カメラをもって街歩きしながらわたしが惹かれるものに「暗鬱なもの」がある。
暗鬱といっていいすぎなら、重苦しいもの、したたかな存在をしめすほの暗いもの、なかば使命を終えているのに、依然として「そこにあるもの」、被写体としてのテクスチャーをそなえ、見る者を見つめ返すもの。あるいは、不可解な負のエナジーを発している(とわたしに感じられる)もの。
これはそのままわたしの「地方都市論」となる。
シーズンになると観光客でごったがえす、いわゆる「撮影スポット」なるものが、苦手なのである。
被写体は、自分が発見する!
そこに、いわくいいがたいよろこびのようなものが潜んでいるのだ。
そういう写真は、そうとうなベテランでないとその醍醐味がわかりにくいし、
だれもが「ああ、いいね。キレイね」といってくれるようなものではない。
ウジェーヌ・アジェなどを持ち出すまでもなく、こういった景観、風景こそ、近代の写真家だけが掘り起こし、提示しつづけてきたものであった。相互規定的・多義的で、ひと口やふた口ではとても説明しきれないけれど、わたしはこういう被写体にフォトジェニックなものを感じる。
むかし、何度か写真論をお伺いした、上毛写真連盟の高崎支部長、Yさんがもらしたひとことをいまでも覚えている。
「おれの写真は、いつだって『ある光景』なんだ。ほかに、ことばの説明はいらない・・・というか、できないはず。それはその写真を見た側が感じ、考えることさ」
たとえばこの、枠がゆがんだ、白い木製の窓。
そして、すごくおしゃれなレースのカーテンの絵画的な美しさ。
わたしが画家だったら、何時間も座り込んで、こんな「窓」を描いたかも知れないと思わせるたたずまいではあるまいか。
人はいないにもにもかかわらず、――いやそれだからこそ、人の気配だけが、濃厚にたちこめている。
つぎは、これ。
わたしにとって、この建物は、よくはわからない暗い感情の塊のようだ。
思い入れたっぷりな表現をあえてすれば、この建物は、年中ゆれ動き、曖昧で、中途半端なたとえばわたしような存在とは比較にならない位相にあり、悠然と時空を旅している。
この被写体を「発見」したとき、おもわず「おお」と声を出してしまった(^^;)
「おまえ、いつからここにいるんだ? いつこんな姿になったんだね?」
いうまでもなく、この建物には、この建物だけがもつ物語がある。
単写真ではつたわらないものを、一群の作品に託してあぶり出していく。
意味はあるようで、ない。ないようで、ある。
それは「写真」なのであって、ことばでは置き換えることはできない。
だから、写真を「見る」のだし、被写体に寄り添おうとするのだ。
このような行為者・観察者を、「フラヌール」というのだということを、わたしは昨年、鹿島茂さんの本を読んでいて知り、ベンヤミンの存在が気になりはじめた。本来、フラヌールの観察対象は、パリ、ロンドン、ニューヨークなどの世界的な大都市とそこでうごめく群衆であって、北関東の小都市をそういった大都市と比べるのはおかしいが、都市の遊歩者(フラヌール)であることでは通底するものがある。
あるいは、わが国では、1930年代を写した桑原甲子雄の仕事がある。
これが再評価されはじめたのは、1960年代の後半あたりから。戦争と高度成長の背後で失われていったものが何であったのかを知り、人々は愕然とし、郷愁を覚え、記録写真として非常に高い評価をあたえた。その再評価のために、30年の時が流れた・・・。流れる必要があったのである。
わたしは現在の街を歩きながら30年後のこのストリートを、はるかかなたに幻想する。
それはしばしば、妄想に似ているのだが。
ウジェーヌ・アジェ
http://www.atgetphotography.com/Japan/PhotographersJ/Eugene-AtgetJ.html
http://www.artphoto-site.com/story34.html
フラヌール
http://d.hatena.ne.jp/masaaki_iwamoto/20071101/1193958814
桑原甲子雄
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_d389.html
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4ADBR_jaJP330JP340&q=%E6%A1%91%E5%8E%9F%E7%94%B2%E5%AD%90%E9%9B%84&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=P53gTJexE4vovQPundDsDg&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=2&ved=0CDAQsAQwAQ&biw=1003&bih=538
暗鬱といっていいすぎなら、重苦しいもの、したたかな存在をしめすほの暗いもの、なかば使命を終えているのに、依然として「そこにあるもの」、被写体としてのテクスチャーをそなえ、見る者を見つめ返すもの。あるいは、不可解な負のエナジーを発している(とわたしに感じられる)もの。
これはそのままわたしの「地方都市論」となる。
シーズンになると観光客でごったがえす、いわゆる「撮影スポット」なるものが、苦手なのである。
被写体は、自分が発見する!
