和歌山の写真展が再開したら、ぜひ訪れたいと思った紀州の和歌山城。
令和4年、この年の1月15日(土)に放送された視聴率高位番組の「ブラタモリ・和歌山編~和歌山に御三家が置かれた鍵(キー)は?~」。
再放送じゃなかったような気がする。
番組の予告に和歌山城、とあったから予約していたのだろう。
後日に拝見した録画撮りのブラタモリ。
番組情報に書いてあった内容は、紀伊の国、和歌山のお題は「和歌山に御三家が置かれた鍵(キー)は?」を探る。
紀の川で和歌山の立地の謎を解き明かす。
鍵(キー)は、和歌山市、紀の川に沿って、上流の大和・奈良を一本の線のように見える中央構造線。
それがヒントであるのか・・
豊臣秀吉がたった三ヶ月で築造したとされる和歌山城ができた理由とは・・
結晶片岩(けっしょうへんがん)によって造られた石垣から考察する。
和歌山には、巨大な砂丘があったとは・・・
また、その砂丘の成り立ちは・・・
徳川頼宜が、和歌山にもたらしたものは、徳川家康と頼宜の父子の絆が・・(※原文より若干補正した)
番組を通して、さらに詳しく、そしてわかりやすく伝えているブロガーさんの記事が参考になる。
史跡・和歌山城の歴史は、築造、紀州の殿さんなど、歴代を伝える和歌山市・和歌山城整備企画課が公開しているので参考にしていただきたい。
また、散策マップも掲載しているので、これを機会にお出かけしてみたくなる。
番組で紹介された「砂の丸(北・南の2カ所)」の位置も明確に示されているので、うろうろすることはない。
朝早い時間帯でもない午前9時40分に自宅を出た。
途中に摂ったお昼の時間。
むっちゃ旨い味噌ベースにつくられた旨味あるあるのまぜそばに堪能。
そのお店から再出発。
止まった信号向こうに見えた和歌山城に気がついた午後12時40分。
左に折れたすぐそこに目的地の写真展会場。
施設は、前年の令和3年10月29日にオープンしたピッカピカの和歌山城ホール。
なんと、目の前に大きく見える和歌山城がここにある。
ブラタモリが報じていた和歌山城。
実は、すっかり頭の中から消えていた。
気がついたのは、自宅戻った数日後だった。
録画で見たときの感動はあったが、日持ちしなかったようだ。
会場入りしてすぐに案内してくれたDさんの行先は、エレベータに乗っていきつく屋上。
目の前にバーン、と聳える和歌山城。
眼下に見える公園は、二の丸庭園。
街路樹に沿って四百年祭を宣伝する幟がいっぱい。
「和歌山四百年式年大祭」イベントを報せる幟。
「紀州東照宮」(和歌山市和歌浦)創建400年にあたる節目の年にともない、毎年の5月第2日曜に開催される『和歌祭』。
2022年は「和歌祭四百年式年大祭」が行われるそうだ。
徳川家康の十男である頼宣が、初代藩主として和歌山城に入城した元和五年(1619)。
翌年の元和七年、和歌浦の権現山に家康を祀る「紀州東照宮」を創建し、翌年に始めた例大祭の和歌祭である。
外の空気にふれる屋上か下りた3階からの眺めも素晴らしい。
実際、歩いて城内の散策もしてみたい、と思った景観。
広大な城内は、上り下りがキツいと話してくれた。
うーん、今日も調子にのれない身体状況に諦めた。
たぶんに次回開催も、同じ和歌山城ホールが抽選に当たったなら、砂の丸とか石垣・・・そして砂丘の痕跡などをわが目で見て見たい。
また、読売テレビ・かんさい情報ネットten.「若一調査隊」が明かす「紀州徳川家の名城『和歌山城』 多様な石垣や名勝庭園を持つ見どころたっぷりの城内をめぐる!」も、興味が広がる。
