「東北・福島からのたより そして神戸」と題して始まった二人展。
委託・受託仕事の関係で知り合った二人。
平成23年3月11日に襲った東北地方太平洋沖地震によってさらに心が繋がった。
渋谷良一・南岡誠宏は写真が共通点の二人は交流を深めた。
南岡誠宏は平成7年に1月17日に発生した阪神・淡路大震災に遭遇した。
彼は高校の後輩。
我が母校である大阪府立東住吉工業高等学校の卒業生だが、就職先も同じだった。
彼は新卒入社だが、私は途中入社だった。
その後は何人かが卒業して会社に入社した。
記憶を辿ればたしか母校の体育館の壇上にあがって会社説明したことがある。
それを聞いていたIくんが新卒で入社した。
その翌年に入社したのが彼だった。
その後に入社したYくんもいた。
道は繋がったがやがて消えた。
先に卒業していた私は4期生、彼は7期生だった母校は消滅した。
平成17年3月末、大阪府立高校の改革方針にそってクリエイティブスクール(多部制単位制)の課程になった大阪府立総合高等学校として改編され、大阪府立東住吉工業高等学校は閉校された。
私にとって寂しい閉校はもう一つある。
大阪市の住之江で勉学していた大阪市立南陵中学校だ。
平成5年、南稜中学校と加賀屋中学校の校区を再編されて中学母校は廃校となった。
母校がないのがどれほど悲しいことか。
ちなみに卒業した大阪市立敷津浦小学校は今でもあることだけは認識しておこう。
復興を願った写真展は32点。
穏やかな日常や美しい景観を映し出す福島の情景。
復興をなしとげた普段の姿を捉えた神戸の街がある。
3週間前、県立民俗博物館で開催されていた「第3回 私がとらえた大和の民俗」写真展に来てくださった南岡くん。
彼が初の展示する二人展は是非行かねばと思って車で駆け参じた。
会場は神戸市中央区元町通り1丁目11-7の「Birdie photo gallery」。
最寄りの鉄道駅は阪神元町駅である。
駅から歩いて1分間。
すぐ近くであるが、近鉄郡山から電車を利用すれば片道940円。
往復では1880円もする。
奈良交通のバス代は往復で420円。
歩き、乗り継ぎ時間がかかる。
乗車時間はおよそ1時間半だ。
阪神高速道路の東大阪線より3号神戸線を利用して最寄りの京橋出口までの片道料金は900円。
往復でも1800円である。
電車賃とほとんどかわりない。
歩き・電車の乗換を避けたほうが良かろうと思って自家用車で目指す。
土曜日であれば阪神高速道路の混み具合も悪くない。
すいすい走ることだろうと思って平日を避けた。
奈良からは地道の阪奈道路を利用する。
阪神高速道路の入り口は水走(みずはい)。
我が家からはほぼ30分少しだ。
難なく通り抜けて京橋を目指すが、魚崎辺りから混みだした。
道路情報によれば生田川までが渋滞区間だ。
少々時間がかかったが京橋に着いた。
そこから神戸元町に向かうが車が多いし信号待ちも長い。
団体観光バスが道路に停まって乗客を降ろしている。
予め探しておいた駐車場が見つからない。
ぐるり周回せざるを得なかった元町付近の道路状況は最悪だ。
なんとか停めたタイムパーキングは「デビス元町ステーション」。
そこから歩いてすぐ近くだと思っていた「Birdie photo gallery」が見つからない。
それより二本筋下は神戸元町の中華街。
元町通と栄町通に跨る通りは南京町と呼ばれているが、通称であって正式な地名ではない。
早々と中国旧正月の「春節祭」の幕を掲げた長安門が迎えてくれる商業通りの南京町。
買い物観光客でごった返す中華街には目的がない。
平成堂ビル4Fにあると聞いていたが該当するビルが見つからない。
仕方なく携帯電話を鳴らしてみれば彼が出た。
近くに居るらしいので待つ。
3週間ぶりに出合った彼の体型は・・・お腹が出すぎだろう。
おぼこい顔は歳がいったがあまり変わりない。
ギャラリーは13時から開くと云う。
それに気がつかずやって来た神戸元町。
開店するまでま近くの喫茶店の「EVIAN COFFEE SHOP」で腹ごしらえ。
注文したのは580円モーニングセット。
サンドウイッチにはハムか、タマゴか、どちらかを選ぶ。
私はタマゴにした。
彼はと言えば直前に食事を済ませたそうだ。
積もる話に花が咲いてあっという間の一時間後に店を出た。
隣の店は「金時食堂」。
うどん・そばは250円に110円の「しる」もある格安食事処。
それにしても「しり」って何、と思いながら展示会場の「Birdie photo gallery」がある平成堂ビル。
何の表示もないから判らないはずだ。
狭い階段を登った4階にあったギャラリーはこじんまりしている。