そこに、いわくいいがたいよろこびのようなものが潜んでいるのだ。
そういう写真は、そうとうなベテランでないとその醍醐味がわかりにくいし、
だれもが「ああ、いいね。キレイね」といってくれるようなものではない。
ウジェーヌ・アジェなどを持ち出すまでもなく、こういった景観、風景こそ、近代の写真家だけが掘り起こし、提示しつづけてきたものであった。相互規定的・多義的で、ひと口やふた口ではとても説明しきれないけれど、わたしはこういう被写体にフォトジェニックなものを感じる。
むかし、何度か写真論をお伺いした、上毛写真連盟の高崎支部長、Yさんがもらしたひとことをいまでも覚えている。
「おれの写真は、いつだって『ある光景』なんだ。ほかに、ことばの説明はいらない・・・というか、できないはず。それはその写真を見た側が感じ、考えることさ」
たとえばこの、枠がゆがんだ、白い木製の窓。
そして、すごくおしゃれなレースのカーテンの絵画的な美しさ。
わたしが画家だったら、何時間も座り込んで、こんな「窓」を描いたかも知れないと思わせるたたずまいではあるまいか。
人はいないにもにもかかわらず、――いやそれだからこそ、人の気配だけが、濃厚にたちこめている。
つぎは、これ。
わたしにとって、この建物は、よくはわからない暗い感情の塊のようだ。
思い入れたっぷりな表現をあえてすれば、この建物は、年中ゆれ動き、曖昧で、中途半端なたとえばわたしような存在とは比較にならない位相にあり、悠然と時空を旅している。
この被写体を「発見」したとき、おもわず「おお」と声を出してしまった(^^;)
「おまえ、いつからここにいるんだ? いつこんな姿になったんだね?」
いうまでもなく、この建物には、この建物だけがもつ物語がある。
単写真ではつたわらないものを、一群の作品に託してあぶり出していく。
意味はあるようで、ない。ないようで、ある。
それは「写真」なのであって、ことばでは置き換えることはできない。
だから、写真を「見る」のだし、被写体に寄り添おうとするのだ。
このような行為者・観察者を、「フラヌール」というのだということを、わたしは昨年、鹿島茂さんの本を読んでいて知り、ベンヤミンの存在が気になりはじめた。本来、フラヌールの観察対象は、パリ、ロンドン、ニューヨークなどの世界的な大都市とそこでうごめく群衆であって、北関東の小都市をそういった大都市と比べるのはおかしいが、都市の遊歩者(フラヌール)であることでは通底するものがある。
あるいは、わが国では、1930年代を写した桑原甲子雄の仕事がある。
これが再評価されはじめたのは、1960年代の後半あたりから。戦争と高度成長の背後で失われていったものが何であったのかを知り、人々は愕然とし、郷愁を覚え、記録写真として非常に高い評価をあたえた。その再評価のために、30年の時が流れた・・・。流れる必要があったのである。
わたしは現在の街を歩きながら30年後のこのストリートを、はるかかなたに幻想する。
それはしばしば、妄想に似ているのだが。
ウジェーヌ・アジェ
http://www.atgetphotography.com/Japan/PhotographersJ/Eugene-AtgetJ.html
http://www.artphoto-site.com/story34.html
フラヌール
http://d.hatena.ne.jp/masaaki_iwamoto/20071101/1193958814
桑原甲子雄
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_d389.html
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4ADBR_jaJP330JP340&q=%E6%A1%91%E5%8E%9F%E7%94%B2%E5%AD%90%E9%9B%84&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=P53gTJexE4vovQPundDsDg&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=2&ved=0CDAQsAQwAQ&biw=1003&bih=538