二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

加賀乙彦「小説家が読むドストエフスキー」

2008年01月25日 | ドストエフスキー
 まあ、どうでもいいことではあるが、加賀乙彦さんを最初に読んだのは1970年代はじめ。そこで、いま調べてみたら、芸術選奨新人賞を受賞した「フランドルの冬」の刊行が1968年とあるから、その後数年して読んだのであろう。サルトル、カミュにつながる実存主義的世界というふれこみであったと思う。たいへんおもしろくて、しばらくたってから、もう一度読み返している。
 あのころも現在と同様、わけもわからず手当たり次第乱読していた。フランスのアンチロマン、ヌーボーロマンが流行のきざしをみせていた。わたしの周辺でもカフカの信者がいて、「19世紀文学はもう古い。プルースト、ジョイス、フォークナーを読め」とさかんにいっていたのを覚えている。彼はたしか、カフカ、カミュ、サルトルと、それ以降のフランス文学をさかんに読んでいた。
 アンチロマンの系譜につらなる作家はわたしもいくつか読んだが、なにがなんだかさっぱりわからず、いまもって、よくはわからない(^^;)
そういうなかにあって、加賀さんの「フランドルの冬」は読みやすく、ロマンチックで、若いわたしを夢中にさせる力をひめていた。
 ところが、期待をこめて手に取った「荒地を旅する者たち」が、いかにも作りものめいていてがっかりし、そのまま関心が薄れていった。
 それ以来、彼にはまったく近づかなかった。江藤淳さんが「フォーニー論争」となった現代文学批判を展開したとき、加賀さんもフォーニーとしてやり玉にあがっていたのではなかったか。

 本書は万人向きに書かれた、すぐれたドストエフスキー入門書。連続講演の速記録が元になっているから、たいへん読みやすい。「小説家が読む・・・」とわざわざことわっているように、小説家としての加賀さんが、折にふれて、どんな風にドストエフスキーを読んできたかを率直に語っている。
本書で加賀さんは「小説を書く場合、おもしろいストーリーを作ろうとする人が多いが、それは間違っている。まず、登場人物を考えなさい。主人公はだれで、彼はどんな人間なのか。ストーリーは二の次である」と述べているが、卓見であろう。
 いうまでもなく、著者は精神科医であると同時に、犯罪心理学の専門家。また、トルストイをたいへん高く評価し、日本では数少ない本格的な長編作家として有名である。第三の新人や内向の世代といわれる作家たちが主流となるなか、異色作家あつかいをされてきたふしがある。わたしは、いまのところあまり読書欲をそそられないな~(^^;)
 加賀さんは、カトリックの洗礼をうけている。したがって、ドストエフスキーに関しても、キリスト者として、宗教的な観点を重視している。「21世紀 ドストエフスキーがやってくる」(集英社)で亀井郁夫さんと対談しているが、そこでもドストエフスキーを解く鍵は、キリスト教であることを強調していた。とはいえ、宗教者としてではなく、あくまで小説家として、また犯罪心理の研究家として「死の家の記録」を重視しているあたりが興味深い。
 全体としては目新しさがなく、あくまで入門書としてのレベルにとどまっているのは、成立の事情を考慮すれば、やむをえないことであろう。


 加賀乙彦「小説家が読むドストエフスキー」集英社新書>☆☆☆★

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