半年に一度は血管外科医師による検診がある。
循環器内科医師は3カ月に一度であるが、それほどの期間も要せず半年置きに手術した心臓の具合を診てもらう。
検査項目は2種類。
心エコー検査と心電図検査である。
予約時間は朝の9時。
総合受付も心臓血管外科の受付も済ませて9時から始める心エコー検査。
道路は渋滞もなくなんとか間に合った。
心エコー検査の所要時間はおよそ25分間。
検査技師に背中を向けて胸側からエコーを当ててもらう。
いつもそうだが、後半からはついつい眠りに入ってしまう。
それほど心地いい検査。
治療課程のときはとても苦しかった。
その苦しさも時が経てば薄れてくる。
そのようなことでウトウトするようになった。
次の検査は心電図。
検査技師が検査中に言った。
少し長めに測りますと・・・。
終ってから尋ねたら、貴方の場合は遅めの脈拍。
異常と思ったようで長めにした。
長めで測っても同じ拍数を繰り返す。
諦めたのか、そこで打ち切り。
そりゃぁ初めて数値、脈拍波を見たらびっくりするだろうな。
起床時、安静時は40拍前後。
この日の診断に院内設置の血圧計で計った脈拍は38拍。
それでも私は何の支障もなく生きている。
何の支障もない、と云えば聞こえは良いが、実際は苦しい場合もある。
顕著なのは身体を屈めたときである。
呼吸もできないような息苦しさである。
重い荷物は抱えることもできなくなった。
全速力で走ることもできなくなったが、私は生きている。
歩きもできるし、車の運転もできる。
喋りもできるから取材もできる。
お腹が膨満にならない限り、食事も美味しくいただける。
こんなありがたいことはない。
検査を終えて1時間後が血管外科医師による検診だ。
前回、診察した平成29年8月8日。
診察してくださったH医師が云った。
次回の診察は、まだ決まっていない医師になると云っていた。
どうやらその時期には辞められるようだ。
どなたが診てくださるのか、楽しみであった。
診察室の1診に医師の名前があった。
記憶にある名前は、たしか、私の心臓を手術執刀された大先生だ。
入院17日目、執刀する「僧帽弁閉鎖不全症」形成手術の方法などを説明してくださった大先生である。
尤も、執刀のほとんどは主治医の若手医師に委ねられた。
待っている間に2診も名札があがった。
なんと、その若手医師の名前である。
H医師から引き継がれた医師は大先生、それとも若手医師。
いずれわかるマイク呼び出しの声。
「1診にお入りください」の声は声量の大きさからでもわかった。
大先生である。
「ご無沙汰しております」と頭を下げて医師に出会う期間は2年と7カ月ぶり。
いきなり言った言葉は「脈が低いなぁ」である。
心臓手術は無事に終ったものの、その年の平成27年12月9日処置した経皮的カテーテル心筋焼灼(しょうしゃく)術のその後である。
この処置は術後に発症した心不全を治すためだった。
心不全は脈拍異常。
心拍数は100拍以上。
毎日が3桁にも上昇していた頻脈・心不全を治すはずだった。
処置そのものの問題はなかったのだが、後遺症と思われる心拍数の急降下である。
処置当初は上手くいったのだが、しばらくしてから発症した脈拍数は40拍以下。
それを治すために毎週の心臓リハビリ運動にでかけなくてはならなかった。
毎週、毎週のペダル漕ぎ。
運動効果は徐々に、そして少しずつ改善されたが、運動をやめれば元に戻る。
1年と2カ月間も通ったリハビリ運動のおかげもあって歩くだけでも50-60拍になった。
ただ、起床時や何にもしない安静時であれば40拍前後。
身体を動かすときと動かない場合によってわが身のペースメーカーが拍動する。
つまり、私の心臓は二つの発信器(ペースメーカー)があるということだ。
徐脈であっても普段の生活範囲では問題はないだろうと医師の判断もあって平成29年3月28日をもってリハビリ運動は卒業した。
卒業はしたが、ほぼ毎日は自宅周辺を歩いて脈拍があがるよう訓練を絶やさなかった。
自宅周辺を歩く距離は2km。
往復で30分間の歩行訓練であったが、平成29年9月26日を最後に辞めた。
圧迫骨折したおふくろの介護がベースになった我が家の暮らしに、30分間は介護に当てた。
尤もそれは間接的なことで、介護の関係で執筆時間の確保がし難くなったということで歩行は中断したのだが・・・。
それからの5カ月間。
朝、昼、夜の食事後も測るようにした血圧計が示す脈拍は特別な異常も認められなくなった。
これまでの経緯を説明したら、脈拍をあげる薬を飲むか、ペースメーカーを入れるしかないと云いかけた大先生は納得された。
かつてというか、30云年前に診察してもらった上田診療所の先代先生が私の心臓の動きを診られてスポーツ選手の心臓だ、と云った。
30歳半ばのころからすでに私の心臓は徐脈状態。
その話しをしたら血管外科の大先生はマラソンの高橋尚子選手の心臓も38拍だと聞いたことがあるという。
心臓そのものが肥大しているわけでもないからペースペーカーを埋め込む必要はないと断言してくださった。
ただ、心臓は完全復帰していないので、一応は様子見である。
診察は半年後。
その際には久しぶりにレントゲン撮影していきましょうと・・・。
