がある。
ただ、ここでは少量採取の民俗風習には国交省も黙認しているようだという。
ご主人はかつて親父さんとともに親子でしていたというその場のコンクリート地。
家を拡張したときの左官屋さんが印しをつけた。
線で描いた扇もあればハサ架けの足もある。
三つの丸い文様はさて。
流れるようであれば巴になるが、これはなんだろうか。
こういう印は左官屋さんの思い描くまま。
尤もO家の了解をとった上での行為である。
実は左官屋さんだけでなく瓦屋さんも・・。
翌日の31日にO家を伺ったときに拝見した屋根である。
家紋もさることながら、鬼瓦下にあった文様はまさに扇である。
先に建てたのは家屋。
その文様を見られて思いついたようである。
上狛の砂撒きはもう1軒ある。
O家より歩いてもそれほど遠くない処である。
その途中に出会ったO婦人。
先ほどO家に立ち寄らせてもらい承諾いただきましたと伝えたら喜んでくれはった。
ご近所で顔合わせたら砂撒き取材のことが話題になる。
そう思ってお礼を伝えたのである。
もう1軒は砂撒き取材を承諾してくださったO家が紹介するM家である。
お家を訪ねて取材経緯をお話しさせていただいたら承諾してくださった。
この日のM家は正月準備で繫忙状態。
にも拘わらずさまざまなことを教えてくださるし、現況も見せてくださる。
この日は鏡餅や正月の餅作りで忙しい。
玄関上がった処に搗きたての餅がある。
やっと落ち着いたがまだまだある正月の準備作業であるが、餅の種類を教えてくださる。
トリ粉を塗したコウジブタに大きな鏡餅が四つ。
よくみればコウジブタに年号墨書がある。
昭和廿七年十二月吉日である。
その当時にすべてを新調したのであろう。
それから年月も経って今年で65年目。
私の年齢と同じである。
赤い餅は四角形。
エビ入りの餅である。
向こうにはコモチもある。
ここでは見えないがアオノリを入れた餅やネコの名で呼ぶダンゴも作った。
実はM家の餅はすべて糯米でなく、粳米との混合である。
糯米一升半に対して粳米が一升。
比率でいえば、3対2の割合である。
ご主人はできあがった鏡餅は松尾神社や寺に毎年、寄進しているという。
松尾神社の創建は大宝元年(701)。
隣村の椿井と上狛の氏神さんである。
その椿井には虫送りの行事もあるという。
M家は大晦日に砂撒きもしているが、その日は一斗枡にマスガミ(枡神)さんと云ってお供えをするらしい。
初午にアゲサンと藁で括ったゴボウ、ナガイモ、ニンジンのお供えもする。
稲作もしているからハサカケ作業もある。
5月のGW中には水口マツリをしている。
素焼きのカワラケに稲米。
それを水口に埋めるという。
さまざまなM家の習俗を紹介してくださる。
これらすべてを拝見するにはM家の年中行事をもっと学ばなくてはならない、と思った。
M家で了解をいただいたら、もう1軒。
お家はわかっているH家であるが、本日も不在であった。
なにやらお家の事情があって今年はどうもされないことがわかってきたが、家人とはまだお会いできていない。
(H28.12.30 EOS40D撮影)
(H28.12.31 EOS40D撮影)