2007年7月1日
本日はロボカップジュニア世界大会の練習日です。 予定では、朝から受付が開始され、レスキューの会場は正午から入れるようです。 メールを確認すると、野村先生から「受付に時間がかかるので早めに行くように」という注意と、同じ内容を転送してくれた黒木先生のメールが入っていました。 確かに、昨日の観光でもチケット売り場などで体験した長蛇の列は勘弁してもらいたいので、なるべく早くホテルを出ることにしました。
受付の場所は、ホテルからそう遠く無い様だったので、歩いていきます。 競技会場へは昼過ぎに行く予定なので、受付を済ませたら一旦ホテルに戻る予定で(ロボットなども持たず)受付用の書類だけを持ち、身軽です。
大学の構内に入ると、なんだかのどかな風景が広がってきて、リスがちょろちょろと走り回っています。 少し歩くと、たくさんの荷物を持った集団が見えてきました。 「あれって日本のチームじゃない」 追いついてみると、ダンスチームの一団でした。(プライマリの「Makin' The History 」、セカンダリの「Dreamer」と「Robotmate」の3組) ダンスのチームは皆すごい荷物を持っています。(行商人か?と思ったら、受付をしたらそのまま会場に直行する予定だそうです。) まあ、初めての受付なので、日本人のチームと一緒になったのは非常に心強いです。
てくてくと歩いて受付場所まで行くと、テントが張ってあり係員らしき人も座っています。 他に並んでいる人もいないので、「すいてるなー」と思いつつ、受付をしようとしたら 「ハウジングするのか?」と聞かれ「ハウジングはしないよ」と言うと、「ここはハウジングの受付だから、ロボカップ参加の受付は大学の反対側のここだよ。」といって地図をくれました。 見ると、広いキャンパスの反対側の方に印が付けてあり、ちょっと歩いて行けそうにありません。 と考えていたら「そこからロボカップのバスが出るから、待っててね」 と教えてくれました。 少し待つと、確かにロボカップのバスが来て、受付会場まで連れて行ってくれました。
さて、受付会場に着いてみると・・・もう既に長蛇の列です。 これに並ぶしかないか・・・ダンスチームの人達と素直に並んでいると、「ジュニアはコッチだよ」と係りの人が言ったか言わないか知りませんが、いつのまにかジュニアの一番最初に受付をしてもらえました。(ジュニアは別の受付でした。ラッキー) でも、受付の処理自体が遅々として進みません・・・やっぱりアメリカ人はのんびりしているのか要領が悪いのか、待っている方としてはいらいらしてしまいます。 結構な時間がかかって、ダンスのチームと一緒に受付を終えました。 関西からの「THE LATEST」も受付で合ったので挨拶しました。(メンターとして「たまらっく」の玉島先生がご家族で参加していました。) 関東からの他のチームには、会えませんでした。(恐らく、正午の開場にあわせて来るのでしょう。)
ダンスのチームはそのまま会場に移動し、昼の開場を待つということだったので、身軽な「M&Y」は、会場を見学しがてらホテルに戻ることにしました。 バスに乗り会場のStudentCenterで降り、会場(らしき建物)を見た後、てくてくと歩いて一旦ホテルに戻りました。
簡単に昼食を取り、(ちょっと12時を越えてしまいましたが)また、のどかな大学内を歩いて会場に行きます。 途中でダンスチームのメンターをすれ違いました。「まだ会場が開いていないので、とりあえず昼食を買いにいくところ」とのことでした。(ご苦労様です。)
会場に着くと・・・建物の中に入れるのですが、誰も居ません。 レスキューの看板があり、競技台もあるのですが、人の気配がしません。 少し中をあるいて行き、人の気配のある方へ行くと・・・中島先生達(日通のツアーで参加した人たち)が全員で記念写真を撮っているところでした。
あ~やっと合流できました。 これで一安心です。 あとは中島先生(「RCXレスキュー隊」のメンターとして参加)、富永先生(「LINK」のメンターとして参加)についていくだけでOKです。 これで関東ブロックからのレスキュー4チーム(セカンダリの「LINK」と「Antares」と、プライマリの「RCXレスキュー隊」、そして「M&Y」)が揃いました。 皆をレスキューの競技台がある場所へ案内して、パドックを探します。 でもやっぱり人がいません。 おそらくここがパドックだろうという部屋を見つけてパソコンを広げますが、どうも電源が来ていないようです。(最初、パソコンのACアダプターが壊れたかと勘違いしてあせりました。) 少しすると、電源が入るようになったらしく、パソコンが使えるようになりました。 今日は適当な場所で調整することにしました。
