マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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尿管が外された

2019年02月01日 09時31分27秒 | むびょうそくさい(おかん編)
夜中の3時に排尿口が痛くなった。

あまりの痛さに我慢ができず、ナースコールをした。

飛んできた看護士に伝えたら尿管を外してくれた。

先週に聞いていた尿管外し。

リハビリ状況も良く、車椅子移りも難なくできるようになったし、歩行器リハビリも問題ない身体状況を診ていた看護士さんから、その状況次第で外します、と伝えられていた。

それが週初めの月曜日にいきなりやってきた嬉しいニュース。

痛みもすっかり消えて、排尿するトイレ便器に座ってできたのが嬉しいという。

尤もトイレ内では看護士の立ち合いの下でということだ。

万が一、トイレ中に目眩なんてものが発症すれば倒れてしまう。

あくまで万が一ではあるが・・。

午後のリハビリ運動は2時半ことから始めたという。

この日の朝は一番の冷気。

起きてから数時間は足元に「ゆたぽん」を欲する我が家の室内。

昼頃になって、ようやく「ゆたぽん」外し。

あんなに寒かった朝と違って、午後は温かい。

上着一枚も脱ぎ捨てるくらいの気温になった。

そのような気象状態に外気に触れさせてあげたいと車椅子に乗ったまま、看護研修生のOさんの援助で院外に連れていってもらった。

院外へ出るには地下1階にある院内施設のコンビニ際の外アプローチ道を利用する。

表通りであれば、車の往来も激しいから、そこは避けて反対側に、である。

かつてはその反対側が病院の玄関口であったが新館ができてからは正面玄関口が表通り側に移った。

裏側になったところには門扉がある。

医院関係者がそこを出入りする門扉を抜けたら看護学校が見える。

勉強しているのはここですと指を挿して説明してくれたのもOさんだ。

彼女は本日をもって看護実習課程を終える。

再来週もあるらしいが、別の病院になるようだ。

今年度卒業見込みのOさんは明るい子。

表情も看護対応も素晴らしい。

卒業してどこかの病院に勤務することになれば、すぐさま環境に慣れて力を発揮することだろう。

どんな話をしたのか聞いてはいないが、その場で15分間も佇んでいたようだ。

そんな話を聞いたのは午後3時。

着いたときにはリハビリは一時中断中だった。

外気をすって気持ちも身体も一新されたのだろうか。

4階のリハビリ室にいきかけたときである。

急にもよおす大きい方。

あーベチャベチャになってしまって、理学療法士に研修生も迷惑かけたと車椅子で項垂れていた。

落ち着きを取り戻した後から聞いた話ではベチャであってもパンツ型のおむつは水分を吸い込んでくれる。

サラッとしていたそうで、お尻拭きは綺麗にしてもらったと喜んでいた。

尿管はとれたが、自分の足で動くことはまだまだ。

急なもよおしにはまだまだおむつのお世話になりそうだ。

しばらく休憩していたら落ち着いた。

血圧測定の結果を診て、これなら大丈夫と判断がくだされてリハビリ室へ再出発する。

で、本日のリハビリ運動は・・膝を高く上げて跨ぐ訓練を2往復もこなした。

初めて見る道具は水平棒の下に並べる。

高さが20cm弱。

水平バーは鉄の棒を曲げたもの。

その本数は6本。

高さがあるから膝を上げることになる。

いっち、にっ、いっち、にっと声をかけてリズムをとりながら足を揚げて前に出す。

一歩、一歩の前身に右足、左足。

最初の1往復は踵が水平バーにあたってしまうが、理学療法士からコツを教われば、2往復目はバーにもあたらない。

それだけ膝が上がっている証拠である。

短期間でここまで膝があがるとは・・。

測った血圧は120台。

まったくもって問題のない値である。

車椅子から離れる場合は車椅子の手摺りで支えて自分の足で立つ。

そして、歩行器に移る場合も、歩行器の手摺りを支えて身体を移動する。

その移り方が実に早くなっている。

しかも、しんどくはないというから、その後の回診に来られた主治医のⅠ整形外科医師も眼を細めて順調な仕上がりに喜んでくれている。