渋谷良一氏との出合い、復興の願いを込めた展示作品を一枚、一枚ごとに話してくれる。
彼の心が伝わってくる作品群はどちらかと云えば説明的なタイトルに気が向く。
見たまま、感じたままが多い。
復興に願いを込めて私ならこういうタイトルをつけたいと彼に伝える。
鉄橋を通り過ぎる写真がある。
それなら「機関車」ではなく「帰還車」にしたいと思うのである。
震災以前の姿になった町や村に戻っていく。
そう思ってタイトル名を付けた。
農作物も魚介もこんなり獲れて豊作になった。
そんな情景も加えて展示してほしい。
だるま作りの作業を撮影したことがあると云う彼。
それならラストはだるまだ。
七転び八起き。
それが復興の力添え。
負けるもんかと心情を表現するには締め括りが要る。
それにはだるまが大切なのではと思って伝えた。
そんな話をしていた1時間後、やってきた拝観者が扉を開けた。
お二人の顔を見て驚く。
上牧町に住むカメラマン夫妻だ。
旦那さんは元会社の上司。
写真心を教えてくださった師匠さんでもある。
この写真撮りになったのも、作品を通じて切り取り技の心得を伝授してくださったおかげだ。
奥さんは幾度となく大きな賞を獲得されている。
久しぶりに顔を合わしてこれまた積もり話しをしていた十数分後にも扉が開いて顔を出した写真家の野本さんは上牧町の隣町に在住する。
南岡くんとは同じ会社であるが、大先輩のご両人は親会社。
3人は親会社の写真クラブ員だったことを覚えている。
一同が揃うのは何十年ぶりであろうか。
関係会社だった私たちはお互いの近況も話しのタネ。
共通する話題は写真である。
長時間に亘って滞在した神戸元町はさらにごった返していた。
これより数時間後に点灯される神戸ルミナリエの観光客の人の波。
とてもじゃないが、見る気がしない。
阪神大震災の年の平成7年12月に開催された復興の灯がルミナリエ。
犠牲者への慰霊と鎮魂のために神戸の復興・再生を願って始められたのだ。
ルミナリエを見ることもない帰宅道中は行きも帰りも阪神高速道路。
3時間半も停めていた「デビス元町ステーション」に支払った駐車料金は土曜日料金で2100円。
スムーズな帰り路は片道1時間半。
走行距離はおよそ80kmだった。
(H25.12.14 SB932SH撮影)
委託・受託仕事の関係で知り合った二人。
平成23年3月11日に襲った東北地方太平洋沖地震によってさらに心が繋がった。
渋谷良一・南岡誠宏は写真が共通点の二人は交流を深めた。
南岡誠宏は平成7年に1月17日に発生した阪神・淡路大震災に遭遇した。
彼は高校の後輩。
我が母校である大阪府立東住吉工業高等学校の卒業生だが、就職先も同じだった。
彼は新卒入社だが、私は途中入社だった。
その後は何人かが卒業して会社に入社した。
記憶を辿ればたしか母校の体育館の壇上にあがって会社説明したことがある。
それを聞いていたIくんが新卒で入社した。
その翌年に入社したのが彼だった。
その後に入社したYくんもいた。
道は繋がったがやがて消えた。
先に卒業していた私は4期生、彼は7期生だった母校は消滅した。
平成17年3月末、大阪府立高校の改革方針にそってクリエイティブスクール(多部制単位制)の課程になった大阪府立総合高等学校として改編され、大阪府立東住吉工業高等学校は閉校された。
私にとって寂しい閉校はもう一つある。
大阪市の住之江で勉学していた大阪市立南陵中学校だ。
平成5年、南稜中学校と加賀屋中学校の校区を再編されて中学母校は廃校となった。
母校がないのがどれほど悲しいことか。
ちなみに卒業した大阪市立敷津浦小学校は今でもあることだけは認識しておこう。
復興を願った写真展は32点。
穏やかな日常や美しい景観を映し出す福島の情景。
復興をなしとげた普段の姿を捉えた神戸の街がある。
3週間前、県立民俗博物館で開催されていた「第3回 私がとらえた大和の民俗」写真展に来てくださった南岡くん。
彼が初の展示する二人展は是非行かねばと思って車で駆け参じた。
会場は神戸市中央区元町通り1丁目11-7の「Birdie photo gallery」。
最寄りの鉄道駅は阪神元町駅である。
駅から歩いて1分間。
すぐ近くであるが、近鉄郡山から電車を利用すれば片道940円。
往復では1880円もする。
奈良交通のバス代は往復で420円。
歩き、乗り継ぎ時間がかかる。
乗車時間はおよそ1時間半だ。
阪神高速道路の東大阪線より3号神戸線を利用して最寄りの京橋出口までの片道料金は900円。
往復でも1800円である。
電車賃とほとんどかわりない。
歩き・電車の乗換を避けたほうが良かろうと思って自家用車で目指す。
土曜日であれば阪神高速道路の混み具合も悪くない。