競技台を見ると、コース自体はたいして難しいようには思えません。 黒線に直角や鋭角はないし、被災者も単純な形です。 ただ、坂道の途中にギャップがあり、坂道にも被災者がいるぐらいでしょうか。 2階はレッドゾーンとなっており、6人の被災者が配置されています。
ただ、障害物が置かれていないので、2階を攻略する作戦が立てられません。 さらに、台ごとに被災者の位置が微妙に違っており、「決め撃ち作戦」も難しいようです。 良く見ると、台によりギャップが直線上になってなかったり・・・結構適当です。(さらに台の上のホコリがすごいので、走らせる前に掃除が必要でした。)
午前中の受付は、あまり並ばずにすんなりいったな、と思っていたのですが、あとで、富永先生に確認したら、私達が実施したのはメンバー受付であり、チーム受付が済んでいなかったようです。 あわてて家内が受け付け場所に行き、チーム受付をしてくれました。 (くそ、あの受付のオヤジしっかりしてくれよ。)
少しすると、外国の選手もちらほら集まって来て、練習を始めました。 パドックに入らず、練習台の近くにパソコンを持ってきて設定するチームが多かったのですが、世界大会はそういうものなのかな?と思っておりました。(本当はルール違反なのですね)
「M&Y」は、競技台で明るさを計って、試走してみると、特に問題なく走ります。 「M&Y」のロボットはギャップを越えるのが苦手で、毎回「イチかバチか」です。 でも、それはどうしようも無い、とあきらめており(やる気はないのか?)あとは、2階をどうするかだけです。 結局、2階に障害物が置かれることは無い様だったので、関東ブロック大会と同様のスキャン方式にすることにしました。 今回、初めて搭載した、水銀スイッチもうまく動作しているようで、2階に入るときちんとレッドゾーンプログラムに切り替わります。
「THE LATEST」が競技台で練習していると、外国の選手が質問してきました。 それに答える「THE LATEST」(もちろん英語で) さすが、世界大会経験者は違うなーと感じました。(MやYは話しかけられたらどうなるかな)
ダンスの会場に行ってみると(ダンスの会場はレスキューの隣の建物で、つながっています。)やっとパドックが開いたようで、既に一生懸命にセットアップ中でした。 (ダンスはロボットの数も多いので大変ですね。)
18時になったら、メンターが集められて、大会の説明会になりました。 チェアマンのAshley氏が説明をしていましたが(もちろん英語)さっぱり分かりませんでした。 どうも、予選は6試合あり、合計点?が良い8チームが決勝に行ける。というようなことを言っていたのでしょう。 唯一分かったのは「アトランタにもいろいろな観光地があるので、是非観光もしていってね。」というところぐらいでした。 説明の内容については、他の人に聞けばいいや、という気持ちだったので、全然心配ではありませんでした。(お気楽気分)
練習の終了時刻になり、「LINK」「RCXレスキュー隊」と「M&Y」の3チームで夕食を一緒に食べようということになり。 近くの「THE VARSITY」という屋台街に行くことにしました。 といっても実際に行ってみると、フードコートのようなものでした。 食べ物はジャンクフードでしたが、皆との夕食はとても楽しかったです。
レスキューの日本からの参加チームは全部で6チームで、セカンダリが3チーム、プライマリが3チームです。 「M&Y」以外の5チームは、先生と生徒の組み合わせで来ており、一般人がメンターなのは、「M&Y」だけです。 他に家族が来ているのは我が家の他はと「RCXレスキュー隊」の母親が同行しているだけです。 「THE LATEST」は、メンターの玉島先生がご家族で参加です。 やっぱり普通は、学校の活動として参加するようなものなのでしょうね。 (でもダンスチームはみんな家族で来てるし。 よく分かりません。)
大会一日目(練習日)は無事に終了しました。
世界大会の受付って、いったいどういうことをするのだろう(何を聞かれるのだろう?)と内心ヒヤヒヤものでしたが・・・結局は、インターネットで申し込んだ時の申請書のハードコピーを見せると、あとは参加証や書類を渡されるだけでした。(この「だけ」に非常に時間がかかりました。)
関東から参加しているセカンダリの「Antares」は、教頭先生(一谷先生)と神田先生の2名での同行です。 毎日、ホテル(地下鉄で3駅くらい)から歩いて往復していました。(ご苦労様です。)