「食堂 松島軒」高崎市
ひと口に“戦後詩”といわれる活動に関心をもった人のあいだで、谷川雁とは、現在どのように評価されているのだろう。
現代詩から遠ざかってしまって、もうずいぶんな歳月が流れてしまい、わたしにはまるで見当がつかない。
その谷川雁に「東京へゆくな」という、比較的よく知られた作品がある。
彼の詩の中でも、屈指の秀作であることはいうまでもない。
ふるさとの悪霊どもの歯ぐきから
おれはみつけた 水仙いろした泥の都
波のようにやさしく奇怪な発音で
馬車を売ろう 杉を買おう 革命はこわい
なきはらすきこりの娘は
岩のピアノにむかい
新しい国のうたを立ちのぼらせよ
つまずき こみあげる鉄道のはて
ほしよりもしずかな草刈場で
虚無のからすを追いはらえ
あさはこわれやすいがらすだから
東京へゆくな ふるさとを創れ
おれたちのしりをひやす苔の客間に
船乗り 百姓 旋盤工 抗夫をまねけ
かぞえきれぬ恥辱 ひとつの眼つき
それこそ羊歯でかくされたこの世の首府
駈けてゆくひずめの内側なのだ
これがその全編である。
はじめてこれを読んだのがいつのことだったか、いまははっきり思い出すことができない。
触れただけで指から血がしたたるような、切れ味の鋭い詩で、一読強烈な印象を残す。
ことばによる表現のジャンルの中で暗喩がこれほどの威力をもった例は・・・つまりそういう成功例はアルチュール・ランボーあたりを別とすれば、そう多くはないのではないか、と思えるほど。
あさはこわれやすいがらすだから
東京へゆくな ふるさとを創れ
わたしはこの二行は、彼自身の決意表明のようにも、マニフェストのようにも読める。
最後の一行はとても難解だけれど、わたしなりに解釈はできている。
すぐれた詩は、そのことばのひと塊をいわばキーワードとして、世界へのアプローチの仕方を示唆するところにある。
「ああ、そうなのか。彼はこういうことをいったのに違いない」と。
ところが、こちらが年をとって、世界観や人生観が成熟してくると、その成熟の度合いに応じて、また深みをます。
すぐれた詩はそうして読み返され、読み継がれていくのであろう。
谷川がここでいう「あさ」とはなんのことだろう?
谷川がここでいう「ふるさと」とはなんのことだろう?
そこまではたどり着けるとしても、では「駈けてゆくひずめの内側」とは!?
そうしているうちに、この作品が、錐のように、こころのどこかに突き刺さってくる。
語のツイスト感、その見事さ!
これほどの詩人が、どのような紆余曲折があったかは詳らかにしないが、その後、詩の筆を折ってしまったのは、ほんとうに残念至極。
国文社から刊行された「谷川雁詩集」は、10年ばかり、手をのばせばいつでも手が届く書棚に置いてあった。しかし、「いつでも読める、読み返せる」とおもうと、案外そうしないものである。
郷土遊覧記という一連の写真を撮って歩きながら、数日前、
あさはこわれやすいがらすだから
東京へゆくな ふるさとを創れ
ということばが、不意に蘇ってきた。
ああ、そういう詩があって、二十代の終わりころ、胸をえぐられた経験があった、と。
なぜかというと、街歩きしながら「ふるさと」が崩壊し、あるいは消滅しかかっている光景ばかりが眼につくからである。
わたしの錯覚だろうか?
ふるさとは単に変容しているだけなのかも知れない。
それが昭和への恋慕が強いわたしの眼に「崩壊」「消滅」と映っている?
そして、過去のアルバムをふたたび見返す。
トップの一枚「食堂 松島軒」は、昭和十二年創業だそうである。
通りすがりに外観を撮っただけ。時刻は午後四時近かった。まだ現役らしいから、今度は食事時にいって、店内に入って、なにか注文しながら話をお聞きしてみよう。
「食堂 パリー」秩父市
「レストラン 三好」高崎市
「松葉食堂」佐野市
「支那そば」前橋市
これまで旧市街でこういった大衆食堂を見かけると、よくレンズを向けて、撮影してきた・・・つもりでいた。ところが過去のアルバムを振り返ってみると、案外少ないのが意外だった。
単に古いというだけでなく、シャッターを押したくなる風格というか、時代の風韻というか、フォトジェニックな美しさというか・・・そういうものがなければならない。
ここにちょっと拾いだしてみたのは、わたしが何かを感じて撮影したものばかり。
むろん、いつ閉店になってもおかしくないお店だろう。つぎにいったら、もうなかったとか、別な建物になっていた、とかね*´∀`)ノ
「ベトナム料理店」伊勢崎市
伊勢崎市には、かなりの数の外国人が住んでいる。ベトナム人も多いと聞いている。
こういう光景を眺めると、ふるさとは崩壊もしないし、消滅もしない。ただかなりのスピードで変容しているだけなのだ。そういってみたくなる。
ほんとうはどーなのか、街歩きは、それをたしかめるための手段というわけではないが、ある切り口からそういう一面がのぞき見えることも事実である。
わたしの、あるいはわたしたちのふるさとは、今後どこへ向かおうとするのだろう?
