二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

日本と日本人のエネルギー問題について考える <2>

2014年03月09日 | Blog & Photo
<2>

6.原子力の平和利用にほんとうに未来はないのか?
世界中がそう考えているように、原子力の平和利用への努力をつづけたほうがいい。
学者の中には「原子力は未来のない技術」として排斥する人がある。だけど、わたしはそうは考えていない。
必ずブレイクスルーのようなものがやってくる。人間の能力、その可能性を信じようではないか。

7.電源の確保
わたしが原発再稼働やむなしと思うようになったのは、こういった理由による。原発がすべてダウンしたあと、原油や天然ガスなど、化石燃料の使用が激増した。
このあいだある本を見ていたら、火力発電所の所在地一覧が掲載されていた。それによると、関東では東京・横浜・千葉とその周辺、中部では名古屋や四日市とその周辺、関西では大阪、神戸とその周辺にほぼ集中している。
これは巨大タンカーによる石油コンビナート、製油所の施設と関連しているからであろう。
日本はいまや原油の海にただよい、翻弄される小さな笹舟なのである。
しかも、太平洋側のこの地帯では、巨大地震の到来が予測されている。
東日本クラスの震災がもしこの地帯を襲ったら、被害は2011年3月の数十倍にのぼり、日本全体が機能マヒを起こすことが懸念されている。
ところが、原発の大半は日本海側。火力発電所の「保険」として、機能するだろうとわたしは期待している。

8.テクノロジーの不可逆性
科学史の常識によれば、いったん誕生したテクノロジーは消えることはないし、もとに戻ることも、ほぼない。
つまり、日本から原発が消えたとしても、全世界で原発は今後ふえつづける可能性がある。
東電バッシングをして溜飲を下ろしている場合ではない。
不祥事は不祥事として追及するのはあたりまえだとして、揚げ足取りが横行しているのは、憂慮すべきことである。そんなに東電(あるいは北電や東北電)がいやなら、自家発電すればいいのではないだろうか。
反原発は、トレンドであり、イデオロギーにすらなろうとしている。一億総ヒステリー。
本屋にはいまだ特設コーナーがあり、反原発の本があふれている。
「反原発」の本を出せば“売れる”からである。
現段階ではむろん、原発即時停止が多数派。
わたしも昨年まではそうだった。だがここらで「待てよ」と思いとどまり、国益(広域的な国の利益)に配慮して利害得失を冷静に考え、判断をするべきであると、わたしは考えるにいたっている。

9.マスメディアの偏向
マスメディア・・・TVや新聞などが、視聴者、読者を誘導している。
原発の不祥事はニュースバリュウが極めてたかく、人びとが眼や耳をそばだてる。交通事故による死者・負傷者の数を調べて欲しい。また日本では、年間およそ3万人の自殺者が出ている。
そんなことにはなれっこになってしまって、視聴者の注意をひかない。「ああ、またか」で見過ごされてしまっている。
マスメディアは視聴率がかせげるから、些細な原発事故でも大きく報道する。これでもか、これでもかと、その悲惨さを日常的にアピールし、洗脳する。そのすべてがとはいわないが、視聴者の過半数はその報道に踊らされているようにおもわれる。
しかも、フクシマ第2原発は、地震やそれによる津波の惨禍とダブって見えている。
新型の病原菌の出現やHIVのときもそうだったが、視聴者の恐怖や好奇心を誇張しあおることで、マスメディアはその存在意義をアピールしつづける。われわれには真相を推理する材料や判断力が十分与えられていないから、結果として踊らされ、誘導される。
そのことを、いつも頭の片隅に置いてマスメディアからの情報に接したほうがいいだろう。


<おわりに>
さて・・・、まだ書き足らず、不十分な表現が目立つけれども、長くなりすぎ収拾がつかなくなるから、このあたりで終わりにしよう。
重ねていうが、わたしも全原発を一斉に再稼働すべき・・・と十把一からげ的な暴論を吐くつもりはない。
よく調査し、安全対策を見直したうえで、より安全性の高い(むろん相対評価でかまわない)原発を、何基か動かしたほうがいいだろうということである。何年も放置したら、保守点検が蔑ろにされ、いざというとき使いものにならない可能性がある。
設備投資した数百兆円がドブにすてられる。廃炉まで、さらに多額の出費を強いられるだろう。それらが、国民の税金に重くのしかかってくる。
これを読んで下さる皆さんは、どうか感情的にならず、一つの意見として冷静に耳を傾けて欲しいものである。


