二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

高感度手持ち夜景

2011年10月27日 | Blog & Photo


太陽からの絶妙な距離、地軸の傾きが、地球に四季の変化をもたらす。
それだけのことなのだが、そういった知識は、人間の感受性(実感する世界)を研ぎすます役にはたたない。
このあいだ弟子入りした「徒然草」の兼好さんは、こんなことを書いている。

あれれ――引用しようと思っていた章段を忘れてしまったので、思い出したら、
あとで追加しよう(笑)。

仕方ないので、第十九段の一部を。

『もののあはれは秋こそまされ』と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあんめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根(かきねの草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘(はなたちばな)は名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思い出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。
(中略)
さて、冬枯(ふゆがれ)のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀(みぎわ)の草に紅葉の散り止まりて、霜いと白うおける朝、遣水(やりみず)より烟(けぶり)の立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日(はつか)余りの空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名、荷前の使(のさきのつかい)立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事(くじ)ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺(ついな)より四方拝(しほうはい)に続くこそ面白けれ。晦日(つもごり)の夜、いたう闇きに、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の、門叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて魂祭る(たままつる)わざは、このごろ都にはなきを、東(あずま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan/tsuredure007.html
現代語訳で読みたい方は、こちらをどうぞ。

さて、わたしは「夜への階段」というシリーズをずっとやっているのだけれど、
そこにアップしてある写真は、すべて手持ちで、三脚は使用していない。
この数年、デジタルカメラの進化によって、フィルム時代では考えられなかったような夜景の手持ち撮影が可能になっている。

トップに掲げたのは、Nikon D7000&35mmF1.8のレンズでとらえた、ばら園の東入口。
ホワイトバランスはAUTOのまま。だけどニコンには、「電球色を残す」という設定があり、この一枚は、それで撮影している。
これからクリスマスにかけて、イルミネーションが、町の盛り場や施設や遊技場を華やかに彩る季節となる。








これらは、D7000は、ISO3200、LX5とCX4はISO1600にして、手持ちで撮影したもの。
ばら園は会社のすぐそば。
五時半ごろ、通りかかったらイルミが見えたので、一回りしてみた。
空にやや明りが残っているころが、見応えがある。

東京や横浜なら、もっと華麗かつ大規模なイルミが撮れるだろうが、田舎町では、こんなところ(^^;) 巷ではクリスマス商戦が、もうスタートしている。
東日本大震災の影響があるから、例年より、いくらか地味なものになるのかな?

ISOの高感度。コンデジはまだ1600あたりが上限だけれど、一眼レフは6400まで、実用域となっている。「夜への階段」は、こういったカメラの進化のおかげをこうむっているわけであ~る(^^)/
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