ちなみに本日いただいた10月31日付けの「リハビリテーション綜合実施計画書」である。

26日に面談をしてくださった主治医にKリハビリ理学療法士が策定してくださった今後のリハビリ計画である。

心身機能・構造に対する1カ月間の短期目標は「稼動域改善、筋肉維持の向上、疼痛緩和」だ。

改善に向けた具体的なアプローチは「関節稼動域訓練、筋肉維持強化訓練、リラクゼーション」であった。

関節稼動域、筋力低下はともに四肢・体幹。疼痛は腰背部。

これらの機能を改善するアプローチはより具体的にどうしていくのか、家族にはまだ見えない。

毎日のリハビリ運動を視察させてもらうことで理解させてもらっている。

また、その他に「幻暈(めまい)・嘔気(おうき;はきけ)等の出現あり」、と表記されているが、この点については具体論の記載がない。

また、基本動作それぞれに現状評価されている。

寝返りは自立。

起き上がりは一部介助で見守り。

座位も一部介助で見守り~軽介助。

立ち上がりも一部介助で見守り~軽介助。

立位も一部介助であるが、見守り~中等度介助となっていた。

すべてが介助しなくとも自立を目指す短期目標は基本動作の自立で、アプローチはそれの練習につきる。

次の項目は活動である。ADL(日常生活動作)自立度は10~0までの数で数値化されている。

満足域10点は食事だけだが、よくここまでこられたものだと喜んでいる。

評価5は移乗、トイレ動作、平地歩行、更衣の4項目。

残り項目である整容、入浴、階段、排便管理、排尿管理はゼロ評価である。

これらADLの短期目標は移動手段の獲得、トイレ・入浴等ADLの獲得で、アプローチは歩行訓練にADL訓練とあった。

活動にはコミュニケーションもある。

理解、表出とも良好である。

次は社会参加である。

短期目標は自宅か息子宅に退院先を定め、アプローチに4階までの階段昇降の獲得が必要なために訓練を要する、ということだ。

1カ月後の短期目標は、とにもかくも移動手段の獲得にADL(日常生活動作)の獲得である。

今から1カ月先にはすべてのADL(日常生活動作)が評価10になればいいのであるが・・・。

お目出度い結婚式に出席するつもりだったおふくろ。

結婚する娘さんの母親は私の従妹。

小さいころから私ら男3兄弟とともにしょっちゅう遊んでいた1男2女の従妹。

2女のKHちゃんから電話があった。

電話が鳴った家はおふくろの住まい。

娘が結婚するから「おばちゃん、出席してな」というお願いだ。

式典は12月17日の日曜日。

お願いの電話があったのは随分前の10月以前だったか。

そのころのおふくろは、大阪・梅田まで歩き、バス、地下鉄を乗り継いでひょこひょこと出かけていた。

ところが急な容態の変化に陥った。

原因は圧迫骨折。

原因がわかって即刻の入院治療の身になったのは10月初め。

完治するには数か月間の治療どころか介護の身である。

おふくろは申しわけないから断ってというが、なんなら私が出席すると手を挙げた。

そうしてくれたら従妹も娘さんも喜んでくれるだろう。

従妹が生まれる前から家族付き合いをしていた一家。

親父さんはおふくろの兄。

おふくろの兄弟姉妹は10人もいる。

それぞれ連れ合いの叔父、叔母もいる。

大阪・滝谷不動にある母屋に集まるお盆参りに十数人。

従妹の子供たちだけでも30人規模になる昭和30年代のころ。

賑やかなお盆であるが、何かとそれ以外におふくろは兄弟姉妹の家によく出かけて行った。

そのときに伴する私ら3人兄弟もまた仲良しこよし。

大人になっても変わらない従妹の間柄。

それもこれもおふくろがあちこちの叔父、叔母家に寄っては何かと世話をしてきたからである。

「おばちゃん、結婚式に出てなぁ」と従妹がお願いする娘さんの結婚式に応えて、おふくろの代理を務めさせてもらうから、とKHちゃんに電話したのは10月27日。

おふくろが入院中の病室からした電話に「まこちゃんが出てくれるんや。嬉しい」の喜ぶ声が返ってきた。

その後の11月2日。

結婚式出席状に「私、田中眞人は、都合によりおふくろの代理として出席させていただきます」と記載して郵送していた。

(H29.11. 1、2 記)


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