ひと口に“戦後詩”といわれる活動に関心をもった人のあいだで、谷川雁とは、現在どのように評価されているのだろう。
現代詩から遠ざかってしまって、もうずいぶんな歳月が流れてしまい、わたしにはまるで見当がつかない。
その谷川雁に「東京へゆくな」という、比較的よく知られた作品がある。
彼の詩の中でも、屈指の秀作であることはいうまでもない。
ふるさとの悪霊どもの歯ぐきから
おれはみつけた 水仙いろした泥の都
波のようにやさしく奇怪な発音で
馬車を売ろう 杉を買おう 革命はこわい
なきはらすきこりの娘は
岩のピアノにむかい
新しい国のうたを立ちのぼらせよ
つまずき こみあげる鉄道のはて
ほしよりもしずかな草刈場で
虚無のからすを追いはらえ
あさはこわれやすいがらすだから
東京へゆくな ふるさとを創れ
おれたちのしりをひやす苔の客間に
船乗り 百姓 旋盤工 抗夫をまねけ
かぞえきれぬ恥辱 ひとつの眼つき
それこそ羊歯でかくされたこの世の首府
駈けてゆくひずめの内側なのだ
これがその全編である。
はじめてこれを読んだのがいつのことだったか、いまははっきり思い出すことができない。
触れただけで指から血がしたたるような、切れ味の鋭い詩で、一読強烈な印象を残す。
ことばによる表現のジャンルの中で暗喩がこれほどの威力をもった例は・・・つまりそういう成功例はアルチュール・ランボーあたりを別とすれば、そう多くはないのではないか、と思えるほど。
あさはこわれやすいがらすだから
東京へゆくな ふるさとを創れ
わたしはこの二行は、彼自身の決意表明のようにも、マニフェストのようにも読める。
最後の一行はとても難解だけれど、わたしなりに解釈はできている。
すぐれた詩は、そのことばのひと塊をいわばキーワードとして、世界へのアプローチの仕方を示唆するところにある。
「ああ、そうなのか。彼はこういうことをいったのに違いない」と。
ところが、こちらが年をとって、世界観や人生観が成熟してくると、その成熟の度合いに応じて、また深みをます。
すぐれた詩はそうして読み返され、読み継がれていくのであろう。
谷川がここでいう「あさ」とはなんのことだろう?
谷川がここでいう「ふるさと」とはなんのことだろう?
そこまではたどり着けるとしても、では「駈けてゆくひずめの内側」とは!?
そうしているうちに、この作品が、錐のように、こころのどこかに突き刺さってくる。
語のツイスト感、その見事さ!
これほどの詩人が、どのような紆余曲折があったかは詳らかにしないが、その後、詩の筆を折ってしまったのは、ほんとうに残念至極。
国文社から刊行された「谷川雁詩集」は、10年ばかり、手をのばせばいつでも手が届く書棚に置いてあった。しかし、「いつでも読める、読み返せる」とおもうと、案外そうしないものである。
郷土遊覧記という一連の写真を撮って歩きながら、数日前、
あさはこわれやすいがらすだから
東京へゆくな ふるさとを創れ
ということばが、不意に蘇ってきた。
ああ、そういう詩があって、二十代の終わりころ、胸をえぐられた経験があった、と。
なぜかというと、街歩きしながら「ふるさと」が崩壊し、あるいは消滅しかかっている光景ばかりが眼につくからである。
わたしの錯覚だろうか?
ふるさとは単に変容しているだけなのかも知れない。
それが昭和への恋慕が強いわたしの眼に「崩壊」「消滅」と映っている?
そして、過去のアルバムをふたたび見返す。
トップの一枚「食堂 松島軒」は、昭和十二年創業だそうである。
通りすがりに外観を撮っただけ。時刻は午後四時近かった。まだ現役らしいから、今度は食事時にいって、店内に入って、なにか注文しながら話をお聞きしてみよう。
「食堂 パリー」秩父市
「レストラン 三好」高崎市
「松葉食堂」佐野市
「支那そば」前橋市
これまで旧市街でこういった大衆食堂を見かけると、よくレンズを向けて、撮影してきた・・・つもりでいた。ところが過去のアルバムを振り返ってみると、案外少ないのが意外だった。
単に古いというだけでなく、シャッターを押したくなる風格というか、時代の風韻というか、フォトジェニックな美しさというか・・・そういうものがなければならない。
ここにちょっと拾いだしてみたのは、わたしが何かを感じて撮影したものばかり。
むろん、いつ閉店になってもおかしくないお店だろう。つぎにいったら、もうなかったとか、別な建物になっていた、とかね*´∀`)ノ
「ベトナム料理店」伊勢崎市
伊勢崎市には、かなりの数の外国人が住んでいる。ベトナム人も多いと聞いている。
こういう光景を眺めると、ふるさとは崩壊もしないし、消滅もしない。ただかなりのスピードで変容しているだけなのだ。そういってみたくなる。
ほんとうはどーなのか、街歩きは、それをたしかめるための手段というわけではないが、ある切り口からそういう一面がのぞき見えることも事実である。
わたしの、あるいはわたしたちのふるさとは、今後どこへ向かおうとするのだろう?