■参考:吉本隆明インタビュー
《原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬いものを透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いに安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。
だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防禦装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です》

わたしははじめてこのことばを読んだとき、彼がなにをいおうとしているのか、よくわからなかった。しかし、いまは違った見方をしている。
「発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はあり得ない」
ここに思想家の叡智と洞察力のようなものが圧縮されているのではないだろうか? そのことに気がつくまで、ずいぶん回り道をしてしまったが、このひとことは原発事故を考えるうえで、忘れたことがない。

またわたしは過去に郡山から避難してきたという被災者一家のお世話をしたことがある。仲介料を値引きし、電車でくるというので、駅まで迎えにいき、手続きが終わったあと、ご家族を物件まで送り届けた。しかも、そのあと、お預かりしていた生活用品を、二往復して配達した。
ところが、オーナーとわたしのケアレスミスで、一晩エアコンが動かなかったため大クレーム。
暖房のない部屋で震えていて、一睡もできなかったのはそちらの手落ちだから、仲介料を全額返却し、オーナーには賠償金を請求すると息巻いている。
しかし、あとになってわかったのは、彼らが偽装避難者だったこと。
前橋で過ごしたのは、4か月ばかり。
その間、仕事をした形跡はまったくない。そして、着の身着のままでやってきたはずのご家族が、大型の1BOXワゴンを手に入れ、たくさんの家財道具を満載して、郡山へ帰っていった。「母が急病になったから」というのが短期解約の理由だけれど、ほんとうは多額の賠償金(あるいは保険金)を、不正にせしめたのであろう。オーナーもわたしも、その厚顔ぶりにびっくりするやら、あきれるやら。オーナーはエアコンは一晩では交換できないからといって、灯油ストーブを買って、その家族のところへ届け、平謝りに謝ったというのに。

いうまでもなく大部分は善意の人々であろう。しかし中には、補助金太り、賠償金太りという輩がいる。不動産業をしていると、この数年、福祉制度を逆手にとった不正受給者が激増している。仕事が嫌いだから、病院をまわっては身体の不調を訴え、診断書をもらってくる。そして生活保護費をせしめる。また母子手当をもらうため、偽装離婚した家族があった。
他人の小さなミスにつけこんで、法外な賠償をもとめてくる人もいるので、仲介業も呑気にはかまえてはいられないリスクを負っている。
保険会社の人たちは、そういった不正請求との戦いは日常化しているだろう。
このあいだも、コツンとクルマをあてただけで、800万円もの保険金をせしめたというおばちゃんに出会っている。
こういうことがつづくと、人間不信に陥るなというほうが無理。
われわれ不動産業者のストレスは、年々上昇している。


なお、写真はわたしが自分の意見をまとめるにあたって読んだり、これから読もうとしている「参考書」。
ここに書いた文章の多くを、これらの参考書に負っている。
その中でいちばん面白かったのは、この2冊。


さらに、これ。

こういった分野は、凝り固まってはいけないから、状況に応じフレキシブルに対応しようというのがわたしのスタンスで、まだまだ勉強不足。したがって、数週間後数か月後にまた意見が少し変わるということがありうることをお断りしておこう。
またわたしの知見の片手落ちもありうるので、正しいとおもえる意見には、今後も率直に耳を傾けていこう。それによって、考え方を修正し、更新していければ、それでいい。
意地をはって、この考え方に固執しいているつもりはない。ただし、あまりに的外れな、あるいは失礼な書き込みの場合は、反論したり、スルーしたりすることがある。そのことをご了承いただきたい。

原発のほか、地震、エネルギー問題、中国の脅威、日米関係、近代史の見直し。そのあたりを、興味がおもむくまま乱読しているが、新書が圧倒的に読みやすい。

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