こんな写真が撮れたので、アップしてみよう。
自然がつくり出す影のアートといっていいだろう。
類似の写真を、これまでもずいぶん撮っている。
カメラをもっていないと、見過ごしてしまうかもしれない。
晩秋から初春にかけては太陽の位置が低い。
まるでステージのフットライトみたいにやってきた光が、おもいがけない影をつくり出す。
真夏だって、太陽があるところ、いたるところに影が出現する。
ここは軽井沢の別荘地。おもちゃの兵隊さんみたいに、わたしが現われたら、すばやく元にもどって、なにくわぬ顔をしている。
「おいおい、なんの相談していたのかな?」
なにかと世知辛い世の中。乗車中の急行電車からちょっと降りて・・・つまり途中下車して、ふらりとそこいらを散歩する。小さいがほかに替えられない愉しみといっていいだろう。
漱石の小説を読んでいたころ、主人公が東京の街をさかんに散歩するシーンが出てくる。
そのスタイルが、時代とともに様変わりし、ウォーキングになってしまった。スポーツウェアを着て、ハイペースで、ただひたすら運動のために歩いている。
「体脂肪を燃焼させるため」とかなんとか、そういう目的があるのだろう。それに較べたら、わたしのウォーキングはウォッチングであり、遊覧である。
路上観察といえるほどではないが、なにかを、キョロキョロさがして歩く。ワンダーランドはいたるところに存在する。
「ほら、つぎの角を曲がって、50mばかりいった左側」
最高気温が10℃を超え、風のないおだやかな日には、「街歩きしたい」と虫がうずく(笑)。
街は遊覧者のためにあるのでは、むろんない。名所旧跡をさがしているのでもない。
忙しい生活の時間から途中下車し、「だれかいないか? なにかないか?」とさがして歩く。
こうした影のアートも、わたしが出会うとうれしくなるものの一つだ。
ほかにもある、いろいろと。
出会いの瞬間にカメラをかまえ、フレーミングを決めて、シャッターを切る。ほかの人には見えない、あるいは見ようとしないものをさがして歩くハンター。カッコつけていえば・・・ね。