「一匹の老いた狐がゆっくりと水を飲んでいる。
かつてもっていたベルギーの画家ブリューゲルの絵の右端で
あるいは ボードレールの詩の一行で
周辺に廃屋がやたらと目立つ沼のほとりで。
それを飲み終えたら 従容として死をうけいれるつもりなのだ。
伝説のヒナゲシや西風が好きな旅人に化けることはもうできず
やつは 自分に逃げ場がないことを知っている」
・・・と
そんな光景を ぼくは
憔悴しきった昨日の夢からたぐり寄せる。
その光景はつい最近の現実の経験であったようにとても鮮明なのだが
肝心なことに意味を欠いている。
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一編の詩と一枚の写真は恒星とその惑星のような関係にある。
・・・という考えにとりつかれたことがあった。
つい数日前のこと
仕事のあいまによく冷えたおれんじジュースを飲みながら。
恒星が詩で惑星が写真であるのか
その逆であるのかはたぶんどうでもいい。
詩と写真のあいだには まだ発見されていない
あるいは永久に発見されることのない非現実的な物理的法則がある。
・・・ような気がする。
ぼくが作りだす詩と写真のあいだに
細長い稲妻型のすきまができてそこにいろんなものがひっかかり
ボロ雑巾のように折からの風にはためく。
小説家によって書きとめられたマルメラードフの末路であり
飼い主にすてられたあわれな犬の影であり
踏みつぶされほとんど原形をとどめぬクロヤマアリであり
それらのいずれでもないものが 風にはためく。
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