政治にかかわった碩学の怒りを感じる( https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Reich )、知見は:
コモングッドとは「公共善」であり「『コモングッド』~連帯する市民~義務を負っているかを示す共有価値~自発的にそれに従おうとするような規範~成就させたいと願う理想」
と著者は規定している
4章「搾取」において、大企業や政治家の「どんな手段を使っても、可能な限り富と権力を手中に、慎み深く責任を持つのは負け犬」という「暗黙のルールの崩壊」として1960年以降の事例を挙げている、段階として:
①ニクソンの「手段を選ばず」勝つ政治「勝つためなら何でもあり」→トランプへ
②ミルケン、ウエルチの「手段を選ばず」利益を最大化、乗っ取屋と株主利益
③ウォール街の救済の経済を不正操作するためなら「手段を選ばない」
この結果、高所得層の収入増加と中間層の収入低下、学歴や人種格差の拡大となった、つまりは右派左派(共和党・民主党)の違いよりも、所得の上下の格差が問題となっている
現在では、6章「コモングッド」の衰退事例として、図6-1にあるとおり大統領・議会・銀王・マスメディア・大企業の信頼度はどれも大幅に低下している、つまりは当てにならないと見限られている、また、低所得者はメリットクラシー( https://en.wikipedia.org/wiki/Meritocracy )の仕組みにより搾取されていると感じ、前回の大統領選挙においてエリート臭ぷんぷんの民主党が大敗を喫した
階級区分により、自分らの利益を守る動向もある、これは、ロールズの正義論 第二論理の2 「格差原理 不平等な措置は、最も貧しい人に最大の便益をもたらすときだけ正当化される」という所得の再分配や低所得者保護の喪失につながる
リーダが受託者精神を放棄し「何でもあり」をすると、リーダシップの惨敗(支持者への裏切り)になる
企業も同じ状況にある、企業価値と株主価値の最大化のみを「何が何でも」最大化するのは「倫理」ではなく「信頼」の問題となる
「コモングッド」を軽視する人は「恥」も感じる能力が低い、不正に蓄財した資産でも寄付すれば名前と名誉が受けられるなど
アメリカでの個人的倫理(中絶問題など)と公的倫理(企業の不正利益)が混同されている、ワインスタインの文化貢献とセクハラなどはマスコミから保護された、トランプの「公共の嘘」やグーグルのロビイストも公的倫理問題がある
具体的な指摘だ、特に社会の上下での格差と中間層の失望の観点は「やっぱりそうか」と思わせる
一読をおすすめする