
さっき、悪夢というほどではないが、いやな夢をみて、眼を覚ました。
「夢」というのは、無意識の世界からやってくる“あぶく”みたいな
ものだろう、きっと。夢は基本的にひどく短絡的。しかし――だからこそというべきか、ぎょっとさせられたりすることがままある。
漱石の「夢十夜」をご存じの方は、思いあたるふしがあるだろう。
お口直し・・・ということでもないが、スヴァトスラフ・リヒテルが弾く、モーツァルトを聴きながら、この日記を書いている。
ところで、昨日、BOOK OFFの散歩で、ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」の一枚を手に入れた。
指揮アーノンクール&ヨーロッパ室内管。ソリストは、ギドン・クレーメルで、1992年のライブ録音である。
「こんなベートーヴェンがあったの!?」
ベートーヴェン唯一のこのヴァイオリン協奏曲は、これまでシェリングで聴くことが多かった。内容がびっしりとつまった、やや苦味のきいた曲想なので、若いころはよさがあまりわからず、メンデルスゾーンやチャイコフスキーのような、抒情性豊かで、メロディラインがはっきりした甘口の協奏曲に惹かれていた。もっとも、ハイフェッツが愛聴盤だったから、「甘い」とばかりはいえないとおもうけれど(^^;)
はじめて聴いたクレーメルのこの演奏の、なんという自由さ!
なにがというと、「カンデンツァ:ベートーヴェン/クレーメル編曲」とある、
このカデンツァのことである。
ウィキペディアを参照すると《カデンツァ(伊: cadenza, 独: Kadenz)とは、一般に、独奏協奏曲にあって、独奏楽器がオーケストラの伴奏を伴わずに自由に即興的な演奏をする部分のことである》と説明されている。
そこに、クレーメルはなんと、ピアノ伴奏をもちこみ、ユーモラスかつ辛辣な効果をあげている。
「ここまでは許されるだろう」という、ぎりぎりの冒険にもみえるこのカデンツァ、賛否両論があるとはおもうけれど、わたしは無条件に愉しむことができ、気分がホクホク(笑)。
アーノンクールが指揮しているので、むろん計算づくなんだろうが、一滴二滴のいたずら心が、ベートーヴェンのこの名曲を、現代的なフレキシブルなものに変えた!
・・・と、そんなことを考えながら庭を散歩していたら、なんとも見事な迷彩服をまとったアマガエルを発見。
そうだ、アマガエルって、こんな芸ができるのだぞ(^-^)
いや、クレーメルのベートーヴェンと、迷彩服のアマガエル、出会った順序が逆だった――まあどっちでもいいけれど。
わたし的に詩的言語にしてしまえば、クレーメルのカデンツァと、この迷彩服は、通底するものがあるしね。ん? 違うか(笑)。
あとでゆっくり考えてみよう。