(R4. 4.13 SB805SH 撮影)
令和4年、この年の1月15日(土)に放送された視聴率高位番組の「ブラタモリ・和歌山編~和歌山に御三家が置かれた鍵(キー)は?~」。
再放送じゃなかったような気がする。
番組の予告に和歌山城、とあったから予約していたのだろう。
後日に拝見した録画撮りのブラタモリ。
番組情報に書いてあった内容は、紀伊の国、和歌山のお題は「和歌山に御三家が置かれた鍵(キー)は?」を探る。
紀の川で和歌山の立地の謎を解き明かす。
鍵(キー)は、和歌山市、紀の川に沿って、上流の大和・奈良を一本の線のように見える中央構造線。
それがヒントであるのか・・
豊臣秀吉がたった三ヶ月で築造したとされる和歌山城ができた理由とは・・
結晶片岩(けっしょうへんがん)によって造られた石垣から考察する。
和歌山には、巨大な砂丘があったとは・・・
また、その砂丘の成り立ちは・・・
徳川頼宜が、和歌山にもたらしたものは、徳川家康と頼宜の父子の絆が・・(※原文より若干補正した)
番組を通して、さらに詳しく、そしてわかりやすく伝えているブロガーさんの記事が参考になる。
史跡・和歌山城の歴史は、築造、紀州の殿さんなど、歴代を伝える和歌山市・和歌山城整備企画課が公開しているので参考にしていただきたい。
また、散策マップも掲載しているので、これを機会にお出かけしてみたくなる。
番組で紹介された「砂の丸(北・南の2カ所)」の位置も明確に示されているので、うろうろすることはない。
朝早い時間帯でもない午前9時40分に自宅を出た。
途中に摂ったお昼の時間。
むっちゃ旨い味噌ベースにつくられた旨味あるあるのまぜそばに堪能。
そのお店から再出発。
止まった信号向こうに見えた和歌山城に気がついた午後12時40分。
左に折れたすぐそこに目的地の写真展会場。
施設は、前年の令和3年10月29日にオープンしたピッカピカの和歌山城ホール。
なんと、目の前に大きく見える和歌山城がここにある。
ブラタモリが報じていた和歌山城。
実は、すっかり頭の中から消えていた。
気がついたのは、自宅戻った数日後だった。
録画で見たときの感動はあったが、日持ちしなかったようだ。
会場入りしてすぐに案内してくれたDさんの行先は、エレベータに乗っていきつく屋上。
目の前にバーン、と聳える和歌山城。
眼下に見える公園は、二の丸庭園。
街路樹に沿って四百年祭を宣伝する幟がいっぱい。
「和歌山四百年式年大祭」イベントを報せる幟。
「紀州東照宮」(和歌山市和歌浦)創建400年にあたる節目の年にともない、毎年の5月第2日曜に開催される『和歌祭』。
2022年は「和歌祭四百年式年大祭」が行われるそうだ。
徳川家康の十男である頼宣が、初代藩主として和歌山城に入城した元和五年(1619)。
翌年の元和七年、和歌浦の権現山に家康を祀る「紀州東照宮」を創建し、翌年に始めた例大祭の和歌祭である。
外の空気にふれる屋上か下りた3階からの眺めも素晴らしい。
実際、歩いて城内の散策もしてみたい、と思った景観。
広大な城内は、上り下りがキツいと話してくれた。
うーん、今日も調子にのれない身体状況に諦めた。
たぶんに次回開催も、同じ和歌山城ホールが抽選に当たったなら、砂の丸とか石垣・・・そして砂丘の痕跡などをわが目で見て見たい。
また、読売テレビ・かんさい情報ネットten.「若一調査隊」が明かす「紀州徳川家の名城『和歌山城』 多様な石垣や名勝庭園を持つ見どころたっぷりの城内をめぐる!」も、興味が広がる。
(R4. 4.13 SB805SH 撮影)