すいすい走ることだろうと思って平日を避けた。
奈良からは地道の阪奈道路を利用する。
阪神高速道路の入り口は水走(みずはい)。
我が家からはほぼ30分少しだ。
難なく通り抜けて京橋を目指すが、魚崎辺りから混みだした。
道路情報によれば生田川までが渋滞区間だ。
少々時間がかかったが京橋に着いた。
そこから神戸元町に向かうが車が多いし信号待ちも長い。
団体観光バスが道路に停まって乗客を降ろしている。
予め探しておいた駐車場が見つからない。
ぐるり周回せざるを得なかった元町付近の道路状況は最悪だ。
なんとか停めたタイムパーキングは「デビス元町ステーション」。
そこから歩いてすぐ近くだと思っていた「Birdie photo gallery」が見つからない。
それより二本筋下は神戸元町の中華街。
元町通と栄町通に跨る通りは南京町と呼ばれているが、通称であって正式な地名ではない。
早々と中国旧正月の「春節祭」の幕を掲げた長安門が迎えてくれる商業通りの南京町。
買い物観光客でごった返す中華街には目的がない。
平成堂ビル4Fにあると聞いていたが該当するビルが見つからない。
仕方なく携帯電話を鳴らしてみれば彼が出た。
近くに居るらしいので待つ。
3週間ぶりに出合った彼の体型は・・・お腹が出すぎだろう。
おぼこい顔は歳がいったがあまり変わりない。
ギャラリーは13時から開くと云う。
それに気がつかずやって来た神戸元町。
開店するまでま近くの喫茶店の「EVIAN COFFEE SHOP」で腹ごしらえ。
注文したのは580円モーニングセット。
サンドウイッチにはハムか、タマゴか、どちらかを選ぶ。
私はタマゴにした。
彼はと言えば直前に食事を済ませたそうだ。
積もる話に花が咲いてあっという間の一時間後に店を出た。
隣の店は「金時食堂」。
うどん・そばは250円に110円の「しる」もある格安食事処。
それにしても「しり」って何、と思いながら展示会場の「Birdie photo gallery」がある平成堂ビル。
何の表示もないから判らないはずだ。
狭い階段を登った4階にあったギャラリーはこじんまりしている。
渋谷良一氏との出合い、復興の願いを込めた展示作品を一枚、一枚ごとに話してくれる。
彼の心が伝わってくる作品群はどちらかと云えば説明的なタイトルに気が向く。
見たまま、感じたままが多い。
復興に願いを込めて私ならこういうタイトルをつけたいと彼に伝える。
鉄橋を通り過ぎる写真がある。
それなら「機関車」ではなく「帰還車」にしたいと思うのである。
震災以前の姿になった町や村に戻っていく。
そう思ってタイトル名を付けた。
農作物も魚介もこんなり獲れて豊作になった。
そんな情景も加えて展示してほしい。
だるま作りの作業を撮影したことがあると云う彼。
それならラストはだるまだ。
七転び八起き。
それが復興の力添え。
負けるもんかと心情を表現するには締め括りが要る。
それにはだるまが大切なのではと思って伝えた。
そんな話をしていた1時間後、やってきた拝観者が扉を開けた。
お二人の顔を見て驚く。
上牧町に住むカメラマン夫妻だ。
旦那さんは元会社の上司。
写真心を教えてくださった師匠さんでもある。
この写真撮りになったのも、作品を通じて切り取り技の心得を伝授してくださったおかげだ。
奥さんは幾度となく大きな賞を獲得されている。
久しぶりに顔を合わしてこれまた積もり話しをしていた十数分後にも扉が開いて顔を出した写真家の野本さんは上牧町の隣町に在住する。
南岡くんとは同じ会社であるが、大先輩のご両人は親会社。
3人は親会社の写真クラブ員だったことを覚えている。
一同が揃うのは何十年ぶりであろうか。
関係会社だった私たちはお互いの近況も話しのタネ。
共通する話題は写真である。
長時間に亘って滞在した神戸元町はさらにごった返していた。
これより数時間後に点灯される神戸ルミナリエの観光客の人の波。
とてもじゃないが、見る気がしない。
阪神大震災の年の平成7年12月に開催された復興の灯がルミナリエ。
犠牲者への慰霊と鎮魂のために神戸の復興・再生を願って始められたのだ。
ルミナリエを見ることもない帰宅道中は行きも帰りも阪神高速道路。
3時間半も停めていた「デビス元町ステーション」に支払った駐車料金は土曜日料金で2100円。
スムーズな帰り路は片道1時間半。
走行距離はおよそ80kmだった。
(H25.12.14 SB932SH撮影)
神戸新聞に取り上げられた「おやじの会」も・・・。
案内届いた7月初めの個展も拝見したく日程調整中です。
https://namba.keizai.biz/photoflash/6950/