写真を絵画から分かつものに、「偶然性」の問題がある。
フォトグラファーは、いうまでもなく被写体に依存していて、それは自分の外側にあるからである。
偶然性を排除し、意図したような絵づくりをすると、コマーシャル・フォトだとか、スタジオ写真だとか、アマチュア・カメラマンが賞をとりたい一心でやる演出写真になる。
それはそれでひとつのジャンルだし、プロカメラマンの大半は、クライアントがもとめるような写真を撮ってお金をいただいている。
ところが、風景やスナップ写真の場合、出会いが決定的な因子をになう。
思慮をこえたもの、意外な光景との出会いは、それを撮影したカメラマンや、見る者に驚きや感動をもたらす。
このあいだわたしは、マイミクlight blueさんのアルバムを閲覧しながら、ある一枚の作品に眼をとめた。
http://photo.mixi.jp/view_photo.pl?owner_id=34141637&photo_id=910291232
「おー、映り込み写真の逸品だな」
というのが、最初の感想。
ところがじっくり見ていくと、いろいろなものが現われてくる。
まさに「出現する・・・」という風に、浮かび上がってきたのだ。
これは何だろう?
真ん中に写っているレンズのような、目玉のような、不可解な被写体。
light blueさんは、はじめ「自分のカメラのレンズ」と思ったらしい。しかし、もしそうなら、レンズは正面を向いているはず。
では何か・・・わからないというのが結論。
そういうきっかけがあって、わたしはあらためてこの一枚をじっくり眺めてみた。
そして「幾層かの空間が、ボーダレスに、この写真に折りたたまれている。
漆黒の闇の背景から浮かび上がる、首のないマネキンとそのスーツの黒。
左上の小さなドクロのような光源」とコメントしたのである。
偶然性を取り込んだ写真のおもしろさ!
(誤解されないよういっておけば、心霊写真がどうの・・・という話ではまったくない。)
それが写真の不自由さであると同時に、カメラを手にした人間が直面するアクチュアリティーといっていいのだろう。
いまにして、ここに、4つの層が、ボーダレスに取り込まれていることがわかる。
室内の空間。
カメラマンが立つ場所。
その背後のストリート。
そしてプラスアルファ・・・である。
スナップを撮るとき、人は偶然を味方につけなかればならないし、それは神仏への祈りのようなもので、このとき、写真はまさに「現実と切り結ぶ」ということができる。
「写真を読む」という醍醐味を味合わせていただいたという意味で、light blueさんのこの作品は、疑いなくいーさんの先日の一枚と双璧をなす秀作なのですね(^_^)/~
――さてさて、ここでわたしの「今日の一枚」を。
タイトルをつければ「枯れ姿」かなぁ、やっぱり。
・・・これは冬の風物詩。