(H30. 2.14 SB932SH撮影)
循環器内科医師は3カ月に一度であるが、それほどの期間も要せず半年置きに手術した心臓の具合を診てもらう。
検査項目は2種類。
心エコー検査と心電図検査である。
予約時間は朝の9時。
総合受付も心臓血管外科の受付も済ませて9時から始める心エコー検査。
道路は渋滞もなくなんとか間に合った。
心エコー検査の所要時間はおよそ25分間。
検査技師に背中を向けて胸側からエコーを当ててもらう。
いつもそうだが、後半からはついつい眠りに入ってしまう。
それほど心地いい検査。
治療課程のときはとても苦しかった。
その苦しさも時が経てば薄れてくる。
そのようなことでウトウトするようになった。
次の検査は心電図。
検査技師が検査中に言った。
少し長めに測りますと・・・。
終ってから尋ねたら、貴方の場合は遅めの脈拍。
異常と思ったようで長めにした。
長めで測っても同じ拍数を繰り返す。
諦めたのか、そこで打ち切り。
そりゃぁ初めて数値、脈拍波を見たらびっくりするだろうな。
起床時、安静時は40拍前後。
この日の診断に院内設置の血圧計で計った脈拍は38拍。
それでも私は何の支障もなく生きている。
何の支障もない、と云えば聞こえは良いが、実際は苦しい場合もある。
顕著なのは身体を屈めたときである。
呼吸もできないような息苦しさである。
重い荷物は抱えることもできなくなった。
全速力で走ることもできなくなったが、私は生きている。
歩きもできるし、車の運転もできる。
喋りもできるから取材もできる。
お腹が膨満にならない限り、食事も美味しくいただける。
こんなありがたいことはない。
検査を終えて1時間後が血管外科医師による検診だ。
前回、診察した平成29年8月8日。
診察してくださったH医師が云った。
次回の診察は、まだ決まっていない医師になると云っていた。
どうやらその時期には辞められるようだ。
どなたが診てくださるのか、楽しみであった。
診察室の1診に医師の名前があった。
記憶にある名前は、たしか、私の心臓を手術執刀された大先生だ。
入院17日目、執刀する「僧帽弁閉鎖不全症」形成手術の方法などを説明してくださった大先生である。
尤も、執刀のほとんどは主治医の若手医師に委ねられた。
待っている間に2診も名札があがった。
なんと、その若手医師の名前である。
H医師から引き継がれた医師は大先生、それとも若手医師。
いずれわかるマイク呼び出しの声。
「1診にお入りください」の声は声量の大きさからでもわかった。
大先生である。
「ご無沙汰しております」と頭を下げて医師に出会う期間は2年と7カ月ぶり。
いきなり言った言葉は「脈が低いなぁ」である。
心臓手術は無事に終ったものの、その年の平成27年12月9日処置した経皮的カテーテル心筋焼灼(しょうしゃく)術のその後である。
この処置は術後に発症した心不全を治すためだった。
心不全は脈拍異常。
心拍数は100拍以上。
毎日が3桁にも上昇していた頻脈・心不全を治すはずだった。
処置そのものの問題はなかったのだが、後遺症と思われる心拍数の急降下である。
処置当初は上手くいったのだが、しばらくしてから発症した脈拍数は40拍以下。
それを治すために毎週の心臓リハビリ運動にでかけなくてはならなかった。
毎週、毎週のペダル漕ぎ。
運動効果は徐々に、そして少しずつ改善されたが、運動をやめれば元に戻る。
1年と2カ月間も通ったリハビリ運動のおかげもあって歩くだけでも50-60拍になった。
ただ、起床時や何にもしない安静時であれば40拍前後。
身体を動かすときと動かない場合によってわが身のペースメーカーが拍動する。
つまり、私の心臓は二つの発信器(ペースメーカー)があるということだ。
徐脈であっても普段の生活範囲では問題はないだろうと医師の判断もあって平成29年3月28日をもってリハビリ運動は卒業した。
卒業はしたが、ほぼ毎日は自宅周辺を歩いて脈拍があがるよう訓練を絶やさなかった。
自宅周辺を歩く距離は2km。
往復で30分間の歩行訓練であったが、平成29年9月26日を最後に辞めた。
圧迫骨折したおふくろの介護がベースになった我が家の暮らしに、30分間は介護に当てた。
尤もそれは間接的なことで、介護の関係で執筆時間の確保がし難くなったということで歩行は中断したのだが・・・。
それからの5カ月間。
朝、昼、夜の食事後も測るようにした血圧計が示す脈拍は特別な異常も認められなくなった。
これまでの経緯を説明したら、脈拍をあげる薬を飲むか、ペースメーカーを入れるしかないと云いかけた大先生は納得された。
かつてというか、30云年前に診察してもらった上田診療所の先代先生が私の心臓の動きを診られてスポーツ選手の心臓だ、と云った。
30歳半ばのころからすでに私の心臓は徐脈状態。
その話しをしたら血管外科の大先生はマラソンの高橋尚子選手の心臓も38拍だと聞いたことがあるという。
心臓そのものが肥大しているわけでもないからペースペーカーを埋め込む必要はないと断言してくださった。
ただ、心臓は完全復帰していないので、一応は様子見である。
診察は半年後。
その際には久しぶりにレントゲン撮影していきましょうと・・・。
(H30. 2.14 SB932SH撮影)