近鉄郡山から鶴橋経由で環状線に乗り換えて大阪梅田に行く。
電車賃は合計で740円だ。
近鉄郡山までは奈良交通バス。
最寄り停留所の木島から乗って220円。
いずれもICOKAカードでスルーできる。
片道合計の運賃が960円で着いた大阪梅田。
松井良浩さんの『熊野古道・奥駆の祈り』写真展が開催されている梅田ダイビルまでは徒歩。
5分ほどで着く。
台風8号の影響で暗雲たれる日であったが、夕がた5時半には夕陽が現れ青空が広がった。
室戸岬を通過していった台風は西日本にはまったく影響がなかった。
前日まで心配されていた松井さんの顔は晴れやかだった。
展示会場には大勢の人たちが訪れていた『熊野古道・奥駆の祈り』写真展。
これまで何枚かの写真を拝見したことがある。
松井さんがとらえた写真のなかでこれ一番と挙げたいのは吉野川で水垢離される様相である。
水面すれすれで入水される修厳者の形相に圧倒される映像に手を合わしたくなるのだ。
展示場に置いてあった淡交社刊の『山伏入門』ムック。
本屋さんでなく、ご本人から買いたかった。
ようやく手に入れたムック本は優しく書いてあるが、深みがある。
掲載写真のほとんどが本人撮影。
小さな映像でも感動するが、大きく伸ばした写真はもっと多くの情報量がある。
一枚、一枚、目を凝らして拝見する写真展示枚数は31点。
いずれもデジタル画像を最新の品質でプリントされた作品だ。
水垢離(六田)、歩く、登る、崖、覗き、石塔、集団の祈り、個々の祈り、胎内くぐり、山を下る映像。
滝に、木に、岩に手を合わす自然崇拝。
力のあるものに手を合わす。
女性も参加される修験道。思わず映っている人数を数えてしまう。
ムック本によれば、当山派醍醐寺が32%。
本山派聖護院は27%で、金峯山寺は半々だと書いてあった。
修験道は在家信仰。
大昔から男女関係なく開かれている。
この日は初日。祝いのオープニングセレモニーがある。
ご本人の解説があった。
撮影時の苦労話を聞く。
尾根道を歩く。
けもの道とも思えるような山道を歩く。
修厳の道はいつしか人の通る道となった。
ここ3、4年前に撮りためた写真に圧倒されるとともに体験談を話される。
水は1リットル持参したが、修厳者は4リットルだったことを知る。
レンズは交換しない。
こうした撮影時の苦労話を聞いて写真を見る目がかわった。
あらためてもう一度拝見する。
オープニングパーティ参加費は千円だった。
寿司盛りに数々の料理を盛ったオードブル。
箸袋に書いてあった料理の出所は「はないちばん」。
「味の大和路」の印がある。
住所を見れば、なんと、なんとである大和郡山市の馬司町。
「馬司」と書いて「まつかさ」と呼ぶのである。
パーティ会場でお話ししてくださった聖護院本山修厳宗・宗務部長の宮城泰年さん。
「動じない心」を話される。
平成16年に男性新客が滑落した事故である。
一命はとりとめたものの救出譚は体力の限界まで使った。
「行」に度々参加していた男性がいた。
ときおり木陰に隠れて休んでいることもあったし、こっそりと帰るとか、温泉に浸かっていたとかする男性だった。
奥駆けを終えて下山したが、男性は自宅に戻っていなかった。
行方不明になった男性は遭難に捜索願を出して前鬼谷を探しまわった。
八日後に発見された男性は裏行場・垢離取り場で首を吊っていた。
大きな悔いを残したと話す宮城さん。
遭遇した体験に基づく本を貴方に差しあげようと後日送ってくださった講談社刊の『動じない心』が届いた。
ありがたいことである。
お礼に著書『奈良大和路の年中行事』を贈呈させていただいた。
(H26. 7.10 SB932SH撮影)
電車賃は合計で740円だ。
近鉄郡山までは奈良交通バス。
最寄り停留所の木島から乗って220円。
いずれもICOKAカードでスルーできる。
片道合計の運賃が960円で着いた大阪梅田。
松井良浩さんの『熊野古道・奥駆の祈り』写真展が開催されている梅田ダイビルまでは徒歩。
5分ほどで着く。
台風8号の影響で暗雲たれる日であったが、夕がた5時半には夕陽が現れ青空が広がった。
室戸岬を通過していった台風は西日本にはまったく影響がなかった。
前日まで心配されていた松井さんの顔は晴れやかだった。
展示会場には大勢の人たちが訪れていた『熊野古道・奥駆の祈り』写真展。
これまで何枚かの写真を拝見したことがある。
松井さんがとらえた写真のなかでこれ一番と挙げたいのは吉野川で水垢離される様相である。
水面すれすれで入水される修厳者の形相に圧倒される映像に手を合わしたくなるのだ。
展示場に置いてあった淡交社刊の『山伏入門』ムック。
本屋さんでなく、ご本人から買いたかった。
ようやく手に入れたムック本は優しく書いてあるが、深みがある。
掲載写真のほとんどが本人撮影。
小さな映像でも感動するが、大きく伸ばした写真はもっと多くの情報量がある。
一枚、一枚、目を凝らして拝見する写真展示枚数は31点。
いずれもデジタル画像を最新の品質でプリントされた作品だ。
水垢離(六田)、歩く、登る、崖、覗き、石塔、集団の祈り、個々の祈り、胎内くぐり、山を下る映像。
滝に、木に、岩に手を合わす自然崇拝。
力のあるものに手を合わす。
女性も参加される修験道。思わず映っている人数を数えてしまう。
ムック本によれば、当山派醍醐寺が32%。
本山派聖護院は27%で、金峯山寺は半々だと書いてあった。
修験道は在家信仰。
大昔から男女関係なく開かれている。
この日は初日。祝いのオープニングセレモニーがある。
ご本人の解説があった。
撮影時の苦労話を聞く。
尾根道を歩く。
けもの道とも思えるような山道を歩く。
修厳の道はいつしか人の通る道となった。
ここ3、4年前に撮りためた写真に圧倒されるとともに体験談を話される。
水は1リットル持参したが、修厳者は4リットルだったことを知る。
レンズは交換しない。
こうした撮影時の苦労話を聞いて写真を見る目がかわった。
あらためてもう一度拝見する。
オープニングパーティ参加費は千円だった。
寿司盛りに数々の料理を盛ったオードブル。
箸袋に書いてあった料理の出所は「はないちばん」。
「味の大和路」の印がある。
住所を見れば、なんと、なんとである大和郡山市の馬司町。
「馬司」と書いて「まつかさ」と呼ぶのである。
パーティ会場でお話ししてくださった聖護院本山修厳宗・宗務部長の宮城泰年さん。
「動じない心」を話される。
平成16年に男性新客が滑落した事故である。
一命はとりとめたものの救出譚は体力の限界まで使った。
「行」に度々参加していた男性がいた。
ときおり木陰に隠れて休んでいることもあったし、こっそりと帰るとか、温泉に浸かっていたとかする男性だった。
奥駆けを終えて下山したが、男性は自宅に戻っていなかった。
行方不明になった男性は遭難に捜索願を出して前鬼谷を探しまわった。
八日後に発見された男性は裏行場・垢離取り場で首を吊っていた。
大きな悔いを残したと話す宮城さん。
遭遇した体験に基づく本を貴方に差しあげようと後日送ってくださった講談社刊の『動じない心』が届いた。
ありがたいことである。
お礼に著書『奈良大和路の年中行事』を贈呈させていただいた。
(H26. 7.10 SB932SH撮影)