二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「世界は分けてもわからない」福岡伸一著(講談社現代新書)

2010年11月14日 | エッセイ(国内)
「生物と無生物のあいだ」で大ブレイクした福岡センセイ、続々ヒットを飛ばしている。
本の帯には誇らしげに「15万部突破!」という文字が躍る。
この手の本では例外的な出版部数だからだろう。ミステリではないが、たしかに、読み出したらやめられないおもしろさをもっている。

『ヒトの眼が切り取った「部分」は人工的なものであり、ヒトの認識が見出した「関係」の多くは妄想でしかない。私たちは見ようと思うものしか見ることができない』

このセンセイは不可知論者なのである。
だから、さきゆき不透明な現代にマッチするのだし、好奇心旺盛な読者をゆさぶるのだ。
だって、ついこのあいだまで、世の中には、いまとなっては、あっけにとられるような楽観論が横行していたじゃないか! 

遺伝子の解析がすすめば、生命の謎の半分は解き明かされるといわれ「へええ、そんなものか」と、わたしなど半信半疑ながら感心しきっていたのだ。
人間は極めて精巧につくられたキカイなのだし、臓器の交換、なくした片足の再生、ガンの克服など、この数十年で、めざましい成果を上げるはずだった。・・・そう、そんな楽観的な報道が、いっとき目立ったのだ。科学の分野でなにか新たな発見があると、針小棒大、マスコミが早のみこみして、派手は報道合戦をくり広げる。

しかし、福岡センセイは、その種の楽観論をやんわりとたしなめる。
かといって、悲観的にもなりすぎない。ま、人間はこんなものなのです・・・と説いて聞かせる。そのあたりのさじ加減がとてもお上手。
さっさと読んでしまったが、ほかにやりたいことが山ほどあって、レビューがすっかり遅くなってしまった。

第8章までが、わたしにはベストマッチだった。
第2章では、突然須賀敦子さんについて取り上げ、熱いメッセージを送っているのが、とても印象的。ああ、こういう感性の持ち主だったのかと、同じファンのひとりとしてうれしくなった。
「世界は分けてもわからない」とは風変わりな本のタイトルだが、一口にいえば、生命には「部分」がない、とおっしゃりたいのである。それを説明するのはややこしくなるから、本書を読んでいただくしかない。

わたしがとくにおもしろいと思ったのは、マップラバーとマップヘイターのおはなし。
合理的にものを考えようとする人間には、じつはこのマップラバーが意外と多いのである。わたしの友人にこの極端なマップラバーがいて、話をしながら、ときおりやりこめられる。文学、哲学・思想、世界情勢分析など、彼はマップを偏愛し、そこからこぼれ落ちるものを見ようとはしない。たしかによくできたマップなのだが「そんなものはつまらない」とわたしがいっても、彼には理解できないのである。

彼は自分が信奉する「マップ」こそ、唯一絶対のものであるかのように錯覚している。
しかし、世の中には星の数ほどマップがあるし、マップが違えば、この世界や現実は、まったく違った認識が可能なのである。そのことがなかなかわからないから、他人がばかに見えるらしい。わたしが反論すると、まあ、人の好き嫌いはいろいろだから・・・といいつつ、不審げなおももちをしている。

地図はこわすためにあるんじゃありませんか?
あらゆる人間に通用する、絶対的な真理のような地図がほんとうにあるのだろうかと、わたしはつねに問わずにいられない。だから「さあ」とか「わからない」とか「これって、どういうことでしょうね」を連発する。すると彼は、どこかで読んだか、TVでやっていたような回答をあたえてくれるのだが、その90%は、たぶん、受け売りなのである。

「マップラバーがこの世界を切り拓いてきたと思うでしょう? それは必ずしも、そうではないのです」というあたり、福岡センセイのまなざしは、驚くほど遠くまで達している。
なるほど、世界が少し違って見えてきたぞ!
しかし・・・これもまた、異色ではあるが、「いま」という時代によくマッチしたマップなのではありませんか、センセイ?



評価:★★★★★

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