■「私の濹東綺譚」安岡章太郎(新潮文庫 平成15年刊)
永井荷風論は、平野謙さんのもの、江藤淳さんのものを読むつもりでいたけど、結局、安岡章太郎「私の濹東綺譚」を読むことになってしまった。
平野謙 「永井荷風」 『芸術と実生活』所収
江藤淳 「永井荷風論」 『江藤淳著作集 2』
安岡章太郎さんは、読みやすいので、ついついそうなった。平野謙「永井荷風」も、わりと最近読んでいる。
高橋昌男さんの解説をふくめないで、171ページ。永井荷風と安岡章太郎は、わたし的な常識では“別世界の住人”という印象を抱いていた。
200ページ以内なので、寝転がってよむにはおあつらえむき。
『江藤淳著作集 2』はそういう本としての佇まいが不利である、しかも上下2段組であるし(´Д`)
《若き日に荷風の文学世界に引き込まれた著者が、名作の舞台と戦争へと向かう昭和初期の時代とを合わせて読み解く。旧版に評論「水の流れ――永井荷風文学紀行」を増補。巻末に荷風『濹東綺譚』全編を完全収録。〈解説〉高橋昌男》
「水の流れ」はわたしが持っている新潮文庫版には収録されていない。単行本「歳々年々」で読んだとは、先日書いたばかり。
また江藤淳さんには「荷風散策: 紅茶のあとさき」という新潮文庫があり、1/4ほど読んだかもしれないが、引用文が多すぎて(引用文のあらし)ついていけなくなった。
平野謙さんの「永井荷風」は、安岡さんと同様、「濹東綺譚」に焦点をピタリと合わせ、内容的に充実している。
これまでの安岡さんの文章に比べて様子が違うなとあらためて感じたが、新潮社のホームページ「Web新潮」に連載されたものだそうである。1回分の枚数は4枚(400字詰め)とちょっと。左ページには、資料として写真が掲載されている。
本書29ページに、荷風が写した曹洞宗東清寺の門柱をスナップした写真がある。「東京散歩」のおり、わたしはこの寺に立ち寄ったことがある。同行した友人は感慨深そうに、遊女が葬られた、荒涼たる墓地のあたりを徘徊して「う~む」と唸っていた(ノω・、)
ゆく春の秋にも似たる一夜かな 荷風
安岡章太郎は戦争の時期に、いろいろな意味で追いつめられていた・・・ということが、この「私の濹東綺譚」を別角度から照射している。ご自分の流儀でさかんに「濹東綺譚」を愛読していたのは、知らなかった。お雪の背後に、イデスがいたことを、小説家らしい直感で衝いているのは、はじめて本書を読んだときから気になっていた。
解説をのぞくと、挿入した写真ページをふくめ、172ページとなる。
短篇小説ではないが、短い記事というのが気軽に読めて、ある意味なつかしさを醸し出していた。そのわりに、著者の永井荷風へのあこがれと、自分の青春期への回顧談が重なって、総集編めいた味わいがこぼれてくるようであった。
わたしにとって、“第三の新人”とは即ち安岡章太郎のことである。
本書は荷風の力を得て、極上のエッセイたり得ていると思われる。
ただし、長くなってしまうから、引用は差し控えさせていただく。
永井荷風論は、平野謙さんのもの、江藤淳さんのものを読むつもりでいたけど、結局、安岡章太郎「私の濹東綺譚」を読むことになってしまった。
平野謙 「永井荷風」 『芸術と実生活』所収
江藤淳 「永井荷風論」 『江藤淳著作集 2』
安岡章太郎さんは、読みやすいので、ついついそうなった。平野謙「永井荷風」も、わりと最近読んでいる。
高橋昌男さんの解説をふくめないで、171ページ。永井荷風と安岡章太郎は、わたし的な常識では“別世界の住人”という印象を抱いていた。
200ページ以内なので、寝転がってよむにはおあつらえむき。
『江藤淳著作集 2』はそういう本としての佇まいが不利である、しかも上下2段組であるし(´Д`)
《若き日に荷風の文学世界に引き込まれた著者が、名作の舞台と戦争へと向かう昭和初期の時代とを合わせて読み解く。旧版に評論「水の流れ――永井荷風文学紀行」を増補。巻末に荷風『濹東綺譚』全編を完全収録。〈解説〉高橋昌男》
「水の流れ」はわたしが持っている新潮文庫版には収録されていない。単行本「歳々年々」で読んだとは、先日書いたばかり。
また江藤淳さんには「荷風散策: 紅茶のあとさき」という新潮文庫があり、1/4ほど読んだかもしれないが、引用文が多すぎて(引用文のあらし)ついていけなくなった。
平野謙さんの「永井荷風」は、安岡さんと同様、「濹東綺譚」に焦点をピタリと合わせ、内容的に充実している。
これまでの安岡さんの文章に比べて様子が違うなとあらためて感じたが、新潮社のホームページ「Web新潮」に連載されたものだそうである。1回分の枚数は4枚(400字詰め)とちょっと。左ページには、資料として写真が掲載されている。
本書29ページに、荷風が写した曹洞宗東清寺の門柱をスナップした写真がある。「東京散歩」のおり、わたしはこの寺に立ち寄ったことがある。同行した友人は感慨深そうに、遊女が葬られた、荒涼たる墓地のあたりを徘徊して「う~む」と唸っていた(ノω・、)
ゆく春の秋にも似たる一夜かな 荷風
安岡章太郎は戦争の時期に、いろいろな意味で追いつめられていた・・・ということが、この「私の濹東綺譚」を別角度から照射している。ご自分の流儀でさかんに「濹東綺譚」を愛読していたのは、知らなかった。お雪の背後に、イデスがいたことを、小説家らしい直感で衝いているのは、はじめて本書を読んだときから気になっていた。
解説をのぞくと、挿入した写真ページをふくめ、172ページとなる。
短篇小説ではないが、短い記事というのが気軽に読めて、ある意味なつかしさを醸し出していた。そのわりに、著者の永井荷風へのあこがれと、自分の青春期への回顧談が重なって、総集編めいた味わいがこぼれてくるようであった。
わたしにとって、“第三の新人”とは即ち安岡章太郎のことである。
本書は荷風の力を得て、極上のエッセイたり得ていると思われる。
ただし、長くなってしまうから、引用は差し控えさせていただく。