二草庵摘録

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ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(1)

2008年01月20日 | ドストエフスキー
■「物語」の中の人間■

 もうしばらく前から、何冊かの本と並行して「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる。読みながら考えこんでしまうため、なかなかすすまない。エンターテインメントを読むのとは、どうも勝手が違う。わたしにとっては、近来にない「スローリーディング」となっている。
 もっとも、こういった本を読むとき、大半の人がそういった感想を持つだろう。19世紀半ばのロシア社会に対する予備知識だとか、キリスト教の理解が不可欠だから、いろいろな「謎」があちこちに出現してくる。
 批評家やわけ知り顔の読者は、カラマーゾフの兄弟を解く鍵は、「プロとコントラ」の章にあるとよくいう。とくにイワンが語る「大審問官」に。
しかし、たしかにドラマチックで深刻な場面なのだが、わたしは正直いって、いまだに腑に落ちないのである。そういった場面はほかにもあり、そこでしばらく立ち止まってしまうから、ますます本がすすまない。

 たしかな記憶はうすれているが、最初に本書を読んだのは、二十代のはじめころ、わたしが学生だったころであろう。こういういいかたが許されるなら、そのころの理解度が20%とすれば、現在の理解度は30%くらいか? 何ともすばらしい進歩ではないか(笑)。 「死の家の記録」や「罪と罰」に比べて、歯がゆいことこの上なし・・・。

 クライマックスはいたるところに用意されている。ゾシマ長老とその死、そしてすぐ「腐臭」をめぐる人々の混乱、神がかりのフェラポント神父の登場場面は、作家的力量が存分に発揮される息づまるような名場面。また第八偏「ミーチャ」の章を読むものは、奇怪きわまる人間たちの葛藤と誤解と逆転のドラマに圧倒されるだろう。人間に対する認識が根底からくつがえってしまう、・・・そういう強烈な感動が襲ってくる。なんという愚劣さ、なんという混乱、なんという矛盾! 一語で強引に表現すれば、「カオス」である。ドストエフスキーは「カオス的人間」を創造したといえる。
 人口2000人の架空の村モークロエ。そこにあるプラストゥーノフの宿屋で演じられる狂気じみた大騒ぎの顛末など、まさにポリフォニックでカーニバル的なドストエフスキーの面目躍如である。小説という形式の極限を見せられているという気がする。

 しかし、ここで急いでもうひとこと付け加えておきたいことがある。それが「『物語』の中の人間」に対する考察である。人間はほとんどすべて、自分自身の「物語」を持っている生き物である、という認識である。大勢の人間が登場する小説(マンガでもいいが)の中で、物語と物語がぶつかり合う。ドストエフスキーの人物のあの有名な「長広舌」は、まさしくこの物語が沸きあがっている場面である。歴史もわれわれがある程度共有している一種の物語であろう。しかし、結局のところ、人はだれとも共有できない、自分固有の物語の中から世界を見ているのではないか。登場人物をして、十分に語らせること! なぜなら、そうしないかぎり、その人物が本当は何者なのか、読者にはわからないはずだ、と作者は考えている。本書にかぎらず、すぐれた小説は、登場人物たちのすぐれた「物語」にささえられて立っている。

 これはわれわれの日常においても同じことであろう。仕事に関連していれば、名刺を交換し、さて、そこから話がはじまる。初対面であれば、来訪の目的を知る必要があるから、注意深く耳をすます。また、その人間が何者であるか、相手の顔つきや表情、服装などから見さだめようとする。
 そこから予測のつかない、新たな物語がはじまっていく。「さて、これからどうなるのか」と絶えず考えつづける。われわれは、意識のなかで過去と未来をたえまなく往復しながら、この種のダイナミックな現実の中に投げ込まれているのである。 ドストエフスキーの登場人物は、あともどりのできない過去を背負い、一刻一刻と未来に向かって投げ出されるアクチュアルな「意識」を背負っている。読みすすめながら、読者は他の小説ではめったに味わえない緊張を強いられる。
 困ったことに、ドストエフスキーの小説を読んでいると、ほかの大半の小説が児戯に見えてくる。とはいえ、「真に偉大な作品」といって、祭り上げても仕方たあるまい。読みながら考え、考えながら、くりかえし読んでいくしかないと、いまは思う。

 まだ読了したわけではないから、評価はいましばらく「持ち越し」である。


ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」上・中巻 原卓也訳 新潮文庫

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