二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

思い出パレット(ポエムNO.3-39)

2020年04月14日 | 俳句・短歌・詩集
   (TAKASAKI  2019年4月22日撮影。)


ベートーヴェンには飽きたけれど
モーツァルトには飽きないんだよね。
そう話していた友達が愛用していたティーカップが
いまこの部屋にきている。

「もらって下さいますか」といって
未亡人になったばかりのE子さんが先週置いていったもの。
それを手にして熱い紅茶を飲みながら
ぼくは今日もモーツァルトのCDを聴く。

なんの変哲もない小振りな白いカップとモーツァルト。
どちらも半年まえに身罷った友達を思い出させる遺品。
開けておいた窓をしめ
ソファーに横になって空気の振動に身をまかせる。

まぶたのシャッターをとじると
なぜかキュウリやトマト ナスやかぼちゃ
その他の野菜たちのイメージが鮮やかに浮かび
ぼくは耳をそばだてながら

ごくん
ごくんと のどを鳴らす。
生と死を分けるもの。
それはいま流れているモーツァルト

の音楽なのだ。
「死とはモーツァルトが聴けなくなること」といったのはだれであったか。
スズメたちの囀りがその曲に混じって聞こえてくる。
眼は見たいものだけを見るし

耳は聴きたいものだけを聴く。
そっと目頭をおさえると
野菜たちは豪華な色彩のパレットとなって
飛び散る。

昼寝したいわけでもないのにやたら襲ってくる
眠気を払いのけ 払いのけしながら
身罷った友達や小石だらけだった中学校のグランドや
真新しい体育館 職員室。

それらぼくにしか見えないものの周りをぐるぐる回る。
モーツァルトのピアノ・ソナタを聴いているときのように。
ああ あれから半世紀以上がたったのだ。
ため息まじりに ぼくはもう一度目頭をおさえる。

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