マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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上狛のヒイラギイワシに現役井戸

2018年02月09日 09時14分11秒 | もっと遠くへ(京都編)
O家を失礼してもう1軒のお家を訪ねる。

そのお家もO家と同様に貴重な大晦日の砂撒き習俗を取材させていただいたM家。

ご主人は不在であったが記録させていただいた写真をお渡しすることができた。

そのM家玄関にあった節分の魔除け。

ヒイラギイワシである。

迫力あるイワシの姿に圧倒する。

同家で行われている年中行事が色濃い。

正月の餅搗きもあれば、三宝飾りまで拝見した。

同家の習俗を収録し厚くて大きな民俗本も拝見していただけに節分は当然にあるだろうと思っていた。



まさに、その通りの同家には今でも現役活躍中の懐かしい井戸もある。

かつて井戸は釣瓶で井戸水を汲んでいた。

その後は汲みあげ式の鉄製手押しポンプが登場する。

今でも製造販売されているようだが、生活文化の発展にともなって改良されていく。

ちなみにネット探しに汲み上げ式手押しポンプが見つかった。

それも「元祖オリジナルトップブランド」の会社があった。

同社のHPによれば大正時代に開発・製造販売された昇進ポンプ。

おふくろが生まれ育った大阪南河内郡・錦織の母屋にもあった井戸揚水手押しポンプ。

懐かしさの思いが蘇って撮らせてもらったが、さらにネット調べにウキペディアにあった結果である。

広島県の津田式ポンプ製作所製もあれば、ガチャポンで呼ばれた名古屋の鋳造会社。

そして、戦後に主流、「元祖オリジナルトップブランド」を称していた東邦工業製がある。

昭和30年代後半に一般水道が普及するころから徐々に・・廃れることもなく電動式ポンプに移っていた記憶がある。

やがて井戸の蛇口も一般水道型に移り変わる。

そのころの私は小学生から中学生のころ。

学校でも蛇口を捻っていた。

その蛇口を「ひねるとジャー」と呼んでいたのは同世代。

山添村の大字大西でチョウジャドンの祝い膳を取材させていただいたお家の婦人も、そう云っていたことを思い出す。

(H29. 3.20 EOS40D撮影)


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