二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「肖像写真――時代のまなざし」多木浩二著(岩波新書)

2011年01月01日 | エッセイ(国内)
読み応えのある写真論を久しぶりに読んだので、忘れないうちに感想をしるしておこう。
かの「プロヴォーク」のメンバーのひとりとしてつとにお名前は存知あげていたが、その著作を読むのははじめて。
飯沢耕太郎さんが、ジャーナリスト、評論家に寄った活動が多いのに比べて、
この多木さんや、美術評論が得意な伊藤俊治さんなどは、哲学的な風合いをもった、硬質な論攷で知られる、といっていいだろう。

『ここでは写真の歴史のなかから,三人の偉大な肖像写真家を選んだ。ナダール、ザンダー、アヴェドンである。ナダールは十九世紀後半、ザンダーは二○世紀前半、この二人はまさに肖像写真家であった。アヴェドンは二○世紀後半に活動し、その範囲は広いが、肖像写真に限定して見ていく。』

ここで取り上げられている3人の肖像写真家のなかで、わたしが躊躇なく「いいな。好きだな」と思えるのは、アウグスト・ザンダーである。
図書館からザンダーの分厚い写真集を借りてきて、飽きるまで見惚けたのは、40代のはじめころだったか。
一方のナダール。
こちらはポートレイトの神様なので、もっと早くから知っていた。
ボードレールをはじめとする19世紀パリを舞台とした著名人たちの肖像は、このナダールの眼とカメラを通して、半永久的にその像をリアルに歴史に刻み込んだ。

何にいちばん驚いたかといえば、「そのときナダールが見たもの」を、そのままわたしが“見ている”という、ごくあたりまえの事実がもっている衝撃力だろう。記録性というものに、写真は新たな決定的な機能を付加したのである。それまでは、絵画やことばしか知らなかった人間にとって、それはまなざしの進化として映っただろう。ナダールが出現するまで、だれもこういう風に、一人の人物を“見る”ことはなかった。

しかし、ザンダーの写真は、わたしには、もっと興味深いものであった。
歴史にその名をとどめるような有名人ではなく、一地方の無名の人々を、意図的に取り上げて、精緻な歴史資料を作り上げたことはだれもがまず感嘆するが、もうひとつわたしが注意したのは、その人物が立っている“背景”である。
ザンダーは、いろいろな職業にたずさわる彼らを撮影するにあたって、彼らを際立たせずにはおかない“背景”を選んでいる。
“背景”のなかに佇んだ人間のリアルさ。このことは、人間はその人固有の背景をもっており、それがその人間の存在証明となるかのように・・・まさにそうであるように、ザンダーは撮影していて、それがそのまま彼の「人間論」といえるような豊饒さをたたえていることである。

ところで、わたしは、もうずいぶん昔、リチャード・アベドンの分厚い写真集を衝動買いしたので、その1冊が書庫の奥でほこりをかぶっているはずだ。
多木さんも書いているけれど、アベドンの写真は、仕事でこなしたファッション写真をのぞいて、見る者をいらだたせ、不安をかきたてる。ほとんどの場合、アベドンはその人物から“背景”を消してしまう。アベドンのまなざしが苛烈すぎるのか? 
「存在論的な不安なまなざし」とでも呼ぶほかないような、冷酷で非情なそのポートレイトは、人間のありのままの孤独な姿を容赦なく暴き出す。

本書のサブタイトルは「時代のまなざし」である。
写真の歴史はたかだか百数十年だが、この3人の写真家を俎上にのせて、時代のなかで写真が果たした3つの役割を分析して、われわれ読者を「写真の思想」のほうへとつれていってくれる。しかし、これは「写真の進化の歴史」というような本ではまったくない。

わたしもアマチュア写真家のつもりなのだが、もしポートレイトを撮るとしたら、どんなふうに撮るだろうと考えてみた。いや、それは意識的に、あるいは無意識的に、シャッターを押すたびやってくるある種の問いかけのようなものだ。「これでいいのか?」と「ここでいいのか?」
はっきりいってしまえば、わたしが撮りたいのは「背景のなかの、背景をもった人間」なのである。背景はたとえば、貝類にとっての身を守る殻であり、海水や海水温である。それなしには、生きてはいけない諸要素の集合体。

ある人物を、彼にふさわしい背景の中において、撮る。
アベドンはすごいフォトグラファーかも知れないが、とても、座右に置いて、何度も見直したいと思える写真家ではない。
その人間はどのような背景をもっているのか? それを探り出し、提示し、見る者に考えてもらう。
それは、写真と向き合おうとするものの、大切な使命のひとつである。
本書を読みながら、そんなことを考えさせられた。



評価:★★★★

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