二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

之を楽しむ者に如かず

2012年12月30日 | 音楽(クラシック関連)

今年1年は読書にはあまり身が入らなかった。
いや、本は毎日、毎晩読んでいる。音楽を聴いたり、本を読んだり。
その時間を捻出するため、地デジ対応のTVはわが家には置いてない。アプリ=ゲームにも手を出さないと決めている。
お若い方と違い、「人生の残り時間」を考慮しなければならない年齢に達した・・・という認識があるからである。
おっさんからじいさんへ。精神的にはともかく、肉体的な衰え、老化は十分自覚している。

そう心がけているにもかかわらず、文学や歴史の本はたいして読めなかった(^^;)
しかし、ディスクに耳をすまし、わたしにとってあたらしい、未体験の音楽とは、たくさん出会うことができた。それはとても個人的な・・・つまり自己流の聴き方であって、人に話してもおいそれとは理解してもらえない。クラシックのファンはとくに激減しているしね。

このあいだ、G大医学部のS先生(わたしの賃貸のお客様)とお話していたら、先生が群響の定期会員だということがわかって、しばし話がはずんだ♪
グスタフ・マーラーのファンだという先生から、マーラー理解のためのヒントをいくつかいただいた。
都響がインバルとやっている、新マーラー・ツィクルスを、聴きに通っているというのだから、筋金入りのマーラーファンといっていいだろう。
https://www.tmso.or.jp/j/special/mahler/concert/
わたしの方は、2合目だか3合目だかで止まったままで、頂上付近はいまだ深い霧にとざされている。
「生演奏を聴いて下さいよ。生の演奏を聴かずにマーラーを理解するのは、むずかしいと思いますよ」
S先生はわたしとは違って、CDにはさしたる関心はなく、もっぱら公演会場に足を運び、生で演奏を聴くことを、無上のよろこびとしている。「弦もそうなんだけれど、とくに管楽器。あれを再生装置で聴くとガッカリしてしまう」
京大で福岡伸一先生と同じ研究室に席を置いていたことがあるという生物学のS先生はわたしより10年ばかりお若い世代だけれど、大阪で何回も聴いた朝比奈隆のブルックナー体験を、これまで最高の音楽体験だと、懐かしんでおられた。

ところで、本日のタイトル「之を楽しむ者に如かず」は「論語」の中にあることばだけれど、ここでいうのは、吉田秀和さんが、生前最後に上梓したエッセイ集のこと。
よく知られた一節だけれど、原文をしめせば、つぎのようになる。

《これを知る者はこれを好む者に如かずこれを好む者はこれを楽しむ者に如かず》



3000円+税という、わたしからすれば高価な本だったので、買うのをためらっていた(^^;)

《知識より、好き嫌い云々よりクラシックは楽しむのが一番。たとえば、こんなふうに……。音楽の持つ可能性の大きさが再び見出されている今という時代、かつて味わったことのない、何ともいえない面白い演奏にぶつかることがある。「真珠の粒を連ねたよう」ではないモーツァルト、重さから解放された軽やかなバッハ……。フルトヴェングラー、グールドからアンナ・ネトレプコまで、音楽をきく楽しみを自在に語る。》(新潮社のホームページより引用)

こんな岡田暁生さんの書評も読むことができる。
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/324014.html
ここで岡田さんがおっしゃる「一言の凄み」に共感した。
今年1年ずいぶんといろいろな本(音楽関連の)を読んできたが、吉田秀和の音楽批評は別格である。何回でも読み返すに足る、しなやか極まりない知と感性の饗宴がくり広げられて、ときおり、肺腑をえぐるような批評が、読む者を立ちすくませる。
そこを見落としてはならないとおもうので、しばらくたって、また読み返す。
「あ、こんなこと書いていたのか!」
読み返すたびに、かならず“新発見”がある。
吉田さんの音楽の中心には、モーツァルトがいる。なんといっても、モーツァルトに極まる。「モーツァルトは一生つきあっても、結局のところ語りつくせないだろう」と、どこかに書いていらしたが、その通りだろう。

今年になって、わたしのクラシック音楽の裾野がいくらか広がった。
ずいぶんたくさんのディスクがやってきたし、いまでも月に10枚か、それ以上のCDがふえてゆく。モーツァルトならば、無条件でどんどん聴いてやろう・・・とおもっている。

トップにあげたのは、このところよく聴くようになってきたシベリウスのディスク。このほかに「ヴァイオリン協奏曲」6枚、その他2枚のCDがどこかに眠っている(笑)。
わたしにとってシベリウスは、チャイコフスキーというより、ブルックナーの隣人である。一昨日だったか、交響曲第1番をはじめて聴いたが(写真左列下)、わたしはブルックナーが若き日に(といってももう立派な中年だが)書いた交響曲を思い出した。
シベリウスをめぐるミッシングリングが、少しずつつながりはじめ、どうやらマーラーを追い越してしまいそう(笑)。
第1番、2番、5番については十分な手がかりを掴んだので、いずれここで取り上げてみよう。
未体験の第3番、4番、6番がまだひかえている。どんな世界へつれていってもらえるのか、まだいったことのない土地へと出発する旅人気分がもりあがってきたぞ!

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